宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩は、とても意味が深く、とくに仏教がよくわかっていなければ真の解釈は難しいかもしれません。しかし、そのようなその詩の本当の意味とか、本人の思いはどうであろうかということは研究者の課題であり、誰でもその詩を読んで感動するということは、その言わんとすることを理解するというよりは、自分の置かれている境遇なり、年齢において共感するところがあるからで、必ずしもそれが自分なりの解釈でもいいのではないかと思っています。
この「雨ニモ…」が多くの人々に共感されることと、教科書に掲載されることが多いこととは、少し違う意図があるように思えます。たとえば、広大無辺な慈悲の心を持つ「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル」という言葉も、軍国主義教育下においては「滅私奉公」や「欲しがりません 勝つまでは」という思想として利用されたり、「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」ということを、戦争に対して無批判的に時流に迎合するということに解釈する時代もありました。
また、この詩はある願望が書かれていたり、どのような人間になりたいかということが書かれてあるので、昔からパロディー化されてきます。有名なところでは、賢治のふるさとである盛岡市の小児科の医師が学会で発表されたもので、どこかの校長先生の作のようです。今の子どもを表していますが、今はその子も大きくなって親になっているでしょう。「雨ニモアテズ 風ニモアテズ 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ 意欲モナク 体力モナク イツモブツブツ 不満ヲイッテイル 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ 朝カラ アクビヲシ 集会ガアレバ 貧血ヲオコシ アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ 日照リノトキハ 冷房ヲツケ ミンナニ 勉強勉強トイワレ 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ」子どもたちが「現代っ子」と言われて久しくなりますが、ここの書かれている子ども像は時代が過ぎてますます課題として重要な観点となっています。
また、少し変わったパロディーが、最近、経済成長著しい中国で、中国版「私はこういう人になりたい」が話題になっているそうですが、その詩が笹川陽平氏のブログで紹介されていました。この願望は非常に具体的で、いろいろな国に対してどのようなイメージを持っているかがわかります。「サウジの給料をもらい イギリスの家に住み 日本女性を嫁にして 韓国女性を愛人に スペイン女性と遊びたい。フランスのワインを飲み オーストラリアの海鮮料理を食べ キューバの葉巻を吸ってみたい。イタリアの革靴を履いて スイスの腕時計をつけ フィンランドの携帯電話を使いたい。ロシアの別荘を買い フィリッピンの家政婦を雇い イスラエルのガードマンを使いたい。アメリカの飛行機に乗り ドイツの車を運転 そして、中国の共産党幹部になる。そういう人に私はなりたい!!」
この願望では、私は「日本女性を嫁にして」というところしか当てはまりませんが、ほかはそれほどしたいと思いません。
中国版「私はこんな人になりたい」を読んで思わず笑ってしまいました。ブラックジョークとしては秀逸です。オイルマネーで巨万の富を得て、イングリッシュガーデンのある家に住み、貞淑な日本人の妻をめとり、チマチョゴリをまとった女性を愛人にして・・・。う~ん、男の夢ですね(笑)。ただ、私は、日本人の家内だけでも手を焼いていますので、韓国人やスペイン人の愛人までは手が回らないかも(笑)。でも、外国人の目から見て、それほど日本人の女性は魅力的なのかなあ。だとすれば、やっぱり、うちの女房は世界一だと思って大事にしよう(笑)。
家内に、今の記憶があるままもう一度幼児からやり直したら、人生変るかな~?
と漏らしましたら
「幼児に戻って、藤森先生かあいやま先生のところでちゃんと保育してもらいなさい。そうすれば、わたしとちゃんとコミュケーションが取れる人に成長するから」
と言われました。言い返せませんでした・・・
そういう人にわたしはなりたい(苦笑)
「雨ニモアテズ」は現代っ子の置かれている状況を的確に表現していますね。こんな風にパロディーとして表現すると、メッセージ性がより強くなるように感じます。こんな表現ができるようになりたいものです。
中国版のパロディーは、内容は別として、ずいぶんとはっきりと願望を表現していることに驚きました。単に願望というだけでなく、中には批判も含まれているんでしょうか。そうだとしても、ここまではっきり言い切られると笑ってしまいます。
「雨ニモマケズ」がこんなにもパロディになっているのですね。どのパロディも独特で、とても面白いです。ただ、校長先生が作った当時の現代っ子を表したパロディは何年も前に作られたかもしれませんが、現在と同じ姿に思えます。
「盛岡市の小児科の医師」の「雨ニモマケズ」パロディーは学会でうけたでしょうね。「コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ」と言われない様にせめて我が子の子育てだけはがんばらないとと思いますが・・・。中国版「私はこういう人になりたい」は今の時代を如何なく発揮しています。しかも、まぁ、一時代前かな、と思われる節なきにしもあらず、ですが。いずれにせよ、今の時代は中国の方によって「私はこういう人になりたい」を言わしめる時代である、という認識が途轍もなく重要です。そして好むと好まざるとにかかわらず、こうした世界及び時代に生きている我々及びその子弟、特に現在日本の若者は、「雨ニモアテズ」ではお笑いにしても笑っていられない現実があることをなんとか認識しなければなりません。しかし問題の原因は、現今日本の大人が大方は「雨ニモアテズ」の結果責任を取ろうとしないだけではなく、まるで他人事(ひとごと)、のようであるから、です。