人が生きていく上で大切なもの、そしてよりよく生きるためにもう一度見直そうというものに「衣食住」があり、それを少子社会の中で生活している子どもたちにどのように文化として伝えていくかということで「食育」「服育」「住育」という言葉が生まれ、それに対する具体的な取り組みが始められています。しかし、人を、子どもたちを支えているものはそれだけではありません。私が大学のときの卒論で取り組んだもののひとつのテーマは、「子どもたちは、街の中を歩き、街の人と出会い、街の中で子ども同士がかかわることで教育の目的の半分は達成できる」というものでした。地域の子育て力です。
そのような観点から、もう一度地域環境を見直そうという動きがあります。街が人を育て、人が街を育てるということを再生しようというもので、「街育」という考え方です。それは、ブログで紹介しましたが、私が子ども会の顧問をしていた時に映画になった取り組みの「地域お年寄り地図作り」や、今年の園の遠足で試みた「商店街巡りウォークラリー」などは、まず、地域の資源を発掘しようというものです。地域に内在している資源を探す活動です。
このような考え方を「地元学」と言って取り組んでいるのが、以前やはりこのブログで紹介した九州熊本県の「水俣」での活動です。そんな水俣に今日、明日の講演のために訪れました。
水俣と言うと誰でも「水俣病」を思い浮かべ、そのためにこの地域は様々な苦労をしてきました。よく見られるような被害者が、二次的な被害を被るというような差別を受けたこともあったようです。それを逆転した発想で、水俣病問題の解決と水俣病で疲弊した町の再生を環境から始めようと、水俣病患者と共に取り組んだことで2004年の第4回と2005年の第5回「日本の環境首都コンテスト」で総合1位の評価を受けています。
この取り組みを「地元学を始めよう」(岩波ジュニア新書)という本の中で吉本哲郎さんという人が紹介しています。この本を、以前、水俣の友だちから頂きました。今回、水俣を訪れるにあたって、少し紹介したいと思います。
吉本さんは、水俣で生まれ、大学を卒業後水俣市役所に勤務しますが、昨年、水俣病資料館館長を経て、退職して地元学ネットワークを主宰しています。私も以前この資料館を訪れましたが、過去の悲惨な資料よりも、それを学びとして未来への提案をしようとしている姿を感じることができ、その取り組みに感動してその時のブログに書いた記憶があります。
その考え方が、地域を知ること、おのれを知ることから始め、地域の持っている力、人の持っている力を引き出すという「地元学」の基本「あるもの探し」なのです。それが次第に「問題解決型」の地域づくりに加えて、「価値創造型」へ転換していくことになるのです。それが、資料館に展示されている水俣病で昨年亡くなった杉本さんの言葉「人様は変えられないから 自分が変わる」という言葉に表現されています。
まだまだ学ぶことはたくさんありそうです。
あるもの探し、問題解決、価値創造と並べてみると、この順序はいろんなことに当てはまることがわかります。だからこそ、ないもの探しは価値の創造に繋がりにくいでしょうし、時間ももったいないです。保育園にとっても地域は大切なキーワードです。あるもの探しから丁寧に行い、新たな価値の創造まであきらめずに進んでいきたいです。
かつて「苦海浄土」と呼ばれた水俣が、今、環境先進地としてその名を轟かせていることは驚きです。公害の「宿命」を見事に「使命」に転換して蘇らせた吉本さんの努力に敬服します。ブログにある杉本さんとは、水俣病の語り部の杉本栄子さんのことですが、彼女は大学の医者でも手当てできず、死んでしまうと言われたのを、『それなら自分で直す。食べ物でなった病気だから食べ物で直す。』と草木などを食べて漁ができる体に回復させたそうです。チッソや国を恨むより、自分らの住む水俣を見直そう。あの水俣だからこそ安全で安心な農産物を作ろうという逆転の発想で地域起こしを成功させていった。すごいです!自分も平凡な田舎町で暮らしていますが、「地元学」の手法で、この地域を再認識してみたいですね。
藤森先生が行った「地域お年寄り地図作り」「商店街巡りウォークラリー」などは、とても素敵な企画だと思いました。私自身、地域のお年寄りの事も全く知りませんし、商店街はあるものの実際に買い物もした事がありません。街が人を育て、人が街を育てるという「街育」というのは、今の時代だからこそ必要のような気がします。
私の地元では、昨日盆踊り大会がありました。町内の人たちが集まり、焼き鳥やかき氷、わたがしなど町内の人たちが販売し、町内の人たちが一緒に盆踊りをして、とても素敵な雰囲気でした。まだまだ地域の人たちがふれあう事があり、なんだか少し「ホッ」としました。
かつて「水俣病問題」に関わりました。そして『苦海浄土』の石牟礼さんや水俣にいて様々運動を展開していた人々と接触する機会を持ちました。公害病は70年代を通じて日本のあちこちにありました。しかしその公害病の中でも「水俣病」はその被害の深刻さからいって原爆の後遺症に苦しむ人々と同じではないか、との認識を持ちました。私のような外の人間は「水俣病問題」に関わったとはいえ、やはり自己の課題の移り行きによってその「問題」が対岸のものとなってしまいます。しかし地元の人たちはまさに死活問題です。「地元」の再生に取り組まなければ海どころか陸も死んでしまうということになったのでしょう。『地元学』として結晶した水俣の再生は驚嘆すると共に何だか他人事ではなく自分のことのように嬉しいことです。