食事

昨日のブログで、なぜ突然にお弁当の話題になったかというと、区内の栄養展に掲示する展示物を調理の職員含めて数名で遅くまで作っていたからです。大きな模造紙に写真で、園で行っている取り組みを紹介するものです。全体のイベントとしては、「しんじゅく 食育フェスタ2009 ?見て、笑って、食べて“やさい”のチカラを発見!!?」と題して、身近なところから食の大切さや、健康づくりと食べ物について体験できるイベントです。
近年の我が国の食をめぐる状況の変化に伴う様々な問題に対処していくため、平成17年6月、「食育」に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、現在及び将来にわたる健康で文化的な国民の生活と豊かで活力のある社会の実現に寄与すること等を目的として、食育基本法が公布されました。食育基本法では、食育は、生きる上での基本であって、教育の三本の柱である知育、徳育、体育の基礎となるべきものと位置付けられるとともに、様々な経験を通じて、「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てるものとして食育の推進が求められるとされています。
これを受けて、今年の4月1日に施行された新たな保育所保育指針では、保育所における「食育」は、「健康な生活の基本としての「食を営む力」の育成に向け、その基礎を培う」ことを目標として、子どもが毎日の生活と遊びの中で、食に関わる体験を積み重ね、食べることを楽しみ、食事を楽しみ合う子どもに成長していくことや、乳幼児期にふさわしい食生活が展開され、適切な援助が行われるよう、食事の提供を含む食育の計画を作成し、保育の計画に位置付けること等に留意して実施しなければならないとしています。
また、子どもの生活の場である保育所においては、毎日の給食が重要であり、友達や保育士とともに喜んで食べることが心とからだの栄養となるとし、年齢や発達過程に応じて、食事の環境を様々に工夫し、明るく楽しい食事の場にするとともに、子どもが食材への関心を持つように環境を構成するようにとしています。
いろいろなことをいいますが、本来もともと食べる楽しみは人にはあるはずです。それは、もちろん生きるための手段ではあるのですが、それだけを意識して食べているわけではありません。2004年11月号のエデュカーレで「あるフランスの保育園に学ぶ」という研究会報告がありました。そこにこんなことが書かれてありました。
「この保育園では、一人でスプーンを使えるようになったら、自分で食べたい量を取らせます。最初は取りすぎたりすることもあるけれど、それを繰り返していくうちに、自分が食べられるのはこれぐらいというのが、だんだんわかっていく。また、子どもによっては、逆にちょっとしか取らない子やちょっとしか食べない子がいて、そういうときには、先生が、もうちょっと、と言うことはあります。自分のおなかの空き具合と取り分ける量は、やっていけば子どもにもわかるようになる、と保育士は言っていました。」
私の園でも、3歳以上児では昼食の時に自分で食べたい量を当番の子に申告してよそってもらいます。フランスの保育園同様、最初はほんの少しの子もいますし、取りすぎる子もいますし、好き嫌いを言う子もいます。しかし、昨日の夜、調理と話しながら資料を作っていたときに、その方法によって、本当に子どもたちはたくさん食べるようになり、好き嫌いもなくなってきているという話を聞きました。そして、何よりも昼食の時間が来るのを楽しみになってきたようです。
 しかし、子どもにぜひ食べるように声をかけてほしいという要望が新入園児の保護者からあることがあります。声をかけないと食べないからという理由からです。また、ほかの園で、子どもに自分で量を決めるやり方に猛烈に反対する保護者がいるということを聞いたことがあります。指針にも「喜んで食べることが心と体の栄養となるとし」と書かれているように、逆に言われて食べることは、心と体を壊すことがあります。そのために、「食事の環境を様々に工夫し、明るく楽しい食事の場にするとともに」と書かれてあるように、食事の場の持ち方が栄養にずいぶん影響するものです。栄養価、栄養素、摂取量ばかり言いすぎている気がします。

食事” への5件のコメント

  1. 3歳以上児が自分の食べる量を言って盛りつけるようにしてから、子ども達の食べる量が増えました。たくさん食べてとか、これも残さず食べてとかを言うよりも、やり方や考え方を変えることのほうが効果があることを実感しています。子どもたちはこれとこれを食べないと栄養が足りないとか考えているわけではなく、自分で体に必要なものをちゃんとわかっているんだろうと思います。大人のように頭で考えて食べてはいないと思います。楽しんで食べることを邪魔してしまう行き過ぎた栄養論は、子どもの食事をおかしくしてしまうと思っています。

  2. 10月23日、福島少子化担当大臣が新宿せいが保育園を視察されたというニュースを内閣府のHPで見ました。福島大臣、藤森先生のお話を身を乗り出して聞いておられますね。新政権には是非子どもの幸せのための施策をお願いしたいところです。大臣は給食はご覧になりましたか?新宿せいが保育園の食育が、食についての学びだけでなく、コミュニケーション能力や問題解決能力まで自然に身につけることができるように工夫されていることに驚かれたと思います。食を通じた人間力の向上こそが、今求められていると思います。

  3.  確かに子どもの頃の食事というのは、楽しく食べる事が大切だと思います。それは大人になった今でも食べる事は好きですし、好きな事は、やはり楽しくなければ意味がないと思います。それを、子どもの時から、食事の時間は嫌いな食べ物を無理やり食べないといけない、という印象を与えてしまっては、かえって食べる事が嫌いな人になり、それこそ偏った食事になってしまうと思います。そう考えると食育というのは、とても大切な事ですし、食に興味を持つ為にまずは、楽しいという事を知ってもらうことが、食育の第一歩だと思いました。

  4.  食事は生きるための原点だと思います。そして食べることの多くは、生き物の命を頂く行為です。だから楽しく食べると同時に、大事に食べるということを子どもに伝えたいと思います。これはなかなか言葉では伝えにくいので、大人になる前に、農作業や家畜の世話を一定期間体験することが大事だと考えます。私は高校のとき農業畜産科に通いました。毎年秋の収穫感謝際の時期に、卵を生まなくなった鶏を、絞めて唐揚げにするという授業がありました。放課後には牛舎にいって搾乳をよく手伝いました。このような経験をすると、おのずと食べ残すことはもったいないという感覚が身に付くと思います。
     学童のこどもや保育園でも一番上のクラスあたりで、生きた鶏を絞めて、調理して食べるという経験をすることはできないものでしょうか?食べるという行為と命の関係について学ぶチャンスだと思うのですが。こどもへのショックや保護者の反対などで、やはり難しいのでしょうか・・・。

  5. 中学生に保育園時代を振り返ってもらったことがあります。ほとんどの中学生が覚えていることはネガティブなこと。先生にひどく叱られたこと、昼寝もしたくないのに昼寝を強要されたこと、そして給食。もちろん、食べたくないモノを無理に食べなければならなかったこと。嫌だから無言の抵抗で床に食材を落としそれが先生に見つかり落としたモノを食べなければならなかったこと。聴いていて胸が苦しくなります。ある小学生はバナナが嫌いでした。保育園の頃は無理して食べていたようでそのトラウマでしょうか、強制がなくなった後はひどくバナナを嫌うようになりました。今でもよく訊かれることですが「嫌いなものは食べさせないのですか。栄養が偏るのではないですか。」こうした質問を耳にするたびに小学生や中学生が語った以上の話を思い出します。「食育」が大人の「思い込み」の道具に利用されないことを祈るばかりです。

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