九州新幹線「つばめ」に乗って車内誌を見ました。よくブログで紹介するのが、飛行機の機内にある機内誌です。また、東海道、東北新幹線の車内誌です。同様に、JR九州には、「Please」という車内誌と、JR九州が発行している会員専用情報誌「旅三昧」があります。この「旅三昧」を、今回水俣で何冊かいただきました。その中で読み物としての特集に「ひと紀行」というものがあり、8月号では「吉田松陰」が取り上げられています。
幕末に活躍した薩長の志士たちで、薩摩では「郷中教育」という師はいないで、青少年同士の学びあいの教育でしたが、長州では松下村塾で多くの弟子たちに影響を及ぼしたのが、この吉田松陰です。彼は、6歳のころに兵学師範の家であった吉田家の養子になります。そして「山鹿流兵学」を必死に学び、11歳にして藩主・毛利敬親の前で講義をしています。この講義は大成功し、藩主は松陰の非凡さに驚き「将来は素晴らしい兵学者になるだろう」と周囲に話すほどだったといわれています。実際、19歳で独立師範になり、22歳で山鹿流兵学で最も高い地位の免許を手にしています。
この山鹿流兵学の始祖は山鹿素行です。彼は、会津に生まれています。先日、天地人つながり巡りで会津を訪れた際に、直江兼続屋敷跡に行ってみたら、その同じ場所に「山鹿素行誕生の地」という碑もたっていました。そして、その書は東郷平八郎が書いたものでした。
しかし、彼は6歳のときに父親に従って江戸に出て、9歳のとき大学頭を務めていた林羅山の門下に入り朱子学を学び、15歳からは小幡景憲・北条氏長の下で兵学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだようです。
彼はいろいろな大名から招かれますが、赤穂藩主浅野長直に仕えます。そして8年後には赤穂藩を致仕し、再び江戸で講義をします。そして、古学を提唱し、朱子学の観念論化を批判して「聖教要録」を著したため、幕府に忌まれ、翌年赤穂藩に配流されてしまいます。そのときに赤穂義士の大石内蔵助の年齢は、多感な8歳から17歳で、門弟でもあったわけですから、吉良邸の討ち入りには思想的に影響しているといわれるゆえんでしょう。
その後、許されて江戸へ戻り兵法を教え、吉田松陰等に影響を与えたのです。新渡戸稲造の「武士道」が最近また注目を浴びていますが、この本はもともと「Bushido, the Soul of Japan」という英文で発表されたもので、「日本人の心」を表したものです。武士というと、どうしても刀を持って、斬り合いをする人というイメージがありますが、江戸時代は、もう戦いはなく、戦うものとしての武士の存在は必要でなくなりました。そこで、「武士の生き方」が問われることになったのです。このように儒教によって理想化された武士の生き方を、従来の「武士道」にたいして、とくに「士道」と呼ぶのですが、この士道の形成に最も力をつくしたのは山鹿素行なのです。これによって初めて、儒教的な「仁義」「忠孝」などの倫理が、武士に要求される規範とされるようになったのです。すなわち、「武力を持った武士」という「武道」から、「教養のある武士」ということで人格的に優れており、国民の模範となる存在を目指した「士道」に代わっていったのです。
彼は、1685年に63歳で亡くなりますが、墓は、園から歩いてもいけるところにある曹洞宗の宗参寺にあります。

山鹿素行と言えば、どうしても忠臣蔵を思い出します。
『時に元禄十五年十二月十四日 江戸の夜風をふるわせて
響くは山鹿流儀の陣太鼓 しかも一打ち二打ち三流れ・・・
かかる折しも一人の浪士が 雪をけたてて
サク サク サクサクサクサク・・・・』
御存知、三波春夫の名調子で有名な元禄名槍伝「俵星玄蕃」の一節ですが、あらためて歌詞を読んでみると、おかしなことが多いですね。隣近所に響くような太鼓を打ち鳴らしたら、吉良邸に知られてしまうわけだし、「おのおの方、討ち入りでござるぞ」なんて宣言しないで、実際は音も立てずに忍び入ったはずです。たぶんに後世、脚色された話でしょうね。蛇足ですが、山鹿流の陣太鼓を調べていたら、Chinchiko Papaなる人物のブログに行きあたりました。この方の記事の中に「御留山の弁天社はどこへ?」とか「下落合の湧水は地下を流れる」なんていうのがあります。新宿せいがの近くに住んでいる人ですね。
またひとつ大変勉強になりました。
忠臣蔵も映画や小説で全般のストーリーは知っていましたが、先生のブログを拝見して、討ち入りの際の大石内蔵助の陣太鼓が「山鹿流」という意味がようやく理解できました。
何かの番組で、忠臣蔵も討ち入りから始まれば只のテロ行為にしか見えないが、浅野匠ノ頭の勅使接待拝命から見れば、主君の無念を晴らす忠臣となると視聴してなるほどと思いましたが、先生のブログでは、長州の吉田松陰まで波及していたことを教えていただきました。
拝見して大変得した気持ちでございます。
臥竜塾では飛行機の機内誌がよく登場してきますが、私も機内誌を読むのをいつも楽しみにしています。自分で雑誌などを買う場合は、当然自分の好みの内容が取り上げられているものを買います。しかし機内誌は違います。自分で選ぶわけではないので、興味とは違うものとの偶然の出会いがあり、そんな出会いからも学びがあります。学びの種はいたるところにあるからおもしろいですね。
新幹線飛行機の中に機内誌があるのはもちろん知っていますが、ほとんど通販の方を読んでしまいます。また読み物の方も全く読まないわけではありませんが、自分が興味のない内容は飛ばして読みます。もう少し、そういう部分も読んで、自分の教養をもっと身につけるべきですね…。
えっ!「墓は、園から歩いてもいけるところにある曹洞宗の宗参寺」!近場に山鹿素行の墓があるとは・・・!今回のブログを読みながら明治維新以降の日本帝国軍隊のとりわけ将校クラスに思いを馳せました。おそらく彼らの「心」は新渡戸稲造先生がまとめられた「武士道」で一杯であったでしょう。鉄砲はあっても「心」は刀。精神一到何事か成らざらん。「士道」は江戸時代までの「道」でしょう。しかし「心」は太平洋戦争・日中戦争までこの「士道」。原子爆弾が用いられるという時代「環境」にあっても「心」を優先する「士道」。「心」は大切です。しかし「時代環境」から乖離した「心」はいたずらに犠牲者を生み出すのみ。現今わが国の教育の「心」は「時代環境」を無視しその結果「犠牲者」続出、と思います。現場にてがんばりたいと思います。