ヒンデルと聖母

 何気なく日常見ている建物にも、歴史的に素晴らしい建築があるものです。私の園がある落合は、歴史が古く、昭和初期の貴重な建物が残っています。また、その後改築されていますが、一時期歴史を刻んだ建物もあります。
 園の近くに、園児がたまに行く総合病院に社会福祉法人聖母会が運営する聖母病院があります。
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この病院は、特に産科に定評があり、年間の分娩件数は約1700~1800件と全国でも有数だそうです。また、その系列に、看護系大学の聖母大学があります。また、この病院は、帝銀事件の被害者が収容された病院です。帝銀事件とは、最近の若い人は知らない人が多いと思いますが、戦後間もないころの1948年(昭和23年)1月26日に東京都豊島区の帝国銀行(後の三井銀行。現在の三井住友銀行)椎名町支店で発生した毒物殺人事件で、未だに多くの謎が解明されておらず、解決していない事件として有名です。この事件が起きた豊島区椎名町は、聖母病院の近くであることから患者が運ばれたのでしょう。
 この病院は、まず1929(昭和4)年に、聖母会の前身である「マリア奉仕会」が病院建設に着手します。その設計をヒンデルに頼み、本館が建築され、1931(昭和6)年「国際聖母病院」として開院します。その後、1943(昭和18)年に「聖母病院」へ改称します。ヒンデルは1887年、スイス・チュ-リッヒに生まれました。幼いころから建築家を目指し、下級ギムナジウム修了後、ヨーロッパ各地の設計事務所で修行したようです。その後独立し、チューリッヒに設計事務所を開設しました。 1924年、日本の北海道帝国大学予科でドイツ語教師をしていた義弟を頼って来日し、北海道の永住を決意し、札幌に夫人とともに移り住みます。北海道では、3年間在住。教会関係の作品を中心に16余りを設計し北海道の近代建築の開拓者といわれました。義弟の死をきっかけに 1927年、横浜市本牧に転居し、東京・宇都宮・名古屋など各地に作品を残します。 1940年にドイツに帰り、1963年、バイエルン地方レーゲンで亡くなりました。
日本で16年を過ごす間に、およそ30件の作品を手掛け、今なお親しまれている建物が数多くあります。北海道で残した作品は、聖フランシスコ修道院、大野邸、北星女学校教師館、北大手稲山パラダイスヒュッテ、北大ヘルヴェチアヒュッテなどのほか、あの有名な函館の天使の聖母トラピスチヌ修道院などの作品は今も現存しています。
横浜に移ってからは、現存している作品として、前述の園の近くの聖母病院を初めてして、札幌に旧秩父宮殿下ヒュッテのほか、上智大学旧館や南山中学などの作品などを残しています。
 昨日の日曜日、あるところで、昭和30年の時の聖母病院の写真を見ました。
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ヒンデル設計の建物を見ることができますが、その建物の素晴らしさに対して、その前の方の家々の建物にびっくりしました。今、園が建っている周辺の風景は、そのような建物が並んでいたのですね。それにしても、その姿の変わりようはすごいですね。立派な建物は逆にあまり変わりはありませんが、庶民の住宅はずいぶんと変わったものです。このころの日本の貧困率が高いと言われても納得したと思いますが。
 その後、聖母病院は、昭和38年、増築工事の完成とともに総合病院となり、昭和60年、エレナ棟の増築および外来棟改築工事を行い、平成16年4月には新館が完成しています。変化に富んだ屋根の形が楽しい建物です。

ヒンデルと聖母” への5件のコメント

  1. 聖母病院の話はきわめて興味深いものがあります。私自身も何度か利用しています。キリスト教の病院です。大学もキリスト教の大学でしたから病院の雰囲気その他はほぼ抵抗がなく診察まで相当待たされても苦痛に思えません。そしてヒンデルという設計士による同病院の建物の装いはカトリック教会のそれを思い起こすことができます。私自身ヒンデルの作品となる建物のお世話になりました。それ故、さらに親近感を感じます。昭和30年当時の写真を拝見しました。隔世の感これあり、です。「庶民の住宅はずいぶんと変わったものです」とありますが本当にそうですね。写真の聖母病院の右手側に「山手線」の「山手」名起源とされる高級住宅街が存在します。旧華族近衛家や徳川家あるいは相馬家の屋敷跡の風景です。近衛家の邸宅敷地内にあった大木がいまだに道の真ん中にでんと鎮座まします。歴史を感じますね。

  2. 聖母病院の写真を見ていて、子どものころにあった有線放送電話の電話局の建物を思い出しました。特別な建物ではなかったのですが、なんとなく時代を感じさせる建物で、それがある風景が好きでした。今はそのあたりも全く違う風景になってしまいましたが、時々懐かしく思い出したりしています。
    普段何気なく見ているものを注目してみることは大切さなことですね。あるもの探しのようにいつも見ているものをあらためて取りあげてみることで、考え方や発想が変わったりします。聖母病院の写真のように、今と昔を比べてみるのもおもしろいですね。いいアイデアをもらいました。

  3. わたしは、マックス・ヒンデルという建築家を知りませんでした。けれど今回のブログを読み進めていて、はっと気付いた懐かしい名前が飛び込んできました。それは、「北大ヘルヴェチアヒュッテ」です。なぜかというと、10数年前に、このヒュッテに泊まったことがあるからです。北大山岳部がこの小屋を管理していて、毎年秋に小屋の掃除をし、夜は焚き火を囲んでお酒を飲みながら、あれこれと語り合うという活動を続けています。当時、わたしは同山岳部と交流があり、誘われてこの会に参加しました。小屋の側面には赤と白の奇抜な模様が描かれていました。おそらくスイスの国旗の色だと思います。懐かしい思いです。
     先日、聖母病院の向かいにある落合保健センターのフェスタに家族で行ってきました。その時に聖母病院の建物を見たのですが、まさかヘルヴェチアヒュッテと同じ建築家の作とは思いもしませんでした。この様な発見があるから、このブログを読むことが楽しみです。ちなみにヘルベチア(Helvetia)とは、スイス国の古い呼び名で、ヒュッテ(Hutte)はドイツ語で小さな家を表します。

  4. 今、ある人のブログで、昭和11年当時の下落合界隈の航空写真を見ています。(ネットの威力はすごいですね)中央に国際聖母病院とあります。そのまわりに、当時活躍した画家たちの住居が寄り集まっているのがわかります。佐伯祐三、吉田博、森田亀之助、川村東陽、牧野虎雄、曾宮一念、片多徳郎、村山知義・・・。ほとんど知らない人ばかりです(笑)。新宿せいがのある下落合というところは、昔からハイカラで芸術家を育み、文化のようらんとして発展してきた街のようですね。この街にあのスタイリッシュモダンな新宿せいがの園舎がとても似つかわしいですね。

  5.  昭和30年の写真の聖母病院は当時では、とても素敵な建物ですね。ただ確かに病院の前にある住宅は何ともいえない感じがします。建築に関しては素人ですので、具体的にどこが素晴らしいのか、分かりませんが、時代が変わっても二つの特徴的な屋根は変わらないののは、それだけ建築した人の偉大さが分かります。

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