文化の伝承

 子どもたちを文化的環境の中で育てるということは、子どもたちには、次世代に文化を受け継いでいってもらわなければならないからです。
 日本の文化というのは、どのような文化でしょうか。日本独特の文化とは、必ずしも日本で生まれた文化ということではありません。どこかで生まれ、何かの形で日本に伝わり、それが長い間に日本の風土に合ったものに変化し、日本独特の文化となっていくのです。もちろん、日本で考えられたものもあるかもしれませんが、それが、やはりほかの文化と融合したり、影響し合って成熟していくのです。ですから、ある意味では、文化とは、人々の生活であり、習慣なのです。文化とは英語圏では「cultivated」といいます。これは自己の内面を耕した状態のことを指し、成熟した状態を意味します。
 しかし、文化は普遍的で永遠ではありません。現在、上野の国立西洋美術館では、「古代ローマ帝国の遺産」ということで、「栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ」という展示会が開催されています。古代ローマ帝国は、人類史上、比類ない長さと広さを誇り、繁栄を極めました。しかし、帝国絶頂の西暦79年、その街ポンペイは、ウェスウィウス火山の噴火で埋もれてしまいました。日本でも、あれほど勢力を誇っていた邪馬台国はどこに行ってしまったのでしょうか。歴史は、文化を埋もれさせてしまうこともあります。しかし、文化は、どこかでつながっていきます。それが、どこにどんな形でかわかりませんが、今の時代に何らかの影響を与えているのです。
 先週末、福岡に行ったときに、一度行きたいところに連れて行ってもらいました。それは、金印が出たと言われる志賀島です。
長い年月の間に砂の架け橋が掛かり、今では、「海の中道」といわれる「砂嘴」を渡っていくことができますが、もともと志賀島は「島」でした。九州とはつながっていなかった島に、なぜ金印があったのか不思議でした。
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発見されたのは、1784年、筑前の国那珂郡志賀島の甚兵衛という農民が、耕していた田畑から金の印章を発見して、黒田藩に届け出たもので、黒田藩ではこれを儒学者達に鑑定させた結果、漢の光武帝から垂仁天皇に送られた印であり、安徳天皇が壇ノ浦に沈んだとき海中に沈んでしまったのが、志賀島へ流れ着いたものであろうというものでした。
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それにしても、鉄砲伝来のときにもそうでしたが、金印発見の知らせは,異例の早さで中央に伝わったようです。そこで、京都の国学者藤貞幹という人が、発見から一月あまりで、委奴は倭奴であるとしてこれを伊都國(今の福岡県糸島郡)王が光武帝から授かった金印であるという説を発表しました。それがほぼ定説となっています。
金印を黒田家所有となり、以来、黒田家の家宝として庫裡深く所蔵されていましたが、明治になって国宝に指定され、昭和29年の再指定で改めて第1級の国宝となり、一時東京の国立博物館に保管されていましたが、現在は、黒田家から福岡市に寄贈され、市博物館の開館とともに一般公開されています。
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実物は、一辺 2.3cmの四角形で、台部分の厚さ約 9?、総高約 22?、重さ 108.7gの非常に小さな純金製(22金)ですが、この小さなものから、出土地や発見者、何故志賀島にあったのか?という疑問がいまだの解明されておらず、だからこそ、昔の文化に思いを馳せるロマンがあるのかもしれません。

文化の伝承” への4件のコメント

  1. 金印ですが、昔何かの付録で手に入れて、偽者だとは知りながらなぜかワクワクした気持ちになったのを思い出します。子どもにとっても決して体験することのできない過去を想像するのは楽しいことだったんだと思います。今は形として残っていなくても、それが何かの形で今につながっているんだと思うと、今の私達の行動も先につながっていくということを考えてしまいます。自分が今をどう生きるかが子どもたちの未来にも関係があると思えば、無駄なことは何もないと思えてきます。歴史を考えるということは単純なことではないのかもしれないと思えてきます。

  2. 日本の文化の形成を考えていくと、すなわち「日本人がどこから来たのか」というテーマにぶちあたります。以前、NHKのサイエンスZEROという科学番組で、DNAから人類の謎を解明しようという「分子人類学」の研究で日本人のルーツを探るという内容の放送がありました。現代日本人のDNAの塩基配列を解析すると、主に16のグループに分類できるそうです。中国北部で生まれて、朝鮮半島を経由してきた渡来人や、北方から入ってきたグループ、東南アジアから島伝いにやってきたグループなど、日本人は単一民族のようで実は多種多様な渡来人の混血で生まれた民族のようです。民族の形成過程で、様々な渡来文化が融合して現在の日本の文化が誕生したといえるでしょう。

  3. 金印はかつて写真でみただけでしたが、今回の写真によって金印のつまむ部分がへ~>゜)???(ヘビ)だっとは。今まで気がつきませんでした。蛇は金運を呼ぶとも言われますから金印にヘビ???なにせ金印は漢の時代のもの。西暦でいくと紀元前の世界の話。まさか「金印にヘビ」ということはないでしょう。ヘビは巳ですからこれは方角を表す、ということもなるほど、と思いますがどこから見た巳の方角でしょうか。悩ましい問題ですね。ところで金印の発見者、江戸時代の「志賀島の甚兵衛」さんはエライですね。自分のものにして家宝にせず藩に届け出るのすから。おかげでわが国の「国宝」になり、また日本史教科書の1ページを飾ることになりました。甚兵衛さんの発見は「どんだけぇ?」を何回繰り返しても繰り返しすぎ、ということがないくらいの大発見!と言えますね。正直は国の歴史を作るんだということの好例だと思いました。

  4.  子ども達に文化を受け継いでもらう事は、とても大切な事です。しかし、私自身、文化を受け継いでいるか?と考えると正直分かりません。実家が伝統工芸品を作っている家であれば文化を受け継いでいると実感しますが、実際は、父は会社員で母は専業主婦です。確かに日本の文化というのは、どのような文化なのか漠然としていました。ただ「人々の生活であり、習慣」と書かれていますが、そうであれば日本人らしい生活、習慣というものを伝える事が文化の伝承に繋がります。まずは私自身、日本人の生活、習慣を振り返ってみようと思います。

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