城と樹木

 国宝と世界遺産に登録されている姫路城についてのブログを書きましたが、もうひとつ、国宝に指定されていて、平成6年、世界文化遺産に登録されたのが二条城です。ここには、国宝の二の丸御殿、国の特別名勝の二の丸庭園のほか、数多くの重要文化財の建造物が残っています。明日の講演のために前泊したホテルの近くに、その二条城があり、今「二条城お城まつり」が開催されているので、覗いてみました。
nijojo.JPG
 ブログでも様々な城がテーマになりますが、城といっても、敵の攻撃を防ぐために築いた防御施設のことで、必ずしも天守閣を持っているわけではなく、柵を巡らせただけというものもあります。また、平和の時代になって、敵の攻撃から守るというよりも権力を誇示するために建てたものもできてきます。そんな様々な城の中で、私たちが「城」といって思い浮かぶイメージは、大体は、戦国時代末から安土桃山時代をへて、江戸初期に至る半世紀ほどの間に築かれたものです。このころの城は、全国に3000城位もありました。それが、大阪夏の陣直後、徳川幕府による「一国一城令」が出され、その数は一挙に約170城まで減少してしまいます。
なお、悪いことに明治維新になると、明治新政府によって明治6年城郭の廃城令が明示されて、明治7、8年頃には約三分の二の城郭が廃城となってしまいました。そのあとも、戦争によって破壊されたものも多く、大切な文化遺産が消されていったのです。しかし、戦後になると、城の歴史的価値は見直され、またすぐれた観光資源として見直され、焼失した天守閣や櫓・城門などの再建・復興が相次ぎました。
二条城は、ほかの城とちょっと違った用途として建てられました。慶長8年(1603年)、徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして完成したものです。ここでは、豊臣秀吉の残したもの、家康が建てた建築、家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合されているだけでなく、徳川の最後である大政奉還の舞台になるなど日本の歴史の移り変わりを見守ってきた城です。
この城内庭園にはいろいろな木が植えられています。それらの木にはそれぞれ利用価値があったようです。以前ブログで紹介した熊本城の別名「銀杏城」とは、加藤清正が篭城戦になった時の食料確保のため、築城時に植えた大銀杏があるからだと言われています。二条城には、非常時のために植えられている木があります。松は、ブログで書きましたが、縁起の良いということもありよく城に植えられますが、もうひとつ、たいまつに利用されていたそうです。また、説と違って、熊本城の銀杏は雄の木で実はならないそうですが、実を食料にするために植えられた木はたくさんあります。二条城には、あらかし、しいのき、うばめがしがあります。先日、私の園でもしいの木の実であるどんぐりのクッキーを子どもたちと作って食べました。ほかに、燃料に利用したものに、くすのき、いちょう、けやき、むくのき、えのきなどがあります。もちろん、木は主に燃料にしたのは当然でしょうね。また、ひのきは建築用、なぎのきの葉は鎧の中に入れて戦えば死なないと言われていました。
 あと、なぜだかわかりませんが、3代将軍家光の時代、鍋島藩の鍋島勝重公が、後水尾天皇行幸に先駆け、蘇鉄を1本献上している記録があります。8代将軍徳川吉宗の時代の二の丸庭園の絵図には、二の丸庭園には15本もの蘇鉄が植えられていたことが描かれてあるそうです。
nijojosotetu.JPG
場内にも、大広間と黒書院をつなぐ渡り廊下の壁面及び出入口の杉戸の蘇鉄が描かれていたため、蘇鉄の間と名づけられています。
 樹木から城を見るのも面白いかもしれません。