安兵衛

地名を聞いて、何を連想するかということで、年代がわかります。私の園がある「高田馬場」と聞いて何を連想するでしょうか。現在のJR高田馬場駅の発車メロディーは、鉄腕アトムの旧シリーズのテーマ曲ですが、それは手塚治虫が社長を務めた手塚プロダクションが高田馬場にある事と、お茶の水博士が長官を務める『科学省』が高田馬場にあったという設定から選定されています。また、学生の人からは、早稲田大学の町という印象があります。駅を出たところの通りは「早稲田通り」といい、早稲田大学に通じています。その道沿いには、古本屋やあの漫画のフクちゃんもかぶっている「早稲田帽」といわれる角帽を売っている店もあります。しかし、今はほとんど学生相手の飲食店が多いのですが。
しかし、駅名は、赤穂浪士四十七士の一人堀部安兵衛の伝説となっている決闘があった事で知られている高田馬場から取っています。しかし、この決闘は講談などでよく語られていたために、今での若い人はほとんど知らないようです。また、私の年代でも、堀部安兵衛が駆けつけた場所というくらいの認識しかありません。しかし、先日岡山から姫路に向かう途中、赤穂に寄った時に改めて堀部安兵衛のことを思い出しました。
yasubeketto.JPG
私がうろ覚えしている講談での名文句「ひた走る堀部安兵衛」の下りの高田馬場の決闘は、元禄7年(1694)2月11日といわれています。
だいたいの話は、中山安兵衛が、叔父・甥の契りを結んだ菅野という人の決闘に駆けつけて助太刀に入り、相手を十六人斬りしたというものです。なぜ、駆けつけなければならなかったのかというと、決闘相手が菅野を慌てさせる為に直前に決闘状を投げ入れたところ、菅野は、決闘に遅れては武士の恥とすぐに行こうとしますが、その前に叔父甥の契りを結んだ安兵衛のところに別れを告げに行くと、安兵衛は前の晩から飲んでいて、別の場所で酔いつぶれて眠っていて留守でした。そこで仕方なく菅野はその場で文を書いて残していきます。昼近くなってから目が覚めた安兵衛が、菅野の文を読むや「すわ一大事」と慌てて走って、走って、走って、高田馬場までひた走るのです。
それがなぜ赤穂浪士の一員になったのかというと、この決闘を見ていた赤穂家の家臣であった堀部弥兵衛という人が、安兵衛をぜひ自分の養子になって欲しいと熱心に頼みます。その熱意にほだされて、安兵衛は堀部の家に養子に入り、堀部安兵衛となります。その7年後の(1701年)元禄14年に赤穂藩主浅野内匠頭長矩の刃傷事件が起きるのです。そして、その翌年、赤穂浪士による吉良邸討ち入り事件が起きます。
yasubezo.JPG
この決闘の場であった高田馬場には、旗本達の馬術の練習場であった馬場がありました。享保年間には、この馬場の北側に松並木が造られ、農民たちが多く訪れたため8軒の茶屋が有ったといわれています。この馬場の一角の茶屋町通りに面したところが安兵衛が叔父の菅野六郎左衛門の決闘の助太刀をしたとされるところです。
そんな高田馬場ですが、先日の新聞にこんなことが掲載されていました。私の園は、高田馬場から目白に向かったところにあるのですが、JR山手線の高田馬場駅から目白駅の間には、車窓から富士山を眺めることができた唯一のスポットがありました。大気が澄んだ冬の早朝などに車窓から南西の方角を見ていると、ビルの間にほんの1秒足らずでしたが、頂上周辺が垣間見え、希少な眺望だということで人気を集めていました。それが、今年の夏以降、商業ビルが建設され、見えなくなっていることが分かったというニュースがながれたのです。
 高田馬場も変わっていきます。