文化国家

 「目白文化村」の形成を見てきましたが、その成り立ちを見ていくと「文化」とは何かということを考えてしまいます。まず、「文化」と聞いて思い出すのは、今月初め11月3日の文化の日です。この日は、「様々な文化歴史に親しみ、健全な心身・情緒を育む日」ということのようですが、なぜこの日なのかというと、日本国憲法が1946年のこの日、11月3日に公布されたからです。文化の象徴として憲法があるのです。そして、この憲法は、公布から半年後の1947年5月3日から施行されました。その5月3日を「憲法記念日」と決めました。
実は、戦前から文化の日と決められる前までは、11月3日は、明治天皇の誕生日であることから明治節という祝日になっていました。今は、それは特に関係ないとされていますが、多分、憲法をいつ公布しようかという議論の中で、明治節の日にしようとしたのではないかと思います。それはともかくとして、今、文化の日に合わせて「文化勲章」が授与されます。それは、誰を対象にしているかというと、「科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績のある者」となっています。ここでは、文化とは、「科学技術や芸術」などとなっています。
憲法の第二十五条には、文化という言葉が出てきます。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」ここにある、「文化的な最低限度の生活」とは、どのような生活なのでしょう。そのひとつは、次の条文に出ているもののような気がします。「第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」「第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 」きちんと教育を受け、きちんと勤労できる権利があることが文化的な最低限の生活のような気がします。最近の傾向を見ると、この二つの権利がないような気がします。それ以前に、文化的生活の前提である「健康」であることでさえ保障されていません。
たとえば、今、保育室が足りないからといって、保育室の最低基準の一人当たり面積を減らそうとしています。その状況を、憲法から読むと、まず、幼児教育をどの子もひとしく受ける権利はありますので、保育園に入ることが出来ない子がいることは何とかしなければなりません。そのうえで、健康的で文化的生活が出来るように保障するのは最低限なのです。「健康」というのは、精神的、身体的、社会的に「現在をよりよく生きる」ことです。狭いところに、不健康な環境の中で子どもが生活することはおかしいのです。健康な状況とは、子どもたちが精神的ストレスを感じず(精神的)、手足、体を思いきり使って活動し(身体的)、いろいろな子どもとかかわりを持って生活すること(社会的)が出来る状況のことを言います。ということは、今、一人ひとりの健康と文化を保障し、誰でも幼児教育を受けることができるように、保育室の数を増やすことを、いろいろなことに優先して考えないといけないと思います。この憲法にあるように、「健康」「文化」「教育」「勤労」は、どれかを犠牲にすることなく、すべてを保障しなければならない項目として挙げられているのです。
 日本が、文化国家になるのにはまだ先のようです。

文化国家” への4件のコメント

  1. 昨日から「日本はなぜ文化国家になれないのか?」という大テーマを考えていたら、寝れなくなりまして少し寝不足気味です(笑)。政治の貧困、教育の荒廃、社会保障システムの未整備・・・。この国を今後どういう国家として発展させていくのか、今の政治家たちは何も語っていない。あるのは、党利党略・個利個略だけで、経済は一流でも政治は三流というのはきわめて正しい。待機児童解消のために、面積基準を緩和するなんて、子どもの発達がわかっていない役人の浅知恵だ。やめたほうがいい。

  2. 文化的生活についていろいろと考えさせられました。文化的な生活の前提である健康についてもです。どれが欠けてもいけません。少し違うかもしれませんが、養護と教育のあり方についても考えさせられました。養護面を基盤として教育がなされること。養護とは、生命の保持および情緒の安定を図るために保育士等が行う援助や関わりのこと。生命の保持とは、「快適に生活できる」「健康で安全に過ごせる」「生理的欲求が十分満たされる」「健康増進が積極的に図られる」こと。こうしたことを正しく理解しておくことが必要だと、あらためて教わったように思います。

  3. 法治国家であるはずのわが国が時々法に反しているのではないだろうか、と思うことがあります。私は日本国憲法はその制定過程にさまざまな憶測を呼ぶものがあるにせよ実に素晴らしい法典であると思っております。そうした憲法を持つ国に生まれ現在を生きていることを誇りに思うことがあります。しかし、時としてがっかりすることもあります。今回のブログで紹介されているように憲法を遵守するなら「文化的生活の前提である「健康」であることでさえ保障されていません」ということにはならないでしょう。子どもたちは日本国憲法でも守られていますが更に「子どもの権利条約」という国際法によっても守られています。この事実を真摯に受け止める必要があると切に思います。「こどもは何もない(だから教え込む)」という勝手な主観によらず「子どもの権利条約」のような客観性ある法律をもっと素直に受け入れるべきでしょう。

  4.  「文化の日」が、なぜ「文化」なのか考えた事がありません。それよりも「文化の日」に限らず、祝日に関してはそこまで深く考えた事がなく、祝日の度に喜んでいる自分がいます…。「現在をよりよく生きる」という言葉を、考えれば考えるほど、深い言葉のように思いました。ブログに書かれていますが、全ての子どもが教育を受ける権利がある事、その教育を受ける環境の事、色々なところに繋がるのですね。祝日に対して、ただただ喜んでいる場合ではありません。

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