人が生きていく上で大切なもの、そしてよりよく生きるためにもう一度見直そうというものに「衣食住」があり、それを少子社会の中で生活している子どもたちにどのように文化として伝えていくかということで「食育」「服育」「住育」という言葉が生まれ、それに対する具体的な取り組みが始められています。しかし、人を、子どもたちを支えているものはそれだけではありません。私が大学のときの卒論で取り組んだもののひとつのテーマは、「子どもたちは、街の中を歩き、街の人と出会い、街の中で子ども同士がかかわることで教育の目的の半分は達成できる」というものでした。地域の子育て力です。
そのような観点から、もう一度地域環境を見直そうという動きがあります。街が人を育て、人が街を育てるということを再生しようというもので、「街育」という考え方です。それは、ブログで紹介しましたが、私が子ども会の顧問をしていた時に映画になった取り組みの「地域お年寄り地図作り」や、今年の園の遠足で試みた「商店街巡りウォークラリー」などは、まず、地域の資源を発掘しようというものです。地域に内在している資源を探す活動です。
このような考え方を「地元学」と言って取り組んでいるのが、以前やはりこのブログで紹介した九州熊本県の「水俣」での活動です。そんな水俣に今日、明日の講演のために訪れました。
水俣と言うと誰でも「水俣病」を思い浮かべ、そのためにこの地域は様々な苦労をしてきました。よく見られるような被害者が、二次的な被害を被るというような差別を受けたこともあったようです。それを逆転した発想で、水俣病問題の解決と水俣病で疲弊した町の再生を環境から始めようと、水俣病患者と共に取り組んだことで2004年の第4回と2005年の第5回「日本の環境首都コンテスト」で総合1位の評価を受けています。
この取り組みを「地元学を始めよう」(岩波ジュニア新書)という本の中で吉本哲郎さんという人が紹介しています。この本を、以前、水俣の友だちから頂きました。今回、水俣を訪れるにあたって、少し紹介したいと思います。
吉本さんは、水俣で生まれ、大学を卒業後水俣市役所に勤務しますが、昨年、水俣病資料館館長を経て、退職して地元学ネットワークを主宰しています。私も以前この資料館を訪れましたが、過去の悲惨な資料よりも、それを学びとして未来への提案をしようとしている姿を感じることができ、その取り組みに感動してその時のブログに書いた記憶があります。
その考え方が、地域を知ること、おのれを知ることから始め、地域の持っている力、人の持っている力を引き出すという「地元学」の基本「あるもの探し」なのです。それが次第に「問題解決型」の地域づくりに加えて、「価値創造型」へ転換していくことになるのです。それが、資料館に展示されている水俣病で昨年亡くなった杉本さんの言葉「人様は変えられないから 自分が変わる」という言葉に表現されています。
まだまだ学ぶことはたくさんありそうです。
月別アーカイブ: 8月 2009
衣食住
学校時代に習った友情と信頼関係の代表である「管鮑の交わり」という言葉がありますが、これは、管仲と鮑叔牙との交わりのことを言いますが、その管仲が管子という書物の中で「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」という政策の基礎となる考え方を述べています。「穀物倉庫がいっぱいになってはじめて礼節を知り、衣食が十分になってはじめて名誉や恥を知る」ということですが、人は、適当な「衣食住」が必要です。しかし、物事は「過ぎたるは及ばざるが如し」ではありませんが、倉廩に穀物をいっぱい貯めすぎるとかえって礼節を忘れることになり、衣食にぜいたくになりすぎるとかえって 名誉なのか恥辱なのかもわからなくあることが多い気がします。「衣食住」をどう考えるか、どのようなことが適当なのかを知る必要があるでしょう。そのために「食育」があります。同様に「衣育」「住育」が必要になります。
先月のフジテレビの「エチカの鏡」で「住育の家」という番組が放映されたようです。そこで取り上げられていたのは、宇津崎友見さんが、家族が幸せになる「住育」を提唱しているというものだったようです。そこで、家族が幸せになり、親も子供も皆が笑顔になるためにコミュニケーションがとりやすい環境づくりである「住育」のポイントをわかりやすく解説していました。お父さんの存在感、子供が幸せに五感を育むことができる環境、さらには使いやすい水回りのポイントなどを、具体的でわかりやすく紹介していきます。それは、どうも私の子どもの頃の家の造りのようです。子ども部屋など独立してなく、一家団欒の茶の間、人と出会う縁側、人を家に招き入れる応接間など、常に人とかかわるような場所が用意されていました。最近の住宅にはその代わりに一人で閉じこもれる場所が増えた気がします。
