最近、よく飛行機に乗ることがありますが、そのときによく思うことは「こんな重い鉄の塊が空を飛ぶなあ」ということです。紙飛行機にしても、滞空時間を競争する模型飛行機にしてもその素材はとても軽く、繊細にできています。それに対して実際の飛行機は、とても大きな鉄の塊というイメージがあります。
しかし、今の時代にそんなことをいうと笑われます。というのは、今の飛行機の機体はプラスチックでできているのです。他にも自動車の車体やパソコン、スポーツ用品などもほとんどプラスチックなのです。しかし、私たちは、プラスチックというと確かに軽いのですが、弾性率が低く構造用材料としては適していないと思っていました。というのは、もともとプラスチックとは英語で「自由に形をつくれる。やわらかい」「可塑性を持つもの」と言う意味で、一般に 「人工的に合成された高分子物質で可塑性のあるもの」と定義されるからです。また、合成樹脂とも呼ばれますが、それは、天然の松やにや漆の木から出る「樹脂」をまねてつくっているからです。
プラスチックには大きくわけて二つの種類があります。 一つは、熱をくわえるとやわらかくなり、冷やすとかたまるもので、「熱可塑性プラスチック」と呼ばれるものです。これは、熱を加えると溶けてやわらかくなり、冷やすと固まる性質をもち、1度硬くなっても 熱を加えると再びやわらかくなる性質があるものです。ほとんどのプラスチック製品はこれで、ペットボトルや発泡スチロール、バケツ、コップ、密封容器などの家庭用品などのスチロール樹脂やポリエチレンやポリプロピレンやメタクリル樹脂等はこれに当たります。
もうひとつは、熱をくわえるとかたくなるもので、「熱硬化性プラスチック」と呼ばれます。これは、熱を加えるとかたくなり、一度固まると後で熱を加えても再びやわらかくならないもので、電気のコンセントなどの電気器具、浴槽、ヘルメット、テーブル、ボタンなど比較的耐熱性を要求される箇所に使用されています。
そんなプラスチックに弾性率の高い材料を強化剤として複合させることで、軽量で強度の高い(比強度の大きな)ものができます。強化材として、今はガラス繊維の他、炭素繊維や強度の高い樹脂繊維、ケブラー、ダイニーマなどで強化する場合もあるようです。このような材料の作り方で使用する場所が違います。オートクレーブという大きな釜で焼き固めたものは極めて強靱で、ドライカーボンと呼ばれるが、生産工程が完全な手作業となるため高価であり、量産に向いていないが、その特性からレース用の自動車フレームや航空機の翼、宇宙工学、楽器ケース(チェロなど)などで使用されています。オートクレーブで焼き固めないものは、ウエットカーボンと呼ばれ、強度としてはプラスチック+αに留まるが、安価・軽量で耐久性がよいことから、小型船舶の船体や、自動車・鉄道車両の内外装、ユニットバスや浄化槽などの住宅設備機器で大きな地位を占めているそうです。
最近は、炭素繊維といわれている材料が開発されていますが、炭素繊維は「鉄より軽くて強い素材」として注目を集めており、飛行機だけでなく、スポーツ用品、自動車、パソコンなど、従来の素材の代替品として、幅広く使われはじめています。
鉄やアルミから炭素繊維へと着々と革新が行われているようです。
月別アーカイブ: 9月 2009
沖縄の菓子2
このブログは、毎日書くことでネタを探すのは大変です。何を取り上げるかだけではいろいろと見つかるのですが、それを書くことで、最後どのような結論に持っていくかという見通しがなければ書き出せません。そのために、身の回りのいろいろなことに注意深くなります。普通でしたら見逃してしまうことも、注意深く見ます。最近の癖で、何かを見るたびに、これをブログで書いたらどういう展開になるだろうと考えながら見ていることが多くあります。
また、ブログを書くことで、普段何気なく思っていることを確認するということがあります。これは特に子どもや保育に関することです。電車の中や園でいろいろと保育を考えることが多いのですが、それを文にあらわすことで忘れないように残すという役割があります。また、原稿を頼まれた時、改めて原稿を書く時間がないことが多いので、ブログにそのテーマで何回か書いておくと、それをつなぎ合わせるだけでいいので楽になります。突然、専門的な話題になるときブログのときは、たいていそういうときです。
