各地でやっと梅雨が明け始めました。暑い日が続きます。東京にいると、ピカチュウ探しに都内のJR駅を走り回っている子どもをよく見かけますが、今でも海へ山へ出かけているのでしょうか。海というと思いだす歌が、以前にこのブログで取り上げたことのある「我は海の子」と「海」という歌があります。「海」は、1913(大正2)年、「尋常小学唱歌(五)」に発表されたもので、昼と夜の海をよく表現しています。「松原遠く 消ゆるところ 白帆のかげは 浮ぶ ほしあみ 浜に高くして かもめは低く 波にとぶ 見よ昼の海 見よ昼の海」この歌からは、遠近だけでなく、高低差も、1,2番では明暗まで立体的に海を表しています。
 この歌の歌詞のように、浜辺の樹木というと、「松」が代表的なものです。松は、常緑樹で、針葉樹であるので防砂林には適しているからでしょう。静岡県の「三保の松原」、福井県の「気比の松原」、佐賀県の「虹ノ松原」の3ヶ所は日本三大松原として有名です。
 また、松という木は、日本では長寿を表す縁起のよい木とされていて、松、竹、梅のうちの一つで、食べ物などでは、松が一番上等とされています。また、能、狂言の舞台には背景として必ず描かれていますが、この松は演目によって山の松や浜の松、庭の松などに見立てられます。なぜ松が書かれてあるのかというと、色々な説があるようです。もともと能は野外で行われていました。そして舞台が大きな木の下に作られていました。それは、一つには、昔から大木には神が宿ると信じられていて、舞台を守っていただくという考え方もあったこと、また、季節で葉が散ったり、毛虫が落ちてこないように1年中色の変わらない松の木が好んで使われていたといわれています。歌舞伎でも「松羽目物」といって、能舞台をまねて歌舞伎の舞台の正面に老松を描いた舞台装置があり、能、狂言から取材した演目の多くでこれを使っています。
 今日訪れた琴平の金丸座(旧金毘羅大芝居)は、天保6年(1835)に建てられた、現存する日本最古の芝居小屋です。この舞台の背景も松が描かれています。
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 江戸時代になって、徳川家の本姓が「松平」であったこと、松と竹は他の植物を松ヤニや根っこで枯らして自分たちだけが群生するという特性を持っていることなどから封建時代の武士にとってもっとも理想的な姿であったために、松と竹はめでたい木として扱われ、鏡板と切戸の周りに描かれるようになりました。また、その樹形も盆栽によくつかわれるようにそこに歴史を感じるような様々な形をしていることなどから日本の文化を象徴する樹木となっていきます。また常緑樹として冬も緑の葉を茂らせることから、若さ・不老長寿の象徴とされ、日本の城に植えられ、非常時に実や皮が食料になるため重宝されてきました。
 また、松は江戸時代の多くの大名屋敷の庭園にも使われました。そして、庭園内には、特別に名前のついた松が存在します。高松にある「栗林公園」にも多くの松が使われていますが、中に鶴亀松(百石松)という110個の石を組み合わせ亀をかたどった岩組の背中に鶴が舞う姿をした黒松を配した美しい松があります。
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 また、丸亀二代目藩主京極高豊候により、中津の海浜に中津別館として築庭された「中津万象園」は、白砂青松の松原に続いて1500余本の矮松を植え、庭の中心には京極家先祖の地である近江の琵琶湖を形どった八景池があります。また、庭園内には、枝葉の直径15m余り、樹齢600年と云われている「天下の名松」といわれている「大傘松」があります。
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