島全体

 金印を見た福岡で、もう一か所どこを見たいかということで、「日本海海戦」の舞台の玄界灘を所望しました。数年前に、博多から北九州に向かう途中で食事を海辺の食堂でしたときに、目の前の海を指さして「あそこの沖ノ島沖でバルチック艦隊を確認したのですよ」と言われたときに、まさに司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の中の、その場面を読んでいた時だったのです。その発見後、日本艦が合流し、戦闘開始を命令したのです。その時の信号簿でZ旗に有名な文言「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」という文言が割り当てられていたのです。
その時の戦いを沖津宮の神官に仕えていた佐藤市五郎が、両艦隊の乗組員以外で同海戦を目撃した数少ない人物の一人です。この沖ノ島の沖津宮は、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮とともに宗像氏が信奉した「宗像三女神」と呼ばれる三人の女神を祀っており、その総称が「宗像大社」です。
 興味深いことに、この辺津宮から大島、沖ノ島を延長すると、対馬の北部を経て、韓国の釜山を見通す線上に並びます。
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海辺の松林に立つと、沖の島は遠く望めませんでしたが、目の前には大島が浮かび、その向こうに沖の島があると思うと、なぜかわくわくしました。この海の道は、古代から半島と大陸の政治、経済、文化の海上路であり、掌握したのが宗像氏で、三女神を祀る神官と考えられています。
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 九州全土、特に宗像地方を中心にこの沖ノ島を、エジプト考古学者の吉村作治が提唱し、世界遺産にする運動が行われており、そのポスターが宗像の道の駅に張ってありました。今年の1月5日に「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成遺産の一つとして、世界遺産暫定リストに追加掲載されているそうです。なんだか、こんな地味な島がどうしてかと思ってしまいます。ポスターによると、この沖ノ島は海の正倉院と称されるほど、発掘調査が行わた結果、23の古代祭祀跡から約8万点の神宝類が出土し、その古代祭祀遺物すべてが2006年に国宝に指定されています。
 この島は、基本的には無人島ですが、現在は沖津宮の神官が交代で常時滞在しているそうです。そして、島全体が御神体ですので、現在でも女人禁制の伝統を守っているのだそうで、男性であっても上陸前には禊を行なわなければならないそうです。17世紀前半、黒田藩が沖ノ島に防人をおいたことから発見されたのですが、島についての情報は一切口外が許されなかったようです。島の様子が知られるようになったのは、日本海海戦がおこなわれた日露戦争の時に、陸軍の防衛基地が設置されてからです。
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 道の駅の壁に張られた国宝は、教科書に載っているものが多く、ここで見つかっていたのだということを初めて知りました。たとえば、中国 魏の時代(1700年前)に造られ渡来した青銅製の鏡。神様と動物の模様が刻まれている「三角縁神獣鏡」、朝鮮 新羅の時代(1400年前)に造られ、渡来した純金製の指輪である「金製指輪」、日本の古墳時代(1400年前)に造られた馬具の一種で祭礼の時 に馬の胸や胴を飾る豪華な装飾品である「金銅製杏葉」など約12万点に及ぶ貴重な古代祭祠神宝が出土しています。また、史跡だけでなく、自然においても島内は、天然記念物である亜熱帯植物が群生しており、一木一草たりとも、島外に持ち出すことは古来よりタブーとされ、現代も、その精神は、脈々と引き継がれています。
 不思議な島です。

島全体” への5件のコメント

  1. 沖ノ島の存在は初めて知りました。読んでいると、ずいぶん大切に守られてきたことを感じます。変わらずにあるということはとてつもなく大変なことだとも感じます。新しいものを取り入れ変わっていくことで魅力的になるものもあれば、守られ変わらないことで神秘性を増していくものもあります。そのどちらもあることが必要なんだろうと思います。ここから沖ノ島を見ることはできないので写真と文章から勝手に想像しているだけですが、これからも守られていくべき島なんでしょうね。

  2. 絶句・・・こんどの日曜にございますNHKの「坂の上の雲」に合わせまして、丁度司馬遼太郎氏の原作を読み進めておりまして、日本海海戦の章でした。

  3. 辺津宮から釜山までの一直線のルートを日本書紀には、「海北道中(うみきたのみちなか)」と記されています。古代から日本(倭の国)と朝鮮半島との重要な交易路だったようです。いわば海のシルクロードとして、人だけでなく数多くの宝物が行き交っていたといわれています。朝鮮半島南部で発見された当時の遺跡から倭から渡った遺物が数多く見つかっていますが、おもしろいことに、2?3世紀の遺跡からは弥生後期の北部九州で制作されたものが多く、4世紀代の遺跡からは、畿内のヤマトを中心に分布しているものが出土するそうです。つまり、当初、外交と交易の利権を握っていた九州の伊都国の力が後退して、畿内のヤマト王権が次第に全権を掌握していったと推測されます。まき向遺跡が発掘されて、卑弥呼の宮殿跡かと注目を浴びていますが、これはヤマト王権の絶頂期の時代の建築だと思われます。

  4. 玄界灘と大島の写真、美しいですね。見ているだけで心が洗われます。その大島の向こうにある「海の正倉院」沖ノ島。古代史ロマンですね。日本の古代史ファンにとっては是非訪ねてみたい地、古代史のメッカ、かもしれませんね。それにしても「古代祭祀遺物すべてが2006年に国宝」とは凄い。東京国立博物館でお目にかかれるのでしょう。今度行ってこの目で確かめたいものです。そして司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」が今度NHKのドラマとして放映されます。とても楽しみです。明治後期の日本について、そして当時の日本を巡る諸外国の状況及び関係について知ることができる絶好の機会です。そしてその後の日本の歴史、世界史への結節点としての明治時代後期を学べます。本当に愉しみです。

  5.  「坂の上の雲」は藤森先生のブログを読んで知りました。たまたま、今度NHKで放送される「坂の上の雲」の予告映像を見ました。戦時中の内容ですので、こんな感想を言うのは不謹慎かもしれませんが、なんだか面白そうな印象を受けました。
     前回のブログで金印の写真がありました。よく社会の教科書に載っていたのを思い出しましたが、写真しか覚えていなかったので、実際の大きさは知りませんでした。あんなに小さいとは驚きです。そんな国宝級の貴重な物が沖ノ島で12万点も発見されたとは、それだけ島全体が厳重に保護される理由が分かります。文化の伝承かどうか分かりませんが、今後も大切にしていくことを、後世に伝えていって欲しいです。

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