もうひとつ、普段は聞き流していることを、ブログを開くことではっきりと定義しようということができます。たとえば、昨日の「ちんすこう」というテーマも、改めてその意味とか、作り方を一度きちんと整理しておこうという趣旨があります。そんなことで、今日ももう一つの沖縄の菓子の「サーターアンダギー」を考察します。
先日、沖縄に行ったときに「琉球村」に連れて行ってもらいました。ここは、「沖縄を見て感じる」というテーマで沖縄の文化・芸能・自然を見て体感できるテーマパークです。ですから、小学生たちが多分、総合的学習としてだと思いますが、メモ帳を首から下げて大勢来ていました。この村では、「工芸品を作る」「おばあと語る」「沖縄の文化を学ぶ」ということで、様々な体験ができます。そのひとつに「本格!サーターアンダギー手作り体験」というものがあり、文化財にも指定されている、園内の古民家「旧玉那覇家」の中で本格的な作り方を習って一緒に作ります。私たちは、時間がなかったので体験はしなかったのですが、ここでおばぁが大きな釜で揚げてくれたとっても大きく、握り拳くらいはあるサーターアンダギーを買って食べながら村内を歩き、お土産にもいただきました。

サーターアンダギーとは、遠く中国から伝わったボール状の揚げ菓子で、低温の油でゆっくり揚げる際に、まず球状に表面が固くなり、そのあと内部の膨張に従って球状の表面が割れ、花が開いたように見えることから、結納や結婚などの祝いの席に出され縁起のよい菓子とされています。また、その形がまるで笑っているかの様で開口笑、開口球とも言われています。首里方言で「サーター」は砂糖、「アンダギー」は「アンダ(油)」+「アギー(揚げ)」で「油揚げ」、揚げ物を意味します。最初、地元の人が「砂糖天ぷら」と言っていて何のことかわからなかったのですが、その名の通り砂糖を多めに使用した球状の揚げドーナツだからのようです。
小麦粉に鶏卵、砂糖を混ぜ、適量を丸めて低温の油で数分間あげるだけでできるのですが、砂糖には沖縄名産の黒砂糖を使うことが多いようです。この黒砂糖は、昔は水牛が機械をまわして原料のサトウキビを搾っていました。ここ琉球村ではその作業を見ることができました。
沖縄の菓子1
先日、沖縄を訪れたときに、手作りのお土産をいただきました。沖縄は、独特の文化があり、食材にしても、料理にしても、ずいぶんと珍しいものがあります。今では、行き来をする人が多くなりましたが、以前は、なかなか口にする機会のないものが多くありました。
お菓子の中で沖縄を代表するものに「ちんすこう」と「サーターアンダギー」があります。空港などのおみやげ物屋には、いろいろな種類が並んでいますが、どちらもそれぞれの家庭で作られ、それぞれの家庭の味があるようです。今回は、手作りの「ちんすこう」をお土産に頂きました。
ちんすこうは、サクサクとした食感と、かるい甘さで、お茶、コーヒー、紅茶となんにでもあうおいしいお菓子ですが、誰かが沖縄に行くと必ず買ってくるお菓子なので、またかという思いがしてきている人もいるようで、最近は、ポピュラーなプレーンを始め、沖縄を代表とする食材を使ったパイン、紅芋、黒糖などもあり、人気のあるものとして「塩ちんすこう」も多く並んでいます。
しかし、改めて「ちんすこう」という名前を考えてみると、奇妙な名前ですね。その名前の由来ははっきりしていないようで、おもなものに2つの説があるそうです。「すこう」は沖縄の方言で「お菓子」という意味ですが、「ちん」は「珍」から来ているということで、「とても珍しい貴重なお菓子」 という意味であるという説と、「ちん」は「金」ということで、「とても高価なお菓子」という意味であるという説があります。どちらにしても、ちんすこうは、琉球王朝の王侯貴族だけしか食べることができない宮廷菓子で、 一般人は食べることができないお菓子だったようです。
