公園

子どもの権利条約の第3条には、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」とあります。これは、子どもに関係のあることを行うときには、子どもにもっともよいことは何かを第一に考えなければならないということです。児童公園の設置は、「児童に関する措置」です。子どもの権利条約が日本でも批准された今、このことを意識しなければならないのです。しかし、日本ではあまり意識されてこなかったというのが現実です。
野山が広がり、川や海があり、田んぼのあぜ道が続いているような自然が豊かな場所では、あらゆる場所が子どもの遊び場でした。しかし、都会では、道路が子どもたちの遊び場でした。しかし、道路に車が通るようになると、子どもたちの遊び場は失われて行きました。江戸時代にも、道で遊んでいた子どもが交通事故に巻き込まれることも多く、大八車でひき殺して死罪になった例があるそうです。明治の終わりごろになると交通量は増え、1910年(明治43)に市区改正委員の窪田清太郎が東京市議会に「小公園設置に関する建議案」を提出しています。ここには「近来市内交通機関ノ発達に伴ヒ、往来益々頻繁に赴ケルニ拘ワラズ、児童ノ多クガ通路ヲ馴駆スルガ如キ、当ニ交通ノ妨害タルノミナラズ、其危険少シトセズ」と述べられています。
そこで、公園に遊び場が必要と思われ始めました。そんな時代、日比谷公園が1903年(明治36)に開園したとき、アメリカのモデルプレイグラウンドと呼ばれる、児童指導員がいる遊び場の形態を模した300坪の児童遊園が設置されました。1924年(大正13)、米国留学から戻ってきた末田ますが、東京YMCAから東京都の嘱託になって、キリスト教会の福祉活動として本格的に公園児童指導を展開しました。もちろん、この指導には水を使った遊びなどもあったそうですが、当時の道路や路地には、遊びの四元素に触れられる場はたくさんあり、なにも公園でする必要はなく、しかも、当時は結核やチフス、赤痢といった流行病が蔓延していて、そういうものは不衛生と考えられていた時代ですから、三種の神器と呼ばれるブランコ・滑り台・砂場が生まれてきたのです。
一方、以前のブログでも紹介したドイツの「モグラの家」のような冒険遊び場も、日本には1970年代に初めて紹介され、住民主体の自発的な運営により、現在200近い団体が冒険遊び場づくりに取り組んでいます。しかし、私は、必ずしも三種の神器が悪いとは思いません。これらは、子どもたちが好きな遊具ですし、大人でも面白いと思うことがあります。ただ、それらの遊具が申し訳程度に置かれ、どこでも変わらない子どもだましのようなデザインのものが設置されているのをよく見かけます。公園全体の動線の中で配置され、子どもの興味関心を持つ色や形をデザインされていれば、子どもは飽きもせず遊びこむのです。
ゴミ埋立地だったモエレ沼のために日系米国人の彫刻家イサム・ノグチが設計したモエレ沼公園は、全体を一つの彫刻と見なすダイナミックな構想で、2002年度のグッドデザイン大賞を受賞しています。今日、ここを自転車で回りました。ここには、滑り台やブランコが置いてありますが、あたかも一つの作品のようです。そこで遊ぶ子どもたちは、彫刻と戯れるという贅沢な体験ができそうです。そんな公園が、子どもの興味をそそるだけでなく、街に彩りを添えるでしょう。
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