昨日は、こんなニュースが流れました。「東西ドイツを分断していた「ベルリンの壁」崩壊から20年を迎えるのを前に、現地では31日、コール元独首相とブッシュ元米大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領が出席して記念式典が開催された。3人は、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊した当時の首脳。コール元首相は「われわれドイツ人は歴史的に誇れるものはあまり多くないが、ドイツ統一については多いに誇れる」と語った。」
ベルリンの壁が崩壊して、もう20年が経つのですね。その時の首相たちもずいぶん年をとったものです。
壁というものは、空間を仕切り区画を形成するために設けられる、垂直方向に立つ構造物であると定義されますが、このベルリンの壁のように、区切ってしまうのは、空間だけでなく、親兄弟も、仲間も、人の心も分けてしまうことがあるのをこのベルリンの壁で体験しています。また、必ずしも壁は、構造物だけでなく、人の心にも見えない壁を作ってしまうことがあります。
日本では、家の周りを壁で囲んでしまうことが多いようです。不審者対策ということもあるのでしょうが、学校でも周りを壁で囲みます。外国に行くと、校庭と地域の道との間が何の仕切りもないことが多く、個人住宅でも、自分の庭と隣の家の庭がつながっているのをよく見かけます。そのような外の空間を分ける壁は、「塀」と言ったり、「垣」を使って、「石垣」や「生け垣」などといいます。また、木製の柱を数本立てて、貫を通して遮断するものを「柵」といいます。しかし、この柵は隙間があり、向こうを覗くことができますが、表面が塗り固められている物には「壁」や「塀」というようです。
この時、何で塗り固めるかによって、いろいろな壁があるようです。以前のブログでも書きましたが、寺子屋では、子どもの気持ちを落ち着かせるために緑の生け垣で周りに壁を作ったとある資料に書かれていました。今は、環境にやさしいということで、緑の生け垣に補助金を出しているところがあるようです。
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今回訪れた京都の蓮華王院(三十三間堂)の境内南端に南大門がありますが、これは豊臣秀吉が1595年に造立した大仏殿方広寺の南門として築いたものと伝えられています。それに続く築地塀は、瓦に太閤桐の文様を用いていることから、通称「太閤塀」といわれているものです。築地塀(ついじべい)とは、土を突固め、上の屋根をかけた土塀で、宮殿・社寺・邸宅に用いられる塀のことです。この太閤塀は、桃山時代に造営されたもので、重要文化財になっていますが、桃山文化の影響をにじませた優雅さがあり、南大門と素晴らしい調和を見せてくれます。
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 以前、熱田神宮に行ったときに、その境内の目立たないところに「信長壁」という壁の一部がありました。今は、壁の役目はしていませんが、桶狭間の戦いで勝利した織田信長が、後に戦勝祈願の満願として、この壁を奉納したということで「信長壁」と名付けられています。
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この壁ともう一つ西宮神社大練塀を入れて日本3練壁というそうです。練塀とは、塀の中に瓦を横に並べて入れた土塀を特にそう呼ぶそうです。ここの壁は見たことがありませんが、室町時代初期再建で、日本最古の築地塀だそうで、重要文化財に指定されています。
 あと、東京にも築地壁が残っているところが何箇所かあります。たまたま港区の三分坂を歩いていると、その坂の途中にきれいな築地塀がありました。塀もなかなか面白いものです。
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