見慣れているちんすこうの形は、クッキーを一口サイズの細長い形ですが、今回いただいた手作りのものは、マコロンのようなきれいな丸い形をしていて、とてもおいしく、私の園の職員はみんな自分たちもつくれるかと話題になっています。作り方は比較的簡単で、およそ20個分として「 ラードを常温に戻し、ボウルに入れて薄力粉(200g強)をふるってクリーム状になるまでよく混ぜ合わせる」「これに砂糖100gを入れ、さっくりと混ぜ合わせる」「整形してオーブン(170℃で15~17分)で焼く」とシンプルですが、おいしく作るには、熟練がいると思います。
ちんすこうは琉球王朝時代に中国から伝わってきたお菓子と言われていて、もともとは「蒸しカステラ風」のお菓子で、今のようなスタイルになったのが、100年位前で、それまで蒸していたちんすこうを試しにレンガ釜で焼いてみたのが始まりだと言われています。もう一つの説は、ポルトガルの焼き菓子として知られるボーロがシルクロードや海路を通じて伝わったというものがあります。また、スペインに古くから伝わる祝い菓子のひとつポルボロンは、材料や食感の面でちんすこうとの共通点が多いようです。
長崎が、オランダやスペインかいろいろと学んできたように、沖縄でもオランダやスペインの影響をずいぶんと受けている感じがします。しかし、元が同じでもその地域の風土や気候にそって工夫、改良され、その地にあうものになっています。
日本人は、もともとはこのような改良、工夫をする力に優れている国民だったのです。
銀の鈴
少し前に、映画「銀の鈴」が今春完成し、今年の終戦記念日に大阪市天王寺区のクレオ大阪でこの映画が上映されたことをニュースで知りました。この映画は、大阪を拠点とする劇団ARK が、2000年に戯曲『銀の鈴』と題した舞台で3度上演してきたものの映画化で、舞台の脚本・演出をつとめてきた劇団を主宰者である斎藤勝さんが監督を務めています。
昨日、講演のために沖縄に行ってきましたが、この映画化のニュースを思い出しました。というのは、昨年、妻と沖縄を訪れたときにどうしても行きたかったところが「対馬丸記念館」でした。映画「銀の鈴」は、対馬丸の悲劇の映画化なのです。対馬丸記念館を訪れた時の写真を見つけたのですが、当時の学校の教室を再現した写真だけが残っていました。
なぜ、この記念館に教室の再現されたものがあるかというと、対馬丸の悲劇とは、大人が起こした戦争の為に理不尽にも幼い子どもたちがその犠牲になった出来事だったからです。しかも、救助された人々には「緘口令(かんこうれい)」がしかれ、この事実を話すことを禁じられましたし、犠牲者や生存者に関する詳細な調査も行われず、沖縄に残された家族に正しい情報が伝わることはなかったのです。
アジア太平洋戦争の終末期、日本軍は敗戦を重ねるようになり、ついにサイパン島が占領されました。「サイパンの次は沖縄だ」と判断した軍の要請で、政府は奄美大島や徳之島、沖縄県の年寄り・子供・女性を島外へ疎開させる指示を出します。疎開先は、日本本土へ8万人、台湾に2万人の計10万人です。しかし県民はあまり乗り気ではありませんでした。そこで、県は「沖縄県学童集団疎開準備要項」を発令し学校単位で疎開事務をすすめます。それは、沖縄を最後の決戦の場として多数の兵士を沖縄に移駐させるために、大量の食糧が必要になり、足手まといになる民間人を県外へ移動させることは急務だったのです。
沖縄から本土に次々に軍艦による疎開が行われましたが、その中に「対馬丸」という巨大な輸送船がありました。この船には、疎開学童、引率教員、一般疎開者、船員、砲兵隊員1788名が乗り、5隻の船団を組んで長崎を目指し出航しました。しかし、この対馬丸は、建造から30年も経った老朽貨物船であり、航行速度が遅く、潜水艦の格好の標的になってしまいました。その場所は、今年、皆既日食の観測で話題になった鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点で、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈められてしまいます。ほとんどの乗船者は船倉に取り残され、海に飛び込んだ人も台風の接近に伴う高波にのまれ、児童850人以上を含む犠牲者数1418名(氏名判明者=2004年8月現在)の尊い命が犠牲となりました。
