文化的生活

 私の住まいは東京郊外の八王子市にあります。八王子は、戦国時代は八王子城の城下町で、江戸時代は甲州街道の宿場町として発展してきました。そして、明治になると織物の町になっていき、その関係の工場がたくさんありました。それが次第に縮小し、その工場を取り壊し、その跡地がかなり広いので、小分けにして分譲住宅にするか、大きなマンション建設が行われるようになりました。そのチラシを見ていると、その分譲の売り方のモデルを、大正から昭和にかけて開発された「目白文化村」に見ることができます。
山の手といわれる新宿下落合地区は、明治になって、有爵の大きな屋敷が立ち並んでいました。それを開発したのが、西武コンツェルンを築いた人として有名な堤康次郎の(株)箱根土地でした。まず、広い敷地の奥まで路地を引き、それをロの字に循環させ、下水道を完備し、建物は洋式の日本館で建て、土地とともに売る方針をたてました。しかし、建物は個々の個性があった方がいいと考え、基本的には更地分譲でした。そして、街路の擁壁には大谷石を使用し、都市的な景観を持たせるようにしました。その広告には、土地の来歴と、施設計画、交通手段などが同一形式で掲載したのです。この土地は、もとなんとか公爵の敷地ですと謳うことで高級住宅地としてもブランドを作り、洋式の建物はモダンを感じさせました。最近、園の近くのマンションのチラシにも、もとだれだれの敷地であることが謳われていました。
では、文化村での生活は、どのようなものを目指したのでしょうか。昨日のブログで書いたようにそのモデルは田園都市ですが、文化村での当時の田園生活の理想的な生活について、こう書かれてあります。「先ず、労働者の家族をして、清新和楽の家庭を組織せしむるに在り。されば其住む所をして、殊に空気の流通と光線の透写とを十分にならしめ且付するに数畝歩の庭園を以てし、…労務の余暇には農芸を習はしめ、一には之に依りて各自の健康を保持せしめ、一には其収益を挙げて生計の幾分を補助せしめんと図りぬ」
これは、理想かもしれませんが、当時このような生活を勧めたのですね。「清新和楽」の家庭というのは、もう一度考えたいものです。というより、今こそ成熟し、経済優先の時代からの脱却をしようとしている今こそ必要な考え方です。また、ここでは、余暇を使って農芸を挙げています。いわゆるガーデニングではなく、家庭菜園なのでしょうが、その収穫が収入の足しになるくらいというのもすごいですね。しかも、健康になるというのですからいいですね。もし、そのまま東京が各家庭で行なっていたら、自給率が上がったでしょうが。
また、続きにはこんなことを言っています。「山野樹林の勝景に富める…四周の光景を風土として、総べて彼等の健康と衛生とに適せしめんと勉め、更に公会堂、倶楽部、美術館等をも設けて、…品位ある娯楽の趣味を進めしめんと期せり」この文章もなかなかいいですね。「四周の光景を風土とし」というのは、その地その地で見える範囲のものがその地の風土なのです。また、「品位のある娯楽」というのが気にいりました。どうも最近は、品位のない娯楽に興じる人が多いような気がします。そして、健康と娯楽の勧め、自然の中に生活することの幸福を提案したのです。
しかし、現実は、少し前のブログの写真のように、神田川に沿った上落合などの低地あるいは窪地には「トタン屋根」の貸家が並び、乱雑で無統制な郊外住宅だったようです。しかし、昭和になって、この貸家では、文化的に面白いことが起きます。