私は食べ物には好き嫌いはありませんが、割と好きなものがいくつかあります。その中に「麩」があります。今日の昼食は、その麩の会席料理をいただきました。
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天平時代、中国では僧侶が「ひき割小麦」を水で練り、十分にこねてから水の中で洗い「小麦でんぷん」と「小麦たんぱく」 に分離していました。そして、小麦のことを「麺」と呼び、その小麦の「筋」という意味で「小麦たんぱく」は「麺筋」と呼ばれていました。その名は、宋代に書かれた『夢渓筆談』にも登場しています。現代の中国にはまだ「麺筋」の言葉がそのままで残っています。その「麺筋」という呼び方でグルテン(小麦粉に水と塩を加え、デンプン質を洗い流した後に残った、チューインガムのような硬さをもつ小麦蛋白質のこと)が、室町時代の初期に、明との間で行っていた勘合貿易に伴い日本に伝わってきました。中国では、肉・魚を食べることができない禅僧の貴重なタンパク源として重宝されていましたが、日本でも当時は仏教の厳しい戒律から、禅僧たちは、殺生禁断、肉食を断っていました。そのため、 肉に代わる栄養たんぱく源を「大豆」「小麦」に求め、大豆は「豆腐」や「湯葉」として、小麦は「麸」として珍重されました。
しかし、当時は小麦の作付けは少なく 「挽き割小麦」は高価で、一般には口にする事は出来ず、宮中や僧堂でせいぜい仏教の祭事や「精進料理」などで使われる程度でした。当時の麸は、麺筋を玉にとり、大きな釜でゆで上げて食べられていたのが多く、 他に煎麸、炙麸として用いられていたことが古書籍や古文書に残っています。鎌倉時代になると、日本でも麩が普通に食べられ始めました。そして、桃山時代に入ると「ふのやき」と呼ばれるものが文献にも現れ始めます。この「ふのやき」は麺筋を焼いたもので、当時としては大変珍しいものであり、料理の素材ではなく、お菓子でした。千利休の催した「天正茶会百席」には、お菓子として「ふのやき」が多く供されていることが、当時の「茶会記」に誌されています。これは、「麩」を焼いた茶菓子を出した事から「焼麩(やきふ←あんぺいふもこれ)」ということで、当時は「焼の麩」と呼ばれました。そして、江戸時代中期ころには、麩にもち粉などを練り合わせた「生麩」が生まれ、その頃には麩は、庶民の間でもよく使われる食材となっていきました。
今回昼食でいただいた中に車麩の酢のものと、生麩の揚げ物がありました。
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  生麩の揚げ物と車麩の和え物と、麩のステーキ
麩は、とても栄養価の高い食品であることはなんとなくわかりますが、実際にはどのような栄養素かと言うと、車麩のエネルギーは387kcal、水分は11.4g、たんぱく質ははやり30.2 gと非常に高く、脂質は3.4g、炭水化物は54.2g、灰分0.8gです。
そのほかにも料理にはいろいろなこだわりがあります。 女将がこんなことを言っています。「当店の麩は国産小麦100%で製造し、添加物を一切使用していません。また、料理は、食べてお腹が満足出来るだけでなく、見て楽しみ、口で味わい、空間を楽しむそんな楽しみ方が出来る場所をみなさんに提供して行きたいと思っています。私はお花が大好きでオブジェ作り、お花の楽しみ方のお話をお客さまとお話して盛り上がる事も多いですね。」
学校給食にも、このような配慮が必要でしょうね。摂取量だけが課題ではないですから。