対馬丸乗船者中、一般疎開者の生存者は168名、学童だけについていえば、わずかに59名だけしか助かりませんでした。しかも、救助された数名の学童たちは、緘口令のもと、対馬丸撃沈の事実は隠され、また、この時のショックで喋ることができなくなった少女もいました。しかも、この助かった子どもたちにもその後も戦争は呵責なく押し寄せ、沖縄は戦場のるつぼと化し、「生き残ってからが、本当の戦争だった」と言わしめています。
この対馬丸の沈んであるあたりは、今航路になっていますが、その深海の底でいまなお一千余の遺体が、穴のあいた船体のなかに横たわっているそうです。
飢え
最近、駅の構内とか、車両の中吊広告で目にするものがあります。その内容は、とてもショッキングなものです。
「いま、飢えが原因で、6秒に一人が命を落としています。地球にはすべての人々が食べるのに十分な食べ物があります。なのに、地球の7人に一人は、飢えに苦しんでいます。飢えは、いまだに世界第1位の死亡原因です。毎日、大人・子どもを含め、2万5千人が命を落としています。もし事故か災害で、1日にして2万5千人が命を落としたら、大ニュースになるでしょう。」
このキャンペーンは、「WFP」という国連唯一の食糧支援機関であり、かつ世界最大の人道支援機関が行っているものです。飢餓と貧困の撲滅を使命として1961 年に設立が決定され、1963 年から正式に活動を始めました。この機関の活動の中で最初のコピーは、「WFP世界の学校給食プログラム」と呼ばれている活動です。現在、世界では3億5千万人以上の子どもたちが飢えに苦しんでいて、その多くは、学校でも食事をとることができません。さらに、学齢期の児童のうち7,500万人は、家庭の労働の担い手になるなどして、学校に通うことすらできていないのです。
私たちの多くは、当然のように給食を食べています。栄養計算をした食材、安全食材を利用し、手の込んだ料理が工夫されています。また逆に、好き嫌いを注意され、学校時代の嫌な思い出の一つとされ、毎日多くの残菜が捨てられています。しかし、空腹のままでは子どもたちはどうしても注意散漫になりやすく、学習に集中することができません。子どもの飢餓による病気や、生涯にわたる身体的・知的発達障害、生産性の低下により、世界では1年当たり200~300億ドルあまりの経済的損失が生じているといわれています。
給食の是非は日本では、よく論議されるところですが、その火の食事も満足にとれない国にとっては、せめて1日に1回は栄養価の高い食事を取るために必要であり、給食があることで就学率と出席率が著しく向上します。どうしても親は、子どもたちを働かせるようとしてしまいますが、給食があるということで通学させることを選ぶようになるのです。特に、家にいることが当然だとされていた女子にも学習の機会が与えられるのです。

先のポスターは、今年のACジャパン支援キャンペーン「hopeを消さないで」です。WFPが給食の配膳に用いている赤いカップを給食=hopeの象徴として描いています。ずっと、給食支援をしてきたにもかかわらず、近年の食糧価格高騰と世界経済悪化の影響で、途上国の食糧事情は更に深刻化し、飢餓人口も増加の一途を辿っており、支援を必要とする人々が急増しています。しかし、WFPでは、去年は資金不足により学校給食の一時停止さえ余儀なくされているそうです。ですから「hopeを消さないで」と訴えているのです。
このポスターの子どもたちは、アフリカのルワンダの子どもたちだそうですが、現在、ルワンダでは国民の5割近くは食糧難かそれに近い状態にあり、特に子どもの栄養失調率は高く、5歳以下の子どもの45%は慢性的な栄養失調状態だそうです。そんな国であっても、子どもたちの笑顔は素晴らしいですね。撮影されたのは、特に貧しい地域で、小学校に通い続け無事卒業できる生徒は全体の45%しかいません。また、生徒の半数は、大虐殺やHIV/エイズで少なくとも片方の親を亡くしており、中には両親を亡くして子どもだけで暮している世帯もあるそうです。ここの給食は、とうもろこしや豆を煮たものに、雑穀を混ぜたものですが、これが一日唯一の食事の子どもも多いそうです。成績のいい生徒には、学期末に優秀賞として食糧が贈られるため、皆一所懸命勉強に励んでいるようです。