また、「衣育」という観点から「服育」という取り組みも行われるようになりました。制服メーカーや繊維メーカーやミキハウスなどがそのような取り組みを提案しています。株式会社チクマは、服育とは何かということでにこう書いてあります。「学校教育は、“知育”“徳育”“体育”の三育が柱であると言われています。健やかな身体を育む“体育”の一つとして“食育”が取り上げられ、“食”のあり方が重要であると再認識されるようになった事は御承知の通りです。そのような中、私たちは“生きる力”を育むという観点から、“衣服”も子どもたちにとって非常に重要な意味を持っているのではないかと考えました。」
確かに、衣についてもどうあるべきかを考えないといけないかもしれません。このコメントの中にもあるように、国際的にも通じる「服装マナーやセンス」、オンとオフを切り替える「自由と規律」、個と社会の関わりを考える「社会性」、衣服から考える「もったいない」の精神と実践としての衣服の「3R」、衣服を通してできる「安全性の確保」等、子どもたちに伝えなければならない事は数多くあるのではないかという点では共感できます。特に、これからは地球環境に対する考え方から、私たちが日常着ている衣服からどのように環境に貢献していくかを考えることも重要です。
また、村田堂という会社は、「衣服を通じて、人を育て、人を創る」というのが企業活動において最も重視しているところのようで、小学校から高校、一般までいくつかのテーマで「服育活動」をしています。
「食育」だけでなく、人としての環境を考えていくことは様々な分野で必要とされているところです。
食
ドイツのケストナー博物館で開かれている「食を巡る400年の歴史」を紹介している記事にはこんなことも書かれてありました。「“乾杯”という行為が、中世では毒を盛っていないという信頼の証だった・・・・・・など、知って面白い雑学も得られる」
以前のブログでドイツでの乾杯をテーマで書いたことがあります。プローストと言いながらグラスの底を合わせるドイツ式の乾杯。日本では、グラスの口元を合わせますが、どちらにしてもどうしてカチーンと合わせるのでしょうか。
乾杯という儀式は、古代に神や死者のために神酒を飲んだ宗教的儀式が起源です。それが次第に人々の健康や成功を祝福する儀礼に変化していったそうです。しかし、グラスを合わせるのはまた違った説がいくつかあります。
「酒の中に宿っている悪魔を追い払うために、グラスを会わせて音を立てる」「グラスを勢いよくぶつけ合うことで、互いの酒を互いのグラスに飛ばしあい、それを混ぜ合わせ、毒が混入していないことを証明しあう」「家の主と客が乾杯し、同時に飲み干すことで、客にすすめる酒に毒が入っていないことを証明する」などです。このように毒が入っていないことを表すのは、王位継承権争いで毒殺合戦が横行した時代であったため、また毒のわかりにくいリキュール類は特に危険な存在であったためにそのような習慣が生まれたと思われます。
一方、中国には“干杯”(ガンベイ)という儀式があります。これは、その字のごとく「杯を乾す」ということで、「グラスを空にする」ということです。また、乾杯はその宴を始める時に1回やるものですが、中国では、最初の一回だけではなく、お酒を飲む際に毎回乾杯することが礼儀です。昔、中国に行ったときに農林局の役人さんたちと飲んだことがあったのですが、それこそ大変でした。毎回干杯をするのですから。しかも、本当に飲みほしたかを毎回グラスの底を見せ合うのです。
乾杯という儀式は、広い意味で食育というか、食の文化の一つであることには違いありません。同じように、 食育には「味覚の教育」が必要であると言われています。フランスでは、ワインの醸造学者が小学校の先生たちと始めたのが、食の本物の味や生産地を知る「味覚の教育」といわれる授業です。映画「未来の食卓」のパンフレットにも「小さい子どもたちは、舌も敏感で、食を五感でとらえます。その大切な時期に、食を通して子どもたちの味覚と豊かな感性を育てる教育が必要である」と書かれてあります。その大切な時期に、食を通して子どもたちの味覚と豊かな感性を育てる教育で、フランスでは多くの小学校で実践され、毎年、味覚の週間としてもイベントでも実施されているそうです。実際に給食のときに子どもたちが好き嫌いを言う時にわかりますが、嫌いな理由が味だけでないことが多いのです。食感、色、舌触り、匂いなどでその食材のイメージを持ってしまいます。そのように子どもたちは、五感から感じることが味にも影響を与えます。
