小さな島1

 高松での研修の一環である直島への訪問は、大学時代からの念願でした。直島は、行政域としては香川県に属していますが、生活圏は岡山のようです。というのは、私たちが訪れる時に利用した高松からのフェリーは、1日に数本で、1時間かかりますが、岡山からはもっと本数が多く、近いようです。
 瀬戸内海に浮かぶ小さな島・直島は、現在、様々なアートプロジェクトが実施され、注目を浴びています。島丸ごと現代アートといった感で、世界中から観光客が訪れています。しかし、私が直島を知ったのは、今から30年ほど前に、当時の直島町長であった三宅親連さんが、島に文教地区を作ろうということで幼保小中を整備したことでした。まず、着手したのが、明治18年開校の高田小学校の老朽化と直島町百年を契機に、小学校改築問題でした。そのときに、この改築だけではなく、直島町の将来について熟議された文教地区計画を作成し、その一環として、昭和45年、新しい期待を担って直島小学校が落成しました。その計画とは、町勢の充実・町民融和・文教重視のシンボルとして直島の中央に建設される文教地区構想の中で、直島小学校は、幼?小?中?高?社会教育を結ぶ一環としての小学校という位置づけです。そのために機能発揮に設計上とくに配慮が必要とされ、東京大学吉武泰水教授に依頼し、設計された建物は、学校建築では他に例を見ない「自然を大きくとり入れた、すぐれた環境」という教育目標が設計面でも実現されています。
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その後、昭和48年度、直島幼稚園が改修され、ここに、町の幼児教育のあり方を抜本的に改革した新園舎が文教地区に完成しました。その試みの一つは、それまで行政上二次元化されていた幼稚園と保育園を一つの学園とし、幼児の教育と福祉の機会均等をはかり、運営上の一元化をはかるもので、幼・保それぞれの長所を生かしつつ、幼児のしあわせをはかる理想的な幼児教育の場をめざしたのです。その時の設計で目指したものは、幼児の発育と心理をつかんだ幼児教育にふさわしい建築、一斉保育から自由保育への脱皮をめざした設計、そして、文教地区構想の一環として最高度の設計による園舎の建築でした。このころの思いは、無限の可能性を秘めた幼児。その可能性の芽生えを大事に育て、伸ばしたいという願いが込められていたのです。
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その後、昭和57年度にその幼稚園のとなりにセミ・オープンスクールとして保育園が建設され、幼児学園との間に中庭をつくり、幼児学園と保育園が個々の建物ではなく、全体として調和がとれるように設計され、一斉保育から自由保育への脱皮をめざしました。ここでは、幼児の無限の可能性の芽を大事に育て、伸ばすために、幼児の教育と福祉の機会均等をはかり、幼・保それぞれの長所を生かして、幼児のすこやかな成長をはかっていかなければならないと願いを込めて建てられました。
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そのような試みに、学校建築を研究していた私は、まだ保育の世界には足を踏み入れてはいませんでしたが、新しい時代の幼児教育から、小中学校教育を垣間見る気がしたものでした。その幼児学園を今回見ることができたのです。建物はずいぶんと古くなり、園児は極端に少なくなっていましたが、その設計上の試みは今でも決して薄れることはありませんでした。しかし、環境は変わらずにありますが、そこで展開される幼児教育のソフトにはかなり課題が見えました。というのは、設計の意図は、使う人にとってはなかなか理解しがたく、かえって使いにくい空間として持て余しているかのようで、残念でした。