このポスターの子どもたちの笑顔や、きらきらした目、将来に希望を持ってたくましく生きている姿を見るとなんだか胸が痛くなります。
アメリカでは
アメリカでは、1990年代初めころから多くの子どもが生後6か月までに、母親以外による保育を受けるようになりました。そこで、母親による養育とそれ以外の人による保育とで子どもの発達はどうなるかという研究が早いうちからされてきました。その結果、ほとんど発達には差がなかったようです。子どもの発達は、母親以外の保育を受けているかどうかということだけでは、子どもの発達について多くを語ることができないことが分かったのです。
しかし、保育の質や量(時間)、そして保育施設の特徴との関係において強い関係性とはいえないまでも、子どもの発達にある程度影響を持つことが今回の研究で明らかになりました。
まず、4歳半までの結果では、母親以外からの質の高い保育を受けている子どものほうが、質の低い保育を受けている子どもよりも、言語と知的発達の面で若干優れた発達を見せていました。また、3歳までの結果では、質の高い保育を受け子どもたちの協調性がより高いことがわかったのです。では、この調査の中での「保育の質」をどのように規定しているのでしょうか。
まず、「保育の構造に関するもの(規定的特徴)」として、子どもと保育者の人数の比率、クラスごとの子ども数、担当の保育者のトレーニング、保育者が受けた教育レベル。そして、「保育施設内における日々の体験(プロセス的特徴)」として、子どもと保育者との関わり、子ども同士の関わり、おもちゃなどを使った遊びについて調べています。この規定的特徴については、いわゆる最低基準として決められており、それをどのくらい上回っているかという点ではとてもわかりやすいのですが、プロセス的特徴についてはどうだったのでしょうか。
これは、実際の保育場面の観察のなかで行われる日々の対人的なかかわりや保育活動について検証しています。その特徴のうち、子どもの発達に一貫して最も深いかかわりを持っているものとして「ポジティブな養育」を取り上げています。それは、保育者の子どもの行動に対する感受性の豊かさや子どもの興味とやる気を励ますような接し方、保育者と子どもとの頻繁なかかわりなどが含まれます。
では、保育の量(時間)をみると、母親以外による保育の合計時間が短い子どもに比べて、より長い子どものほうが問題行動が少し多めに見られました。
また、施設型の保育を受けた子どものほうが、施設型でない場所で保育を受けていた子どもに比べて言語発達、知的発達ともにより優れていました。施設型の保育や幼稚園での保育を受けていた子どものほうが、それ以外の保育を受けていた子どもたちに比べて、若干問題行動の頻度が高い、という結果もみられました。
しかし、子どもの発達は、その子が預けられている保育施設の特徴よりも、親や家庭の要因により強く影響を受けることも明らかになりました。家庭で養育をされている子どもはもちろん家庭からの影響を多く受けるのは当然ですが、多くの時間を保育施設で過ごす子どもたちにとっても家庭や親がどんな養育をしているかは同じように大きな影響を及ぼしているのです。
この研究結果では、母親が養育をするか、母親以外の施設で保育するかが問題ではなく、その子の家庭や親がどうであるかのほうが重要なようです。
育児と保育
今月の7日に、こんなニュースが流れました。
「 厚生労働省は、認可保育園への入園を待つ待機児童が4月現在で2万5384人おり、前年同月と比べ約3割に当たる5834人増えた、と発表した。低年齢児の待機児童数は全体の81.9%を占める。そのうち1、2歳児の待機児童数が1万7492人ともっとも多い。不況下で共働きの家庭が増えたのが原因とみられている。」