また、フランスで行われている食育の一環として国で予算をつけて推進しているものに「教育ファーム」があります。いわゆる農家体験です。農家を開放して畜産や農業の様子を子どもたちに体験させて食の現場を知らしめるというものです。
フランスは、食育の先進地といわれています。映画「未来の食卓」は、決して未来ではなく、「現在の食卓」にしていかなければ取り返しがつかなくなってしまいそうです。
食卓
今年の3月のフランスの新聞に「現代のフランスの若者の姿」という特集があり、その中で「将来に対してどのくらい若者が自信を持っているか」というデータが掲載されていました。そこでは、例えばデンマークなどでは60%、アメリカが54%、スウェーデン49%、中国43%、ドイツ36%、スペイン32%という数値の中でフランスはとても低く、26%しかありませんでした。(ちなみに日本は5%)そのようなこともあり、フランスでは今幼児教育改革が行われています。このような低い数値では、フランスの将来が危ないということでしょう。今まで、ただ少子化を防ごう、子どもを増やそうというスローガンのもと、経済効率を優先してきた付けが回ってきたことへの反省でしょうか。
フランスでは、このような経済効率化はいろいろな所にひずみを起こし、国民の心だけでなく、体にも栄養を及ぼし始め、その反省からいろいろなことに取り組み始めています。そのひとつに「食」があります。フランスは、食料自給率が100%を超える農業大国です。(ちなみに日本は40%以下で先進国で最低)しかし、フランスでは農薬を使っている農家の方々ががんなどの深刻な健康被害にあっていることが問題になっています。
そんな中で2006年からバルジャック村の給食センターはオーガニックを導入。有機栽培で育った食材、そしてなるべく地元の食材(地場産食品)を使った給食を、ガール県の公立校3校、私立1校、村の一人暮らしの高齢者を対象に200食を届けることになり、同時に、校庭の隅の小さな畑で子どもたちは野菜作りにチャレンジします。そんな試みにフランスの小さな村が立ち上がり、挑戦します。その1年間を追ったドキュメンタリー映画が「未来の食卓」です。先日、妻と二人で見に行きました。
この映画は、昨年11月にフランスで公開され、当初20館で上映が始まりました。公開後、見た人の口コミで広がり、56館まで拡大し、また映画を観た人が自分のライフスタイルにオーガニックを取り入れることを意識し始め、生徒の決定により食堂をオーガニック化した大学も現れるなど、社会的なムーブメントを起こしているそうです。この映画の冒頭で「人間の行動が病を生むのです。その最たる物が化学汚染です」と発言するシーンが出てきます。
日本では正確な数字はわからないとしていますが、日本農薬要覧によると、1年間で農薬26万590トン、うち殺虫剤は10万360.5トンが出荷数量として記録されているようです。この数字は耕地面積1haに対して撒かれる散布量を算出すると、世界2~3位だそうです。しかも、食料純輸入額の4兆600億円は世界ダントツ1位で、食料の60%を輸入に頼っているのが現状ですから、恐ろしくなりますね。
夏の間、ドイツのケストナー博物館では「食を巡る400年の歴史」(Zu Gast. 4000 Jahre Gastgewerbe)が開催されているようです。この展覧会では、400年前の食器やテーブルマナーからファストフードなど現代の食文化に至るまで、食に関する膨大な資料を通して、生命を維持し、文化を発展させてきた「食」の真髄を探るということで開催されています。また、外食する際に、味と同等、もしくはそれ以上に印象に残るのが接客サービスや食事環境ということからの観点の展示もあるようです。
どの国でも「食育」が盛んのようですが、フランスのように農薬使用の見直しとか、殺虫剤の散布の見直しとか、食料自給率向上とか、ムーブメントとしての具体的な運動に発展していかないのでしょうか。
竜王
人間力とはという話をした安藤忠雄さんは、今世界中から注目されている建築家です。彼の活動は建築でけでなく、町を創造し、木を植え、発想の転換を自ら実践して見せてくれます。それに駆り立てる原動力は「冒険」であるといいます。それは、彼の経歴が非常に特殊であるということが大いに関係していると思います。今月号のCasaの特集の中で安藤氏は「私の場合は、正規の建築教育を受けずに“この道で生きていこう”と自分で勝手に決めて奔り出した。スタート時点が、すでにレールを外れていましたから……。自ら探して、つくらないと仕事がない。平和な生き方を選び得ない状況があったんです。それを40年間続けてきましたから、さすがにもう疲れてきて“闘いたくない”気持ちもありますが。どっちにしても人生1回です。ならば、最後まで夢を追いかけて、人生を全うしたい。」と言っています。
