ケイトウ

 花の名前は、そのいわれを聞くとなるほどと感心するものがあります。昨日のブログの「酔芙蓉」などは、その代表的なもので、「酔うほどに赤くなるかのように時間の経過で次第に赤くなる芙蓉の花」というのは、よくそんな名前をつけたなあと思います。また、その形があるものに似ていることからその名前が付けられることがあります。私が感動したのは、以前のブログで書いたことのある「すみれ」の花です。これは、大工さんが使う「墨入れ(すみいれ)」に形がそっくりです。また、「鷺草(さぎそう)」を見た時にも感動しました。本当に鷺が優雅に飛んでいる姿にそっくりだからです。
 最近、あまり見なくなりましたが、やはり私が子どものころに見て、あまりにその花の名前がその形を言い当てている花に「ケイトウ」があります。漢字で書くと「鶏頭」と書きます。真っ赤な花がニワトリの頭のトサカにそっくりなのです。英語でも「cocks-comb」(鶏のとさか)といいますから、誰が見てもそう見えるのでしょう。しかし、今では羽毛ケイトウの方がよくつくられているようですし、花色も赤のほかに、オレンジ、黄色などがあります。ですから、花が細長くなった品種が出てきて、ケイトウというイメージからはだいぶ違って来て、昔のトサカケイトウを見ることが少なくなってきました。先日、酔芙蓉を見に行ったときに、途中でトサカケイトウが咲いていて、とても懐かしい気がしました。
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夏から秋にかけ、赤・桃色・黄色などの花穂ができますが、原種では赤色です。原産地はアジア、アフリカの熱帯地方と推定され、この地方では花と葉は食用とされているそうです。日本には古く万葉時代にはすでに渡来していました。ですから、万葉集の中に何首か鶏頭を詠んだ歌がありますし、与謝野蕪村なども詠んでいます。
鶏頭というとよく間違える四字熟語があります。それは、「牛のしっぽになるよりも、鶏の頭になる方がいい」ということで、「鶏頭牛尾」という言葉を思い浮かべますが、本当は「寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為ること無かれ。」ということで、「鶏口牛後」と言います。この言葉は、宋末期、元初期の曾先之の著した史書である「十八史略」のなかにあります。
秦は諸侯を恐喝し、領土の割譲を求めました。洛陽に蘇秦という者がいました。秦の恵王に遊説しましたが、用いられませんでした。そこで燕の文侯のところへ行って、趙と南北に同盟を説きました。燕は蘇秦に資金を与え、趙に行かせました。粛侯にこう説いた、「諸侯の兵力を合わせれば、それは秦の兵力の十倍に値します。力を合わせて、西方の秦を攻撃すれば、秦は必ず敗れるでしょう。大王の為に考えますと、六ヶ国が南北に同盟し、秦を排斥すればいいでしょう。」そこで、粛侯は蘇秦に資金を与え、諸侯と同盟を結ばせようとしました。そのときに蘇秦が使ったことわざが「寧為鶏口、無為牛後。」(小さな組織のトップになっても、大きな組織に従属してはならない。)こうして、南北六国の同盟が成立したのです。
ここでいう「鶏口」はニワトリの口で、小さい組織のトップをあらわしています。そして、「牛後」は牛の尻尾とも尻ともいわれ、大きい組織の下働きをあらわしています。ですから、秦に従属するより、たとえ小国でも独立を保て、と説いたのです。
でも、どうして鶏頭ではなく、鶏口なのでしょうか。ケイトウの花を見ながら考えてしまいました。