紙芝居2

 高橋五山が、「幼稚園紙芝居」全十巻を出版したのは昭和10年(1935)でしたが、当時の紙芝居に対する世間一般の考え方は、「不潔、教育上よくない」というもので、五山の自伝の中で「街頭紙芝居がつくった紙芝居は不潔。非教育的という概念に固まった幼児教育者に、教材としての効用を説くのに骨が折れた」と述懐しています。そのために、訪問販売に切り替えるのですが、門前払い同様な扱いを受けたこともあったようで、彼の会社である「全甲社」は倒産の危機に陥ります。
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 そんな昭和11年、「街頭紙芝居に蔓延するグロテスクな強い刺激は、子どもの教育的見地から見過ごすことができないということで「子どもたちのありのままを、作文という行為をとおして、真に自分の頭で考える子どもを育てよう」という「綴り方運動」と連動して「日本紙芝居連盟」が発足します。このころから、日本は戦争に突入していきます。当然、紙芝居は戦争協力を惜しまない国民を作り上げるために利用されていきます。いわゆる「国策紙芝居」がつくられていくのです。そして、昭和15年、大手新聞社の出資のもと「日本教育画劇株式会社」がつくられます。その時の紙芝居は、事前に内容の検閲を受け、裏の説明文は一切のアドリブは禁じられ、その通りに読むことが義務付けられます。
 それが、戦後になると一変します。民主主義になり自由になったかというと、今度は、「民主紙芝居人集団」が結成され、民主主義を説く内容は、今度、連合国軍総司令部によって検閲され、忠君愛国的なものや、残忍なもの、特に「血」を描くことは禁止されました。なかなか、子どもの世界に戻って行きません。それが、戻り始めるのは、やはり「黄金バット」が戻ることによって、街頭紙芝居が戻ってくるのです。ただし、黄金バットも「悪を懲らしめる金色骸骨マスクの超人」から「新しい日本と世界平和を守るヒーロー、まさに正義の味方」としての復活でした。
 昭和24年、GHQによる検閲が廃止され、今度は思想面からの取り締まりではなく、質を保つために免許制度にしました。しかし、グロテスクな絵とか内容はどんどん増えていきました。一方、紙芝居は学校教育にもさかんに取り入れられるようになりました。伝記、偉人伝、自然観察、道徳教育、理科紙芝居などです。有名文学を原作とする国語紙芝居は補助教材として活用されていきました。ところが、昭和42年に文部省から出された「第一次教材整備十ヵ年計画」によって、紙芝居を学校から後退させました。そこで、数社あった紙芝居出版社も後退していきますが、残った童心社等は、学校から幼稚園や保育園での紙芝居利用に力を入れるようになって行きます。
 日本独自の子ども向け文化を、世界絵本博覧会で紹介したり、その普及に力を注ぎ、紙芝居を通じて、文化交流が行われています。特に、ベトナムやラオス、フランス等でも盛んになっています。「KAMISHIBAI」は、世界の人々の心をとらえつつあります。
 高橋五山にちなんで、毎年優秀な紙芝居におくられる「五山賞」があります。昨年度は該当なしでしたが、一昨年は、童心社から出された「おじいさんといぬ」(藤田勝治作)が受賞しています。姫路文学館での展示会では、係員が拍子木をたたいて子どもたちを集めていましたが、その音を聞いて、昔を思い出しました。
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