なんとなく、私の人生と重なるところがあります。ただ、彼ば天才なので、仕事や取り組みはとてもダイナミックです。その分、冒険は多かったのかもしれません。しかし、それが作品に影響を与え、海外の有名なデザイナーたちがこぞって彼とのコラボレーションをしたがるのは、彼の建築の持つ独特の“強さ”であるといわれています。
その彼の作品を日本でもいろいろなところで見ることができます。このブログでも紹介したものでは、長野県「小海町高原美術館」とか愛媛県「坂の上の雲ミュージアム」などがありますが、今回、珍しい建物の設計である「竜王駅」に妻と行ってみました。
この駅は、山梨県甲斐市竜王新町にあり、中央本線の駅で、甲府より松本よりにひと駅行ったところにあります。この竜王駅は、2004年甲斐市が「竜王駅都市拠点整備事業」で、安藤氏に設計を依頼し、2006年に着工、昨年3月に完成したものです。安藤氏の設計というとコンクリート打ち放しのボリュームがあるものが多いのですが、この駅舎は鉄骨2階建ての「鉄とガラス」で作られ、鋭角的なボリュームが結びあわされた形をしています。それは、山梨特産の水晶の原石や鎹がモチーフだそうです。

また、南北の駅前広場を結ぶ長さ約120メートルの自由通路はガラス張りの外観です。
また、ガラスを通して富士山や南アルプス、八ヶ岳などを眺望できるのが特徴です。

安藤氏の数々の建築の中で一度訪れてみたいと思っていたのが、香川県の瀬戸内海に浮かぶ直島にある、建物がすべて地下に埋まった「地中美術館」です。今度そこを訪れる計画があるので、とても楽しみにしています。
安藤忠雄さんは、建築というのは、クライアントと建設会社、建築家とが一緒になって挑戦する“冒険”であるべきだと言います。ともに同じ目標に向かって奔ろうと。大事なのは、つくる形の前に動機の部分なんだといっています。そして、最後にこう締めくくっています。「今、建築も投資の対象で、土地を買って、建物を建てて、償却して、あるいは販売して儲けていくというようなことになっています。でも、私は、建築というのは意義のある仕事なんだということを信じているわけです。この夢を感じられなくなった時が、終わりだなと思いながら、この仕事を続けているんです」
私は、最近保育が投資の対象になり始めているような気がします。しかし、保育はとても意義のある仕事です。その夢をいつまでも感じていたいと思っています。
パロディー
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩は、とても意味が深く、とくに仏教がよくわかっていなければ真の解釈は難しいかもしれません。しかし、そのようなその詩の本当の意味とか、本人の思いはどうであろうかということは研究者の課題であり、誰でもその詩を読んで感動するということは、その言わんとすることを理解するというよりは、自分の置かれている境遇なり、年齢において共感するところがあるからで、必ずしもそれが自分なりの解釈でもいいのではないかと思っています。
この「雨ニモ…」が多くの人々に共感されることと、教科書に掲載されることが多いこととは、少し違う意図があるように思えます。たとえば、広大無辺な慈悲の心を持つ「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル」という言葉も、軍国主義教育下においては「滅私奉公」や「欲しがりません 勝つまでは」という思想として利用されたり、「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」ということを、戦争に対して無批判的に時流に迎合するということに解釈する時代もありました。
また、この詩はある願望が書かれていたり、どのような人間になりたいかということが書かれてあるので、昔からパロディー化されてきます。有名なところでは、賢治のふるさとである盛岡市の小児科の医師が学会で発表されたもので、どこかの校長先生の作のようです。今の子どもを表していますが、今はその子も大きくなって親になっているでしょう。「雨ニモアテズ 風ニモアテズ 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ 意欲モナク 体力モナク イツモブツブツ 不満ヲイッテイル 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ 朝カラ アクビヲシ 集会ガアレバ 貧血ヲオコシ アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ 日照リノトキハ 冷房ヲツケ ミンナニ 勉強勉強トイワレ 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ」子どもたちが「現代っ子」と言われて久しくなりますが、ここの書かれている子ども像は時代が過ぎてますます課題として重要な観点となっています。
