霍乱とマスク

 今日、職場で少し熱っぽい職員が相対をしまいした。今はやりの新型インフルエンザではなさそうですが、それでもあまる普段病気になりそうもない丈夫そうに見える職員なので、私が「それって、鬼の“かくらん”じゃないの」と冗談に声をかけました。すると、その場にいた若い職員はその言葉を知らない人が多かったのですが、最近はあまり使わなくなっているのかもしれません。この“かくらん”は、“霍乱”と書きます。かくらんというと“攪乱”という字が先に出てきます。こちらの時のほうがよく使うのでそう思ってしまいますが、“攪乱”とは、「かき乱すこと。混乱させること」という意味で、よく、「敵を攪乱する」などと使います。しかし、この意味では、本来の読みは「こうらん」というなしいのですが、今ではほとんどの人が「かくらん」と読んでいるようなので、「大辞林 第二版」では、「かくらん」という項目があり、「こうらん(攪乱)」の慣用読みとしています。
 ということで、「おにのかくらん」は、「鬼の霍乱」と書きます。この時の「霍乱」は、   中国では嘔吐や下痢を起こす急性消化器疾患の総称とされていました。それを日本では一般に日射病や暑気あたりのことをいうようになりましたが、古くは腹痛や嘔吐を伴う急性胃腸病をさしたそうです。今は、気あたりによって起きる諸病の総称として使います。また、「鬼」というイメージは、非常に勇猛な人、あることに精魂を傾ける人、無慈悲な人、などに使われます。ということで、そんな丈夫そうな人が病気になることはないだろう、ましてや日射病などにはなりっこないのに、なってしまうことから、「いつも非常に健康な人が、珍しく病気にかかることのたとえ」として使われます。
 最近の新型インフルエンザの対応は仕方ないとはいえ、行きすぎのところがある気がします。先日、インフル対策として聴衆に全員マスクをかけて聞くようにということを注意されたなかで講演しました。私が普段講演するときには、原稿を見てしないことにしています。それは、聞き手によって、その表情、反応などによって話題を変えることがあるからです。それは、聞き手の地域、年齢層などによって興味のあるところが違うからです。話しながら顔の表情を見るのですが、マスクをしていると目のところしか見えません。すると、なんだかみんな怒っているかのように見えます。興味のなさそうな顔に見えます。あとで、とてもよかった、とてもわかりやすく頷くことが多かったと言われて安心したのですが、話している最中は反応が心配でした。人は、目元だけでなく、口元を含め、顔全体で気持ちを表すのだということがよくわかりました。
 少し前にある保育園に園内研修で伺ったときに、区からの指示で職員が全員マスクをして保育をしているという話をしていました。食事の時までマスクをしているのだそうです。そのときに、まず、誰のためにマスク着用が指示されているのか不思議に思いました。もちろん、職員が罹患の恐れがあるときにはマスク着用が効果的ですが、そのときにはそんなことをするよりも休んだ方がいいと思います。それとも、子どもからうつらないようにするためでしょうか。そのために保育に必要な表情を子どもに見せずに、自分を守っているのでしょうか。1日中マスクをし、何週間もマスクをして保育をすることは、子どもにとっては機械に見てもらっている感覚になってしまうでしょう。楽しいことをしても楽しい表情もせず、うれしい表情もせず、目元だけを見せて、いつも怒っているような印象を与えかねません。保育は、人と人とが 関わることで成り立ちます。それを、予防という対策から避けるべきではないと思いました。

霍乱とマスク” への5件のコメント

  1. 「鬼の霍乱」という言葉は私も知りませんでした。その場にいたら「え?」となっていたと思います。新型インフルエンザの対応ですが、私も同感です。春から始まったにも関わらず、ワクチンなどの十分な準備ができなかったのも行きすぎな対応に手間と時間をかけすぎたこともあるんではないかと思っています。ただ、マスクをかけたときの表情については、そんなに多くのマスクをかけた人と一度に向き合ったことがないので感じませんでしたが、確かに怖いかもしれません。目は口ほどにものを言うという言葉がありますが、あれは目だけ出ている場合の話ではないですよね。いろんな面から物事を考えないと何を犠牲にしてしまっているか気づけません。多数の声に簡単に流されるのではなく自分で考えられるように、考えの幅を少しずつでも広げていく努力は必要だと感じています。インフルエンザに対して決して軽視はせず、子どもと関わる立場でどういう対応をとればいいか、ちゃんと向き合いたいと思います。

  2. お題の趣旨から少し逸脱するかもしれませんが、あいやま先生のお書きになったように、目だけでなく表情が感情を表現するという意味がよくわかりました。
    わたくしは、藤森先生がご講演されるときの、ちょっと首をかしげ目線を配るしぐさや、声のトーン、お話しの仕方が大好きで僭越ですが、無意識に従業員にマネをして話すことがありますが、説得力が増したのではないかなどと自己満足しています。
    笑顔はあいやま先生の笑顔が大好きでマネをしてみたのですが、周囲や家族からわたくしの笑顔は怖いと言われ逆にへこんでいます。
    この年までジャニーズ系の顔だと思い込んでいた自分が間違っていました…鬼瓦なのだそうで、がっくりなのであります。

  3. 新型インフルエンザが発生した園では、園長先生以下、職員の方もマスク姿で仕事をされています。そんな園に行くときに、自分もマスクをつけようか迷いますね。営業マンがマスク姿というのもなんだかなあ。そもそも、目の前の方のマスクは、健康な人の自衛策なのか、患者が他人への感染防止のためにするのか…。前者なら、私を見る目が疑いの目にも見えるし、後者なら急いでこちらもマスクをつけないといけないし…。なんかいつも妙な気持ちになります。まして、せっかくの藤森先生の講演をマスク姿の集団が目だけをギラギラさせながら聞いている姿はやっぱり尋常ではない。「マスク」というのは、人との関わりをあらためて考えさせられます。

  4.  「鬼の霍乱」という言葉は私も初めて聞きました。私が知っている攪乱と同じ読みでも漢字が違うことで中国の病気の総称になるのですね。
     さて、新型インフルエンザですが、本当に敏感になりすぎているような気がします。今では、色々な施設に入るところに、ほとんど言っていいほど、手の消毒液が置いてあります。なんだか全ての施設が病院の病室に入るような気がします。マスクを着用するのも間違ってはいないかもしれませんが、講演などで聞き手側が全員マスクをしたり、子どもの前でずっとマスクをするのは、おかしいですね。予防と言ってマスクをする事で、本来の目的を忘れたり、相手に悪い印象を与えてしまう場合もあります。もう少し予防という事を見直す必要があると感じました。

  5. 久々で聞く日本語「鬼の霍乱(おにのかくらん)」に、思わず言われた方のほうを見やり・・・そして視線を戻し・・・。「カクラン」。音では知っていましたが漢字で書け、となると果たして書けるか?多分無理だろうな、と思った次第です。普段丈夫な方に投げかける驚きの表現。普段から病気がちな私はおそらく投げかけてもらえることはないですね。「鬼の霍乱」と言ってもらえる人が羨ましい。さて、先日は新型インフルエンザ+肺炎+気管支喘息を併発し入院した息子に付き添いました。息子も私も家内も看護師も医者も全員マスク!掃除のオバサンももちろんマスク。オールマスクは流石に異様なものを感じましたが、事情が事情であるから致し方ありません。この新型インフル騒ぎが終息するまではマスクは手放せません。

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