人は、太古の時代は、机を囲んで座るのではなく、火を囲んで座ったでしょう。ですから、火は、家の真ん中にありました。その火は、調理に使っただけでなく、暖をとるためにも用いました。その暖かさは、家族みんなにいきわたらせるために、その火の周りに輪になって座ったのでしょう。その火は、囲炉裏といわれるようにみんなで囲むようになります。
昨日の「yahatanomori」さんのコメントの実践はいいですね。火を囲んでの話し合いは、心が通じます。ですから、一つの儀式にもなっています。それが「キャンプファイヤー」で、「親睦の火」や「儀式の火」とも呼ばれます。この夏の間に子どもたちは、どこかでキャンプファイヤーを経験したでしょうか。しかし、どうも最近は火の周りで騒ぐというイメージがありますが、一度はきちんとしたキャンプファイヤーを体験してもらいたいものです。だからと言って、その起源でもある火の神への崇拝といった呪術的かつ宗教的な儀式としてではなく、盛り下がりは雰囲気を重視し、火の神の言葉を拝聴し、その明るさ、暖かさから自然の素晴らしさや恩恵を感じ、丸くなることで参加者の心を開き、結びあい、友情の大切さ、思いやり、また、今日を振り返り、明日への希望の火を燃やす1日の最後の儀式として終了するのです。
中野民夫氏の「ワークショップ」(岩波新書)の中に、ハワイ島でのワークショップで冒頭に行われた「サークル」についての説明が載っています。「この輪の真ん中には、中つ火ができます。みんなが持ち寄った様々な経験かや知識などが薪となります。お互いに敬意をもって聞こうという気持ちが発火剤になり、他の人の話をよく聴くことで理解の火花が散るのです。こうして真ん中の薪に火がつく、そして炎は常に動き変化していきます。私たちの理解が大きくなって中つ火から煙が立ち昇ると、遠くにいる人たちにも私たちがここで学んでいることがわかります。私たちは、ここで輪になって座り、日から暖をとります。人がそれぞれ同じだけの価値があるとわかったとき、この輪は完璧なサークルとなる。だからこそ中心の中つ火から等しい距離で、輪(サークル)になって座るのです。」
団欒、サークル、輪を作るためには、人は複数必要です。もちろん一人では輪は作れませんし、二人でも二人をつなぐ直線になってしまいます。三人から、その場は空間になります。しかし、その場はぎくしゃくします。その場が丸に近くなるのは、より多くの人の参加が必要になってきます。しかし、あまり多くなると、その輪の直径は大きくなり、お互いの距離は遠くなり、お互いの表情が見えにくくなります。ですから、ただ丸くなればいいのではなく、丸くなって何をするかを考えないといけないのです。このように、車座に座るという形が、もし授業形態であれば、まず、その授業で何を、どのように子どもたちは学ぶかを考えないといけません。

今、日本の授業はどんな内容でも、ほとんどいわゆるスクール形式と呼ばれるような形で行います。そこには、子ども集団が役割を持っていません。そこには場が存在しません。教師と児童の間の線しかないのです。以前、私が教員をしていたときに、ある教師にこう言われました。「授業は、教師が糸を操って、児童を操り人形のように動かすことである」
私からすると、この言葉は子どもの人権を無視している発言としか思えませんでした。
現在はインドア派の私ですが、小学校高学年以降大学生に至るまで「キャンプ」には何かと縁があり、殊に「キャンプファイア」には様々な思い出があります。小学校6年生の夏、近くの浜辺でのキャンプ。キャンプファイアを囲んで歌を歌ったりフォークダンスを踊ったりして楽しみました。そのときの企画のひとつが「今、主張したいこと」というものでした。丁度その年の夏は太平洋戦争、沖縄戦争に関する本を集中的に読んでいましたから私の主張は「戦争はしてはいけない」というものでした。キャンプファイアの炎の色、周りを取り囲む漆黒の闇、火に照らされた各各の顔・・・「中つ火」のおかげでしょう。私も他の友達もそれぞれの主張がなんとも真に迫っていました。終わったあとも興奮冷めやらずで、なかなか寝付けませでした。
藤森先生のブログでは、最後の一言にいつも注目するようにしています。ある教師にこう言われた。「授業は、教師が糸を操って、児童を操り人形のように動かすことである。」-今も大半の教師がそう信じて授業をしているんでしょうね。本当は子ども達は、のびのびと主体性を発揮したいと思ってるのに、それをさせないのは確かに人権無視ですね。私たちの子ども時代は、まだ学校以外に子ども集団があって、放課後は夕食まで遊び呆けることができたけど、今は少子化でそんな仲間もいないし、塾で忙しくて時間もない。ひょっとしたら、日本の学校にいじめが多いのは、『教師と児童の間の線しかない』せいではないか。いろんな子ども集団のサークルを作っていくことで、いじめの芽を断つことができるような気がします。
中野民夫さんの言葉はいいですね。
「みんなが持ち寄った様々な経験かや知識などが薪となり」「お互いに敬意をもって聞こうという気持ちが発火剤になり」「他の人の話をよく聴くことで理解の火花が散る」「人がそれぞれ同じだけの価値があるとわかったとき、この輪は完璧なサークルとなる」
読んでいるだけで、素晴らしいキャンプファイヤーに参加した気持ちになります。サークルでありさえすればいいのではなく、円の大きさや質が大切なんだということがよく分かりました。また、円の中心では大人が何らかの力を発揮して円を保たなければいけないというイメージを持っていましたが、そうではなく、子どもを信じていれば子どもたちが自分たちで中心となるものを作り上げていく、そんな円を目指すべきなんだと、あらためて思いました。
小学校の宿泊学習や町内のキャンプなどでキャンプファイヤーをしたのを覚えています。当時はとにかく、キャンプファイヤーが楽しいより、とにかく夜に友達といる事が楽しかった思い出があります。
コメントが「あいやまさん」と被ってしまいますが、確かに中野さんの言葉「経験や知識が薪になる」「聞こうとする気持ちが発火剤」など納得しました。ただ、だからと言って輪になってみても、自分の意見を言えなかったり、人の話しを聞く事ができないと、せっかくの輪も台無しになってしまいます。まず、その辺を身につける事ができるように大人が援助することも大切な事だと思いました。機会を見て私の園の子ども達に輪になって話すことを体験させてみようと思いました。