また、少し変わったパロディーが、最近、経済成長著しい中国で、中国版「私はこういう人になりたい」が話題になっているそうですが、その詩が笹川陽平氏のブログで紹介されていました。この願望は非常に具体的で、いろいろな国に対してどのようなイメージを持っているかがわかります。「サウジの給料をもらい イギリスの家に住み 日本女性を嫁にして 韓国女性を愛人に スペイン女性と遊びたい。フランスのワインを飲み オーストラリアの海鮮料理を食べ キューバの葉巻を吸ってみたい。イタリアの革靴を履いて スイスの腕時計をつけ フィンランドの携帯電話を使いたい。ロシアの別荘を買い フィリッピンの家政婦を雇い イスラエルのガードマンを使いたい。アメリカの飛行機に乗り ドイツの車を運転 そして、中国の共産党幹部になる。そういう人に私はなりたい!!」
この願望では、私は「日本女性を嫁にして」というところしか当てはまりませんが、ほかはそれほどしたいと思いません。
なりたいひと
昨日のブログで紹介した宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」は、賢治が亡くなる約2年前、病床で手帳に鉛筆書きされたものです。この手帳は、「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれていて、その存在は賢治の生前には家族にも知られておらず、その背景からも本作は未発表だったようです。この手帳が一昨年の夏に全国各地で公開されました。その前に全国公開されたのは、賢治の生誕100年を記念して95年から96年にかけてでしたので12年ぶりでした。
この手帳は自省とその当時の賢治の願望が綴られた内容となっています。この「雨ニモ…」も段によってそれぞれ願望が謳われます。第一段では、健康に対する願望です。特に手帳にこの詩を書こうと思ったのは、「昭和6年35歳 9月、炭酸石灰とその製品見本をもって上京し、神田区八幡館で発熱臥床した。このとき死を覚悟して、父母近親への遺書二通を書いたが、父の厳命によって帰宅し、病床生活に入った。11月3日、手帳に「雨ニモマケズ」を書いた。」とあるように花巻の実家に戻って闘病中だったからかもしれません。何をするにしても、どんな願いを持ったとしてもまず体が丈夫でないといけないのです。そして、この「雨にも風にも雪にも夏の暑さにも負けない丈夫な体というのは、精神的な意味でもそれに負けない健康な心も持つことの必要性を自分に言い聞かせているのでしょう。
最近、出版界やテレビなどで活躍している経済評論家の勝間和代氏は、左右の銘として「三毒」を挙げます。彼女のブログには「仏教の三毒とは“妬む”“怒る”“愚痴る”でして、この3つをすることを、戒めています。自分のツキをよくするためには、この3つの毒を追い出して、“妬まない”“怒らない”“愚痴らない”を心掛けるわけです。昔は紙に大きく印刷して貼っていたのですが、最近ちょっと気持ちがおろそかになっていたので、また、心掛けたいと思います。」と書かれてあります。しかし、この内容についてはずいぶんと異論があるようです。それは、仏教でいう「三毒」は少しニュアンスが違っているからです。仏教でいう三毒とは「貪・瞋・痴」であるとし、とくに痴とは、愚痴ることでなく、物事を正しく認識したり判断したりできないこと。愚かであることです。賢治は、「雨ニモ…」の2段目でこの三毒を越え、自己を滅却して、仏の知恵を授かりたいという願いが謳われています。このころ賢治は、熱心な法華経信徒であり、煩悩の三毒から解毒された状態を理想とする行者としての賢治の願いだったのです。
三段では、生・病・老・死の四苦に苦しむ人々への癒しに身を投じ、ともに歩みたいという願いが書かれてあります。そして、最後の段になってはじめて今までの主語が「私」であることが分かるのです。そして、死を目の前にしながらも壮絶な人生への歩みが願いとして歌われます。馬鹿にされようと、相手にされまいと、われ一人ただ真っ直ぐに歩み続けたいと願うのです。菩薩道を求めての賢治の生涯は終わりに近づくにつれ、その求め方はいよいよ激しくなっているのです。
