国では政権が代わりましたが、これからどんな政策が実行されていくのでしょうか。特に、子どものことに関してもマニフェストに表されていましたが、どうでしょうか。しかし、今までの少子化対策ではありませんが、その現象を正しく分析しないと、効果が上がらないだけでなく、逆の結果になってしまいかねません。
今、子どもが乳児のころから保育園に入れたいと思う人が増えました。その理由は、最近の不景気で働こうとする人が増えたからであるという考えが多いような気がします。また、最近の若い人は、育児が負担になり、人に預けようとする人が増えたからであるともいわれます。確かにそれらの理由もあるでしょう。しかし、私はどうも少し違うような気がします。その分析の背景には、「子どもは親が育てるのがベスト」であるという考えがありますが、はたしてそうでしょうか。
人は、社会の中で生きています。社会の中でそれぞれがそれぞれの役目を担って生きています。その人としての営みを子どもたちは学んでいきます。それが「生きる力」とも言える部分でしょう。「生きる力」というのは、無人島でサバイバルで生き抜く力ではなく、社会の一員として自分の役割を発揮できるような学びのことをいうような気がします。この営みを「生きる力」というのであれば、人は生まれながらにしてその力が備わり、その力を育てていこうとします。新生児が、自分の声と他児の声を聞き分けていることも分かってきています。
赤ちゃんが寝がえりを始める前に、動いているものを目で追い、音のするほうに顔を向けるという時期があります。そのときには、電池で動くものではなく、風が吹くとゆったりと動くようなモビールのような物を天井からぶら下げたり、風が吹くと美しい音色を奏でるウインドサウンドをぶら下げたりすることで、赤ちゃんの発達を促すと思っていました。しかし、実際に赤ちゃんを見ていると、動くものを目で追う時に、その対象として近くをよちよち歩く他児を目で追ったり、隣で寝ている他児が手足を動かしているのをじっと見ていることが多いのです。音にしても、他児が近くで何か音を立てるとそのほうに顔を向けます。この様子を見ていると、人は自分より強い他の生物が近付いてくることをいち早く察知するために、動きや、音に敏感になり、それが何かを見るためにそちらのほうに顔を向けるようになるのだという気がします。
しかし、少子社会では、家庭の中で自分以外で動いているものは親だけになります。赤ちゃんにとっては、親が動いている姿は速くて目で追うことができないのです。ですから、この時期に他の子どもと一緒にいることが必要になってきます。また、赤ちゃんは、ほかの子どもが遊んでいるのをじっと見つめています。それは、自分で遊ぶ時のために見て学んでいるのです。そして、その遊んでいるものが欲しくなり手を出します。しかし、まだまだものを取り合い、もめます。そこで大人が別の同じものを渡そうとしても、子どもは他児が遊んでいるものが欲しくてぐずることがあります。
これらは、社会の一員になるために、子どもが次第に他とのかかわりを学んでいく姿であると思います。子どもは、赤ちゃんの時から、いろいろの人の中で、他の子どもとのかかわりの中で生きる力を学んでいっているのです。このように、人は小さいころからある時間、子ども集団の中で生活することが必要であり、私は最近、その体験をするために母親は24時間ずっと子どもと二人だけで過ごすことが困難になるようにできているのではないかと思います。最近、兄弟が少なく、地域にも子どもが少なく、他児とかかわりが持てない少子社会では、親は、子どもが乳児のころから子ども集団に入れようという思いを持ちます。それが待機児を生むという状況になるのではないかという気がしています。