先週末、新聞の記事で考えさせられたのは「ひとり親家庭の貧困率54%、OECD「最下位」の水準」というものです。私たちは、長い間「貧困」という言葉は日本からほど遠い世界のことだと思っていたからです。しかし、この記事でクローズアップされている「ひとり親家庭」の貧困率だけでなく、厚労省は1998年の貧困率が63・1%、01年は58・2%、04年は58・7%だったことも発表しています。その前の10月20日には、厚生労働省は「相対的貧困率」(2007年調査)を発表しました。相対的貧困率とは、全国民における低所得者(働いている、いないを問わず)の割合のことで、全国民の所得の中央値(07年は1人あたり年間228万円)の半分(114万円=貧困線)より低い人がどれだけいるかをあらわした数値です。これによると、日本の貧困率は15.7%で、国民の7人に1人が貧困状態にあるということです。また、18歳未満の子どもが低所得家庭で育てられている割合を示す「子どもの相対的貧困率」は14.2%だったのです。この結果は、メキシコ(18.4%)、トルコ(17.5%)、米国(17.1%)に次ぐ4番目の高さです。この調査は、OECD(経済協力開発機構)に委ねられていたので、その結果について私たちは初めて目にしたという感じです。
今年の8月6日号の「ニュートン」という雑誌に「少子化傾向に歯止め?」という記事が計されていました。その内容は、「社会が継続的に発展すると,あるときから出生率が増加傾向に転じるようだ」というものです。一般的に社会や経済の発展とともに出生率は低下していきます。現在では、全人類の半分以上が、合計特殊出生率2.1以下の地域に住んでいます。しかも、多くの先進国では、出生率が低下すると,もう高くはならないと考えられてきました。ところが,アメリカ,ペンシルバニア大学のミルスキラ博士らは,21世紀に入って先進国の少子化傾向に変化があることを見いだしました。博士らは,人々の生活の質や発展度合いを示す指数「HDI」とTFRとの関係を調べた結果、1975年のデータでは、HDIが高い国ほど出生率は低かったのです。しかし,2005年では,HDIが一定の値をこえるほど高度に発展した国では、日本や韓国などの例外もあるものの、HDIが高いほど出生率が高くなっていることがわかったというのです。社会や経済が継続して発展することで出生率低下を食い止めることができるのではないかと博士らは期待しているそうです。
ここで、また初めて「HID」という言葉を聞きましたが、これは、人間開発指数(HDI:Human Development Index)というもので、その国の、人々の生活の質や発展度合いを示す指標です。生活の質を計るので、値の高い国が先進国と重なる場合も多く、先進国を判定するための新たな基準としての役割が期待されています。開発の基本的な目標は、人々の選択肢を拡大することとしています。そのためには、人々が、長寿で、健康かつ創造的な人生を享受するための環境を創造し、その環境の中で各自の可能性を十全に開花させ、それぞれの必要と関心に応じて生産的かつ創造的な人生を開拓できるようになることです。それを考えると、経済成長は、開発にとって重要ではあるものの、人々の選択肢を拡大するための一つの手段にしかすぎなくなるのです。その基礎となるのが、人的能力で、長寿で健康な人生を送ること、知識を獲得すること、適正な生活水準を保つために必要な資源を入手すること、そして地域社会における活動に参加することです。これらの能力を獲得できなければ、そのほかの選択肢にも手が届かず、人生における多くの機会を逸してしまうとされています。
この指数は、日本はかなり高く、1990年代初めはトップクラスでしたが、次第に順位が下がり、最近は10位前後です。人が人らしく、子どもが子どもらしく生きていくことができる世の中をいろいろな指標から見ることができます。
諏訪中央病院の鎌田實先生は、幼い頃に実の両親が離婚。鎌田家の養子としてもらわれたそうです。継父は個人タクシーの運転手で病気がちの継母の看病をしながら、決して裕福とはいえない暮らしの中で、彼を実の子ども以上の愛情で育ててくれたそうです。そんな父への感謝の気持ちを込めて、鎌田先生は八ヶ岳山麓の自宅に「岩次郎小屋」と名づけたそうです。貧乏はつらいものですが、心さえ豊かであれば、子どもを立派に育て上げることができる。私も一人親で育ったので鎌田先生のお気持ちが痛いほどわかります。「順境」よりも「逆境」のほうがより人間を鍛えてくれることも真理のようです。
貧困という言葉を最近よく見かけるようになりました。これは決して経済の問題だけではなく、社会のあり方や生き方の問題も大きく関係していると思っています。所得があがることだけを狙ったとしか思えないようなおかしな制度をつくってその場しのぎをするのではなく、多様性を大切にした社会を目指して、今の問題に正面から向き合うことが大きな方向転換のチャンスになるという捉え方をしなければいけないときだと思います。
私たちの国はかつて「一億総中流」と言われていました。第二次大戦の敗北によって「一億総貧困」を経験しその後敵国米国の後押しと「朝鮮戦争」「ベトナム戦争」の特需を経て「経済大国」となりました。『平家物語』の一節「おごれるものもひさしからず」と思い起こします。今回のブログで紹介されたわが国の「貧困率」はまさに「ジャパン アズ ナンバーワン」の成れの果てのような気がします。「変えてはならないものを変えないために変わる」と仰る藤森先生の哲学はまさにその通りで、この国は「変わる」ことを是とせず結果として「変えてはならないもの」を変えてしまったのではないでしょうか。日本という国を計るさまざまな「指標」を見るにつけ1980年代以降の「目先」問題解決主義の結果を見せられているような感じを拭えません。だからこそ、気付いた私たちが現場を通して世の中に訴えていく必要があると今回のブログを読みながら強く思った次第です。