この「雨ニモ…」は、悟ったように穏やかである半面、ひとりでも自分は進んでいくといった気概を私は感じます。
夢を持つ
生きる意欲はどれだけ将来に対して夢が持てるかということに大きく関係してきます。このことはブログでも折に触れて書いていることですが、将来の夢とは様々なことがあります。まず、子どものころに持つ夢とは「将来どんな職業になりたいか」ということでしょう。子どもが選ぶ職業は、ずいぶんと子どもの置かれている時代、環境に左右されることが多くあります。というのは、知識がまだ少ない子どもたちが知っている職業は限られてくるからです。ですから、一番身近な「保育園、幼稚園の先生」とか「学校の先生」が一番に挙げられるのでしょう。しかし、この職業は一番身近だけあって、この職業に対するイメージは自分の担任であることが多いので、その担任にもよるでしょう。その人が知っている一部の印象によってその職業全体の印象をつけてしまっていることにもっと責任を感じてほしいものです。
子どもたちはテレビから情報を得るようになると、テレビの中の人に憧れるようになります。「歌手」「タレント」「野球の選手」などです。また、いろいろなお店を知ることによって「ケーキ屋さん」「花屋さん」「お寿司屋さん」などを挙げることも多く、しかし、これらの職業は好きというよりも扱っている商品が好きという場合も多いようです。そして、いろいろなことをやったり、体験するようになると、自分の好きなこと、得意なことがわかってきます。「サッカーの選手」「大工さん」「料理の先生」「画家」「ピアノの先生」などです。次第に、子どもの中に大人から吹き込まれた職業のステイタスがわかってきます。「お医者さん」「弁護士さん」「首相」などを挙げる子も出てきます。
この夢が実際に職業を持つようになると現実的になっていきます。「課長、部長になりたい」「会社を経営したい」「収入を多く得たい」などであり、仕事ではなく、「恋人がほしい」「誰かいい人と結婚したい」「子どもがほしい」「いい家庭を作りたい」ということもあります。これも周りの環境に影響されます。最近、結婚をしたがらない若者が増えていますが、それは、親を含めて身の回りにうらやましがるような結婚生活をしている人が少ないからだと言います。また、子どもをほしがらない人も増えているのは、子どもがいることの大変さばかりが目につくからのようです。
次第に年をとるに従って、夢がかなわないことを知るようになります。そのときに夢が無くなってしまうような気になることが多いのですが、それは違います。私も年をとってくると「どんな職業になりたい」とか「何がほしい」とかいうよりも「どんな生き方をしたいか」という夢を持つようになります。それが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」で謳われていることかもしれません。「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず 野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしは なりたい」
人間力
人は自分が生きているあかしを求めようとします。自分が今ここに存在する意味を考えます。それは将来への希望であったり、生きる意欲をもたらします。今の日本の若者が生きる意欲を失い、将来への夢を失い始めています。
6年くらい前になりますが、「若者に夢と目標を抱かせ、意欲を高める : ~信頼と連携の社会システム」という報告書が「人間力戦略研究会」から出されました。この報告書の中で、「人間力に関する確立された定義は必ずしもないが、本報告では、社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力と定義したい。」として「人間力」について定義しています。
またさかのぼること1996年、文部省の中央教育審議会(中教審)は「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という諮問に対する第1次答申を出しました。その中で、「我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた」という「生きる力」を中心に据えての話です。しかし、その後、教育はどのような具体的な取り組みをしてきているのでしょうか。ますます、「生きる力」「人間力」は弱まってきている気がします。
今月号のCasaの特集は建築家安藤忠雄の「人間力」「建築力」です。 彼は人間力についてこう語っています。
