マニフェストと道

 ここのところ、各党からマニフェストが出されています。選挙のときに候補者は、昔から選挙公報やポスターなどで「公約」を掲げていました。しかし、この公約というものは施政方針よりも広報の手段としての要素が強く、具体性に乏しく、なんとなくイメージ戦略的なところがありました。そこで、日本では、1999年の統一地方選挙の頃からマニフェスト(政策綱領)として方針を明文化することで、施政における責任を担保することになりました。
最近出されているマニフェストを読んでいると、各党とも子育てや幼児教育についての項目が見られます。その部分にも注目し始めたことは評価しますが、読んでいてどうも「縁木求魚」という四字熟語を思い出します。
この言葉は、孟子と斉の宣王との問答に出てくる語です。宣王は斉一国の支配に満足せず、武力で領土を広げていきます。そこで孟子は、「だいたい王は軍を進め、家臣を生死の危険にさらし、諸侯と怨恨を結んで、それで自分の喜びとしているのですか。」と聞きます。それに対して宣王は、そんなことを喜びとしているのではなく、大望を果たしたいからと答えます。では、その大望とはなにか教えてくださいと頼んだところ答えませんでした。そこで孟子は確かに、自分の満足のために行っていないことはわかるが、今のようなやり方で、王の大望を果たそうとするのは、「以若所爲、求若所欲、猶縁木而求魚也」ではないかと言うのです。
「猶(な)お木に縁(よ)りて魚を求むがごとし」とは、「まるで木に登って魚を捕らえようとするようなもの」という意味のことで、「誤った手段では目的が達成できない」という不可能なたとえです。この「縁って」というのは「近づいて」という意味ではなく、「登って」という意味になります。「木に登って魚をとります」ということを宣言しても、木の上に魚がいなければ魚を捕らえることはできません。もし、魚を捕らえたかったら、まずどのような魚がほしいのか、その魚はどんな習性を持っていて、どこに住んでいるのか、何を使えば捕らえることができるのかをきちんと検討する必要があります。ですから、ただ川に行けばいいとか、海行けばいいとかいうだけでもダメなのに、まして木に登って捕ろうということなど絶対に不可能だといっているのでしょう。もしかしたら、今回のマニフェストは、魚を捕りますと言って木に登ってみて捕れなかったら、魚を魚屋で高いお金を払って買おうとしているのかもしれません。
私は、それほど政治運動には興味がありませんし、どの政党がいいとかいうつもりはありませんが、武力やただ無駄なお金を使うよりは王道(王者の徳)によって政治をしてほしいと戒めた孟子と同じ思いがしています。この夏、私の仲間で主催するセミナーで「保育道」についての考えを話します。政治に王道があるように保育にも「道」があると思っています。保育は「保育学」という学問ではなく、人としての生き方、道を考えることだと思っています。
純粋に生きている子どもたちを見ていると、その子たちを守らなければという思いを強くします。

マニフェストと道” への5件のコメント

  1. 最近、テレビでは「横峯式」の保育だの、おばあちゃんの早期教育だの、なんだか奇抜な保育を見かけるようになりました。実は、これも「縁木求魚」の類いではないかと疑っています。保育とは、サイボーグを作ることではなく、その子を人間としてあるべき姿に育んでいくことだと思います。ハウ・ツーで保育を語るのも怖い。「手段」が独り歩きする保育は、本来の目的を見失ってしまうと思う。藤森先生、ぜひ当地でのセミナーでも、真の「保育道」とはなにかを語っていただきたいと思います。期待しています。

  2. 「縁木求魚」
    自分は、一介の職人ですが、随分以前に藤森先生から職人(業者)として「木に登って魚を捕らえよう」としている業者とご訓導いただいた気がしています。
    必要の無いものを買っていただこうと努力していたのです。
    今回のお話は、先生が意図される本来の意味でも、わたくしのような枝葉末節部分でも痛いほど理解できます。

  3. 政治運動は距離が近くなればなるほど恐ろしくなってしまいます。これは自分が勝手に思うことですが、利害関係などの詳しい事情を知らずに純粋な疑問を持つことは許されないような雰囲気を感じてしまうからです。まっすぐにシンプルに物を考えることができないように感じてしまうので、とても苦手です。
    それは置いておくとして、「縁木求魚」はズシリときました。自分自身が捕まえようとしている魚がはっきり決まっているのか、そしてそもそも自分のためだけに魚を捕まえようとしていないだろうかと、改めなければいけないことが頻繁に出てきます。今回の言葉は特に重く受け止めようと思います。

  4.  正直なところ各党が出したマニフェストをじっくりと見ていないので、なんとも言えません。私自身、そこまで政治にとても興味を持っているわけでなく、人並み程度です。ただ今の職業に就いて思う事は、教育にどこまで日本はお金をかけて支援していくかが気になります。確かに景気を回復させる事も大事なのは分かりますが、目先の事を考えるのでなく、もっと長い目で先のことを考えて欲しいと思います。

  5. 読売新聞創刊135周年企画「ポケモンといっしょにおぼえよう!ことわざ大百科」vol.116(8月1日号)のことわざは何と!今回のブログで紹介された「木に縁って魚を求む」でした。その解説には「木に登って魚を探すように、まちがった手段で何かを得ようとしてもむだだ。」とあります。ちなみに登場するポケモンは「でんげきポケモン サンダー」。今回各政党の選挙公約マニフェストを見ると、欧米において貧困家庭の教育を支援するため投入されたバウチャー(学校利用クーポン券・・・貧困対策です!!)制度を思い起こします。この国はもはや「教育は国家100年の計」を忘却し金をばら撒いて「貧困家庭」を救済しようとするだけの舵の効かなくなった泥舟国家と化してしまったのか、と情けなくなります。嘆いてばかりもいられません。補助金を有効活用するために、あるべき教育の姿について恐れず妥協せず現場から発信していかなければならないと思った次第です。

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