遊びと自然

子どもの権利条約「第31条」には、「休み、遊ぶ権利」が書かれてあります。「 締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める。」
それぞれの子どもたちのために、その年齢に適した遊びを用意しなければなりません。それは、決して、管理しやすいとか、危険が少ないとか、汚くないとかいうような大人の都合でつくられるのではなく、あくまでも子どもにとってどうかを考えなくてはなりません。しかし、それは単に子どもが好きかどうかということではなく、人間の成長にとって大切な遊びの重要性を考え、提案しなければならないのです。そんな意味で、児童遊園がつくられているでしょうか?
子どもにとっての最高の遊びの遊具は、自然界にある火、水、木、土だといわれています。これらを、どのように公園に生かし、子どもたちが自然と触れ合うことができるかを意図するのも必要です。もうひとつ、最近の少子社会で重要なアイテムとして「子ども集団」が必要な気がします。いかに、集団で遊ぶことを促すかということです。
ベストセラーになったロバート フルガム著「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」ではありませんが、砂場は、子どもにはとても人気がある場所です。この砂場は、19世紀後半のドイツが発祥の地です。大きな公園の中に砂場が盛られ、そこで遊ぶ子どもを警官が監視していました。それを見たキリスト教徒がボストンの幼稚園へ持ち帰ったのが原型だといわれています。ドイツでは、この砂場に水が流れ込むようにできていて、砂と水を合わせて泥んこになって遊びます。日本でも、泥んこ保育を行っている園もあります。
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しかし、ここでなかなか難しい問題が起きます。自然界のものは、清潔に問題があり、危険を伴うことが多いのです。雨が降るとぐちゃぐちゃになるので、公園で土は嫌われます。火や水は危険だから禁止されています。きれいに剪定された樹木はありますが、廃材を使って秘密基地を木の上につくったりすることはできません。水があっても人工的な流れで、縁はコンクリートで固められ、魚はいませんし、ましてやオタマジャクシやカエルがいる泥っぽい水たまりは汚いとして排除されます。そのように、土や水は、管理の手間がかかるために排除される傾向にあるのです。
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ニュータウンの園の近くに大きな池を作りましたが、その底を何にするか意見が分かれました。結局、土ではなくタイルを敷き詰めました。それでも自然はすごいもので、そのタイルにも泥が溜まり、藻が発生し、ザリガニが生息するようになりました。今度は、それを掃除するかで意見が分かれました。意見が分かれるのは仕方ないのですが、その議論の中には、子どもにとって何が必要かという議論がなく、景観としての池作りだったのです。管理しにくい、面倒なものはどんどん排除されていくような公園づくりは、子どもの世界から、自然界の素材そのままの要素と子どもが自然と触れ合う場所を、どんどん奪ってしまっていったのです。
今、羽根木プレーパークのような冒険広場運動の実践が行われています。また、ビオトープのような自然生態系を残した公園も試みられてきています。また、その運営管理も公的なものから住民参加のものに変わってきています。今後、どのような児童公園ができてくるのでしょうか。また、海外ではどんな試みが行われているのでしょうか。

遊びと自然” への4件のコメント

  1. 「フィンランド豊かさのメソッド」という本を読んでいます。『フィンランドでは、夏、よく家族で森に散歩に行くし、子ども達はそこで自由に遊びまわる。森にはブルーベリーや野いちご、ラズベリーにきのこなど、自然の味覚が溢れ、、バケツを持って収穫に出かけるのは何よりの楽しみである。子ども達は森で動物や植物、自然と向き合う時のルールなど、じつに多くのことを学ぶ。』森の中だから、焚き火もするだろうし、川の水もあれば、泥んこだってある。木登りも出来るし、子どもにとっては遊びの楽園ですね。PISA世界一の成績を誇るこの国の教育を支えているのは、「自然との共生」という独自の文化にあるのかもしれませんね。

  2. 大人と言われる人たちもかつては子どもと呼ばれる存在でした。そして「子ども」として実に様々な「遊び」に興じたはずです。しかし、いつの頃からでしょう。「大人」というレッテルを貼られたり、あるいは分別くさくなり、「遊び」それ自体の意味を考えず、いなむしろ「遊び」は遊びとして生産性、有効性を伴わない事柄、という認識が普通になったような気がします。さらに「遊び」に伴うリスクを重大視するあまり「遊び」に対する「刷り込み」または学習に比することにより不当な過小評価を受けることとなりました。オランダ・イェナプランの方の話を聞いたとき、playとwork,という言い方をしました。playにはworkの意味があり、またworkにはplayの要素があると思います。playの中にwork,learnが含まれることは自明のことだと思うのですが、公園づくりにしても自然の活用にしてもまだまだ大人主導の考え方のもとで実施され、自明とはいかないようです。残念!

  3. 公園のあり方について前日のブログから考えているんですが、公園で子どもたちがどのように集団を作って遊び、そこに大人がどう関わるかを考える必要があるとすれば、これはどんな町や社会をつくるかということとも言えるかもしれません。だからこそ住民がもっと関わるべきことだと思います。どんな公園を作るかで町のあり方も変わりそうです。景観だけでなく人の関わり方もデザインするという考え方で取り組むことも必要なのかもしれません。

  4.  私が子どもの頃は水、土、木の三つを存分に使って遊んでいたと思います。とくに泥遊びというより用水やどぶ川に入りメダカやフナ、ザリガニなどの生き物を捕まえたり、これからの時期だと栗や柿、ザクロなどの木に登って実を取って食べたり遊具というより、自然と遊んでいた方が断然多かったと思います。それは田舎だから出来る遊びかもしれませんが、東京などの都会ではどうなのでしょう。確かに公園など綺麗に整備されていて見た目はとても美しく見えます。しかし児童公園など、それが子どもにとって、どんな意味があるのか気になります。清潔を気にしすぎて、子どもの遊びがかなり制限されてしまっているように感じます。

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