このニュースの中で、共働きの家庭が増えたのは不況だからでしょうか。母親の就業率が急増したのは、多くの国では産業化が進んだことによってです。たとえば、アメリカでは、1975年には39%であったのが、2000年には67%になっています。過半数の母親が働いているのです。そうなると当然、母親以外での保育が必要になってきます。誰がどのような保育をするか、誰の責任で保育を保障するか、その状況への対応は各国で違っています。就学前児を持つ母親の85%が働いているスウェーデンでは、保育を提供することは国家の責任であると考え、子どもは高い水準の公的保育を受けることができました。一方、20世紀の英語圏の国々では、保育は私的なものと考えられていて、公的援助はほとんど行われていませんでした。ですから、当然保育の質やタイプは大きなばらつきがありました。たとえば、1990年代のアメリカでは、働いている母親のための乳児保育は、施設型が10%、個人による保育、ベビーシッター、乳母などでの保育が24%、親戚が保育するのが28%、20%は父親が保育をしました。今でも、アメリカでは、保育の質、形には大きなばらつきがあるようです。その理由に、それぞれの州の保育に関する規制が顕著に異なるからだといわれています。
そのような状況の中で、当然危惧されるのは、母親以外の人が保育するときに、子どもにどのような影響を与えるかということです。特に、乳児にとってはどうなのでしょうか。から名前のことですが、中国に行ったときに幼児園が月曜日に預けて金曜日に迎えに行くまで、すべて寮生活のような全託でした。そのときに、私が「親との関係はどうなのですか?」と質問をしたら、怪訝な顔をされました。「親との愛着形成はどうなのですか?」と繰り返したら「えっ?だって、親は素人ですよ!」と答えられた時にはびっくりしました。しかし、それは、子どもは親のものではなく、国家のものだということもあるようです。
日本では、明治政府の近代教育制度の確立により、家庭の育児と学校の教育とが柱になり子どもが育てられてきました。戦後になると経済の立て直しが中心になり、核家族化が進み、保育が必要になってきました。しかし、保育はあくまでも育児の補助的なもの、さらには乳幼児にとってはよい影響はないとさえ考えられてきました。ところが、社会は豊かになり、物質的な豊かさでものが溢れるとともに、人間関係は希薄になり、人々の心もすさみ、子育てそのものにも問題が出てきました。そして、人類史上初めての体験である「少子化」を迎えています。
こんな時代を迎えて、保育を働く親のために整備することから、保育の子どもへの影響を様々な観点からの研究がアメリカで行われました。その研究結果が、「アメリカ国立小児保健・人間発達研究所の追跡研究から」発表されています。その結果を要約してみようと思います。
親という存在
昔は、必ずしも子どもは母親だけが育児していたわけでもありません。それは、子どもが小さいころの母親は、働き手としてもベストの体調であることが多いからです。ですから、働いている間は、祖父母が見たり、兄弟が見たり、近所の人たちが助け合って子どもを育児していました。また、海外では、昨日のブログではありませんが、乳母が見ていることも多くありました。その場合は、特に働くというわけでなく、映画メリーポピンズのように母親が昼間はボランティアなどで出かけることが多かったようです。日本では、ほんの上流家庭の一部ですが、やはり乳母が子どもの育児をしていました。これも、必ずしも母親が働いているわけではなく、乳幼児期からの幼児教育をするためだったようです。
先日、妻と川越に行きましたが、そこには、徳川家光誕生の間、彼の乳母であった春日局化粧の間などの江戸城ゆかりの建造物などの文化財がある喜多院に行きました。この頃の母親と乳母は、子どもにとってどんな存在だったのでしょうか。私は文献などを見たことも研究をしたこともありませんので、本当のことは分かりませんが、テレビや映画などで見る限りでは、母親は、ただ子どもを愛し、愛着形成をしていたように思います。その愛着形成を基盤に、子育ては様々な人にしてもらっていたという気がします。ですから、家光と春日野局の関係は、愛着関係というよりも信頼関係で結ばれていたという感じがします。その信頼関係から教育がされてきたのです。
親は、子どもを意図して教育する存在ではないのです。子どもは親からやってもらうよりは、親のやることを見て学ぶことのほうが多いのです。正岡子規の「病状六尺」にこんなくだりがあります。「家庭の教育は知らず知らずの間に施されるもので、必ずしも親が教えようと思わない事でも、子供は能く親の真似をしている事が多い」存在自体、生き方自体が親からの教育なのです。