「人間というものは、考えて苦しみ、考えて苦しみ、苦しみつつも前進しながら生きていく。そしてその間に、生きる喜びを味わいながら、社会の理不尽への“怒り”を乗り越えていかなくてはならない。その思いの深さ、情熱の激しさが人間の生の原動力になる。私はずっとそう思っているわけです。建築家というと芸術的な仕事のように思われがちですが、実はこれほど現実的でドロドロした仕事はありません。多くの人間と、何より多額のお金が動きますから……。いくらいいアイデアが頭にあっても、経済や法律といった、いろいろなしがらみがあってなかなか思う通りに進まない。
そのとき、動かない仕事を動かすのが、“人間力”なんです。周囲の人間を巻き込んで、なんとしてもこれを作り上げるのだという気迫、デザイン力を超えた個人の情熱の力です」
そして、日本の歴史を振り返ります。自然と共生するような西欧都市の骨格ができたのは19世紀後半ですが、そのころの日本は明治維新で西洋近代化の社会を引き入れることに一生懸命でそれどころではなかったのです。しかし、西洋化するスピードの速さは世界の奇跡だと言われていますが、それができたのは寺子屋を含めて江戸時代からの教育が生き届いていた点であると指摘しています。都市のビジョンがなくとも、民族の尺度が高かった故、形の上では世界都市を造りえた。それが東京だと言います。
これからの時代をどんな人間力がつくっていくのでしょうね。そして、教育はどんな人間力を作っていくのでしょうか。
トクサ
一昨日のテレビで、手作りの数珠つくりの名人が出ていました。白檀の木を丸く切り取って磨いていくのです。その磨く方法でとても考えさせられたことがありました。まず、磨くときにやすりを使うのですが、そのやすりは紙やすりでも、鮫肌のような動物性のやすりでもなく、植物を使います。木という植物を磨くのにはやはり植物を使うといいのでしょう。その植物は「木賊」を使うというテロップが出ました。この字は漢名からきているそうですが、「トクサ」と読みます。
トクサの莖の表皮細胞の細胞壁には多量の珪酸質が含まれ、表面が堅く、特に筋状の部分がざらざらしているため、これを煮て乾燥させ、紙ヤスリのようにして研磨の用途に使ってきました。そこで、「砥石になる草」ということで「砥ぐ草」から「トクサ」と名づけられたのです。ですから、「砥草」とも書きます。
テレビでは、このトクサを、数珠を磨くのに使っていましたが、ほかにはどんなものを磨いているのでしょうか。多くは、木製品の作業工程などの磨き仕上げる工程に使用されています。たとえば、高級なつげのくしの歯や漆器の木地加工、クラリネットなどのリード楽器の竹製リードを磨いて調整するのにもトクサが用いられています。また、骨・爪などを磨くのに使い、音楽家の滝廉太郎が、身だしなみに気を遣って常々トクサで爪を磨いていたことは有名な話です。そのほか、さび落としなどの金属の研磨や、面白いところでは、和傘の骨を磨いたりするのに使われたり、オオトクサなどでは、歯を磨いて歯ブラシの代わりに利用します。そこで、別名「歯磨草(はみがきぐさ)」と呼ばれることもあります。
また、このトクサは、地下茎があって横に伸び、地上茎を直立させます。その姿のおもしろさから、庭で栽培されることもあります。特に日本庭園の水辺などに植えられています。その形からラテン語の「Equisetum」は、「equus(馬)+ saeta(刺毛)」が語源で、たくさん輪生するスギナの細い枝の形を馬のしっぽにたとえたのでしょう。この姿が水回りには似合いということで、私の園の手水鉢の後ろにトクサを置いてあります。
もうひとつ、このトクサの特徴があります。それは、中空で節があり、引っ張ると節で抜けます。節の部分にはギザギザのはかま状のものがあって、それより上の節の茎がソケットのように収まっていますが、このはかま状のぎざぎざが葉に当たる。茎の先端にツクシの頭部のような胞子葉群をつけ、ここに胞子ができる。私の子どものころに、祖母の家の庭の池の周りに植えられていて、その茎を使って節から引き抜いてよく遊んだものでした。
また、当然漢方にも使われます。干した茎は木賊(もくぞく)と呼ばれる生薬で、その煎液を飲用すると目の充血や涙目に効果があるといわれています。また、腸出血などを抑える薬にもなることから、昔はこの「トクサ」を刈ることで生計を立てていた人もいたそうです。
数珠を磨く話から木賊の話に行きましたが、話は戻します。テレビでは、数珠を磨いた後に本当のつやを出すために、多くの数珠を袋に入れてそれを洗濯板のようなところでこすり合わせます。それは艶はお互いがこすりあうことで出てくるということです。
私は、人間の艶も人同士が擦りあうこと、人同士の関係性から出てくるのだと思っています。