灯火

少し前のブログで、皆さんは何の秋を思い浮かべるかという話題を書きましたが、やはり、「読書の秋」というのが老舗の気がします。確かに、すでに1918年(大正7年)9月21日の『読売新聞』には「読書の秋」という表現が使われているそうです。どうして、秋と読書が結びついたかというと、古代中国の韓愈が詠んだ「時秋積雨霽、新涼入郊墟。燈火稍可親、簡編可卷舒。」(降り続く長雨がやんで、空がすっきりと晴れ渡り、郊外の丘の上では、秋を感じさせる涼しさが感じられる。そんな秋の夜長は、明かりをつけて、そのもとで読書をするのに適している季節です。)という中の「灯火親しむべし」からだと言われています。出典は、中国の文人で唐宋八大家のうちの一人である韓愈の「符読書城南」(『全唐詩』341巻)です。彼が、息子に対して勉強を勧めたことばだとされています。
この中の「新涼」という言葉は、とてもさわやかさを感じます。「全訳漢辞海 第二版」によると、「初秋のころの涼やかさ」とあり、「秋はじめて催す涼しさをいう。夏の暑さの中の一時的な涼しさと違って、よみがえるような新鮮な感触がある。秋涼し。秋涼。」との説明がされています。また、「灯火」という言葉も、「明かりの下で」ということで、「灯下」と書きそうな気がするのですが。
 終戦まもない昭和22年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回「読書週間」が開催されました。そして、翌年の第2回から来週火曜日の10月27日?11月9日の文化の日を中心にした2週間が「読書週間」と決められ、日本の国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。
しかし、この「読書週間」も戦争によって翻弄されます。実は、関東大震災の翌年の大正13年、11月17日から23日までの1週間を日本図書館協会が「読書週間」として開始しました。それが、昭和8年に「図書館週間」と改称され、出版界ではそれと密接な連携を保ちながら「図書祭」を計画し、当時の東京商科大学一橋講堂で、祭典が行われましたが、そのとき祝辞を述べたのが、鳩山一郎文部大臣でした。しかし、日中戦争の影響で昭和13年、読書運動は、11月10日の国民精神復興に関する詔書煥発記念日に改められ、政府の「国民精神復興週間」に変わって行きます。「図書館週間」も、昭和14年に文部省が発令した「一般週間運動廃止令」によって禁ぜられましたが、何とか、「読書普及運動」と名称を変えて、11月8日から12日までの5日間の開催で継続を計ります。しかし、ますます悪くなる時局の緊迫化から、読書週間、図書館週間ともこの年で終止符を打つことになってしまったのです。
それが、敗戦後の昭和22年に復活するのです。その後、この年、毎日新聞社により「毎日出版文化賞」が創始され、昭和28年には、学校図書館協議会の提唱に共催して「青少年読書感想文全国コンクール」がスタートします。
こんなに大切にされてきた「読書」ですが、次第に本を読まない若者が増えてきました。若者だけでなく、時間がないからといって本を読まない人も増えているようです。夜長の秋ではなく、夜短の秋のような生活をする人が増えていることは、心に余裕がなくなり、イライラする人が増えてきたことと関係があるかもしれません。

灯火” への4件のコメント

  1. 新涼の意味の「よみがえるような新鮮な感触がある」という表現はいいですね。自分の感覚にもしっくりきます。こうした表現に出会うと、季節を大事にするということは、言葉を大事にすることでもあるのかもしれないと思えてきます。そんなことを考えていると、ゆったりとした気持ちになってくるから不思議です。逆に「時間がない」を使ってしまうと正反対の気持ちになります。どんなときでも楽しむ気持ちは大事にしていたいと思います。そうしていると「時間」は生まれてくるんじゃないかと、根拠はありませんがそう思っています。

  2. 読書は好きですね。家内は「あんたは活字中毒だ」と言います。文庫本で月に2冊は読んでます。どうも最近は、この臥竜塾に刺激されて本を選んでいるようで、教育・保育の専門書や歴史物が多くなってきました。ただ何となく本を読むよりも、目的を持って取り組んだほうが張り合いが持てるようです。イギリスのサセックスの大学の研究では、心拍数から読書・音楽視聴・一杯のコーヒータイム・テレビゲーム・散歩それぞれのストレス解消効果を調べたところ、読書が68%で一番効果が高かったそうです。確かに、いらいらした時に、お気に入りの本を静かなところで読むと落ち着きますね。

  3. 読みたい本がたくさんあって、こちらを少し読み齧り、あちらをまた少し読み齧り、さらにそちらに手を出し、・・・なんだか読書に節操がありません。まぁ、私の場合、年から年中こんな感じですから「読書の秋」と言われても実のところピンと来ないというのが本音です。かねがね「なんで秋に読書?」とは思っていました。今回のブログでそのことがよく分かりました。大正7年読売新聞初出。古いですね。しかも典故は韓愈の唐詩。「読書の秋」の奥深さを思い知ったところです。しかも今回のブログにより「読書週間」等読書啓発の歴史を知ることもできました。「心に余裕がなくなり、イライラする人が増えてきたことと関係」がある読書離れ。さもありなん、との感慨を持ちます。文字を追うという読書作業には冷静沈着さが求められますね。

  4. 小学校の頃に「秋の読書週間」というものがあった気がします。だからと言って本はあまり読む方でなかったので、読んだ数は少なかったのと、すぐに眠くなってしまいます。ですが何冊かは図書室で本を借りていると思うのですが、どうも記憶が思い出せません。ただ図書室に行って図鑑などの本は読んでいたのを覚えているのですが・・・。よくテレビのドラマなどで、木が紅葉になった広い公園のベンチで、一人静かに本を読んでいる風景を思い出しました。それくらい心の余裕を持って本を読んでみたいと思います。

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