また、子どもを愛し、ひたすら信じることで、子どもは変わっていきます。少し前の映画ですが、アカデミー賞を総なめした作品で、サブタイトル「一期一会」がついている「フォレスト・ガンプ」には、そんな母親が描かれていました。
IQが少し低い主人公フォレストは、小学校で同級生にいじめらればかにされますが、足の速さからフットボールの選手になり大学までいき、代表選手にまでなります。ベトナムに兵士となって行っても仲間を助け、勲章をもらいます。卓球をやれば中国での世界選手権に出場します。その後エビ漁で大金持ちになり、成功をおさめます。何をやっても一流になってしまうのです。原作では、まだまだ様々なことで、例えば数学者として、宇宙士として、ピグミー族の中で一流になります。
彼がいろいろなことで一流になるのは、IQの低さゆえに一途な生き方が、成功をおさめることになるという見方がありますが、私は、母親のあくまでもフォレストを信じる気持ちが彼を成功させることになったのだと思います。幼い日に母親がいつもフォレストに語って聞かせた「人生は、チョコレートの箱のようなもの」で食べてみるまでは中身がわからないといいます。女手ひとつで一人息子を育てていた母親は、その子の背骨が曲がっていることがわかったときも、IQが人並みに至らないことを告げられたときも少しも動じませんでした。小学校に入るときも「うちの子は、普通の学校に通わせます。」と頑張った強さは、見栄からでなく、子どもを愛し、信じる気持ちの表れなのです。「おまえはきっと、誰かからばかと言われるに違いない。もしかすると知恵遅れってからかわれるかもしれない。でも、ばかというのはばかなことをするからばかなんだよ。」この母親の自信は、成長したフォレストをきちんと手離し、自立させることになるのです。
親として、子どもたちをあくまでも信じ、愛することができるでしょうか。きっとまわりの人に愛され、信じられた子はすばらしい人生を送ることができるにちがいありません。
乳母
いろいろな職種ではその質の向上が課題です。そのときに大きな要素として、そこで働く職員の質の向上が課題になります。たとえば、園では、保育者の質が問題になり、その質を向上させようと研修なども行います。しかし、以前のブログに書いたように、その職種の方向性が、たとえば利益を得ることというように明確である場合は、質もわかりやすいのですが、保育者のように人を相手にする場合は、質の判断は難しくなります。
また、保育者の場合は、保護者から見ていい先生と、子どもから見ていい先生が違うことがあるのでなおさら難しくなります。どんな先生がいいか、かなり昔の映画ですが、チム・チム・チェリーの歌でおなじみのミュージカル「メリーポピンズ」の中で、こんな場面がありました。メリーポピンズが乳母として子どもの家庭に来ることになったきっかけの場面で、親からみた子どもに対する接し方の理想像と、子どもからみた理想像とのギャップが描かれていて、とても興味深いものがあります。せりふの訳から見直してみましょう。
「乳母を選ぶのは大仕事だ。洞察力と人を見る目が必要だ。」と両親は思い、新聞広告で募集をすることになりました。その条件は、「募集 乳母・しっかり者でまじめな女性。イギリスの乳母は将軍。国の未来は彼女ら次第。頼もしい若者を育てるのは、乳母のきびしい手。イギリスの銀行は精密機械。家庭もそうあるべきだ。伝統、規律、そして規則が大切だ。でないと、混乱、破滅、すべてがめちゃくちゃだ。」今でも、保育者に対してこのように希望する人もいるかもしれません。
この広告を見て、子どもたちは、新聞広告の募集要項を書き変えてしまいます。そこには、「かわいい二人の子の乳母を求む。申し込む資格は、気立てが明るく、ゲームができて、親切で、気がきいて、やさしく、きれい。散歩の時はいつも、歌とお菓子。いじわるしないで。ひまし油なんか飲ませない。ママほどかわいがって。あんまりしからなければ、私たちもおとなしくします。」と書かれてあります。この紙が空に舞っていき、メリーポピンズの手に渡り、この子どもたちのところに降りてくるのです。
世界で始めて幼児教育を論じたといわれている貝原益軒の「和俗童子訓」にも、とても興味深いことが書かれてあります。
「凡そ小児を育つるには、初めて生れたる時、乳母を求むるに、必ず温和にして慎み、まめやかに、言葉すくなき者を選ぶべし。乳母の外、つき従ふ者を選ぶも、大やうかくの如くなるべし。初めて飯をくひ、ものをいひ、人のおもてを見て、よろこび、いかる色を知る時より、常に其の事に従ひて、時々教ゆれば、ややおとなしくなりて、戒むる事やすし。」
(大方は、子どもを育てるためには、初めて生まれたときに、乳母を捜す時には、必ず温和で、慎み深く、こまめで、言葉が少ない人を選ぶべきです。乳母のほかにも、世話をしたり面倒を見てくれる人を選ぶ時にも、だいたいはそのような人がいいです。初めて食事をしたり、話し始め、ひとの表情を見て、喜んだり、怒っている表情を知るときに、常にそのことを守って、時々おしえてやれば、次第に大人しくなり、自律をしていきます。)
保育園を選ぶときにも、同じような考え方でいいかもしれません。
パッケージ
先日ある書物が送られてきました。それは、よくあるようにダンボールで包まれていました。それを開けてみて、今更ながら感動してしまいました。なぜかというと、写真にあるようにその書物の大きさと厚さに合わせて四方がきちんとおさまるように梱包されています。そして、そのダンボールを開いてみると、まったく1枚の段ボールになるのです。逆にいえば、1枚の段ボールを切り込みを入れて、折っていくだけできちんと梱包するような形になるのです。たぶんこれは、デザイナーというよりもコンピューターが作ったのでしょうね。

梱包は、まず、その中身をきちんと、傷つけずに包装することが目的です。それには、包みものの大きさや素材に合わせなければなりません。そのような意味で日本では優れた梱包材が「風呂敷」だったのでしょう。どんな大きさのものも、どんな素材のものを包むことができるからです。また、包むのは、今回郵送してきたときのように安全に、容易に移動するために手段ですが、そのほかにもいろいろな役目があります。それは、よく言われるようなパッケージデザインといわれるものです。
いまや、現代社会においては、包装を抜きにして成立する製品はほとんどありえないといっても過言ではありません。そして、時には過剰包装といわれるように悪者にされることもあります。環境問題としての包装の在り方に社会的関心が高まってきたということもあります。しかし、私たちがいろいろな店で商品を目にするときに、多くは、直接のものよりもそのパッケージを見ていることのほうが多いのです。ペットボトルの飲み物などはまさにそうで、その時のパッケージは容器としての用途にもなっているのです。商品を量的に単位化し、運搬しやすく保護し、品質を守り、最近特に影響するものが、コミュニケーションの担い手としての役割です。パッケージは製品に「顔」を与え、企業など送り手からのメッセージや商品情報を、使い手である生活者に伝えます。
そんなことで、包装に関するすべての分野の科学および技術の発展をはかる学術団体である「日本包装学会」が1992年4月1日に設立されていますし、社団法人日本パッケージデザイン協会が1960 年に設立され、1981 年に社団法人として認可されています。この団体は、通称JPDA(Japan Package Design Association)といいます。そこでは、「果たしてパッケージに何ができるのか」と問いかけ続けながら活動しているようで、そのテーマのひとつが「人へのやさしさ」と「地球環境への配慮」だそうです。この課題は、ほかの職種にも言えますね。
また、パッケージを評価する際の4つの軸が提案されています。1.目立つかどうか(視覚吸引力があるか) 2.らしいか(カテゴリーに求められる基本機能が表現されているか) 3.コンセプトが伝わっているか(商品の特徴・差別化のポイントが表現されているか) 4.アイデンティティがあるか(デザインの中に長期にわたって資産となるアイデンティティがあるか(カラー、ロゴ、レイアウトなど))です。
この軸で、街の中にあふれているパッケージを見て歩くと面白いかもしれません。どんなパッケージが気にいるでしょうか。