馬車道

 海の日に「開港博」に行くときにみなとみらい線で「馬車道」という駅で降りました。この町はとても由緒のある街です。昨日のブログで書いた日米和親条約の締結後、日本初の総領事として赴任したハリスの強硬な要求により「日米通商修好条約」を結びます。これによって貿易のため横浜港が開かれたのが横浜開港記念日なのですが、そのとき同時に関内に外国人居留地が置かれました。その関内地域と横浜港を結ぶ道路のうちの1つとして開通したのがこの馬車道なのです。その頃、外国人はこの道を馬車で往来していましたので、「異人馬車」と呼んでいました。それから「馬車道」と呼ばれるようになったそうです。その名残として今でも馬車道十番館の入り口あたりに、馬の水飲み場が残されています。
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また、この道は日本の外国文化への玄関口でもありましたですから、横浜には様々な「日本初」というものが多く見られます。開港博の中で「横浜ものがたり」というブースで、横浜から全国に伝わったさまざまな「はじめて」が紹介されています。その多くは、この馬車道から生まれており、その碑がたくさんあります。
まず有名なのが、「ガス灯」で、日本初のガス灯が、明治3年フランス人技師の手で設計されました。そして、「アイスクリーム」の発祥は、町田房造の氷水店で、明治2年の夏に初めて「あいすくりん」の名前で売り出されたものです。一人前の値段は2分(現在の価値で約8000円)と大変高価であり、当初は外国人にしか売れなかったそうです。今では、5月9日がアイスクリームの日で、馬車道では無料で街に来た人に「馬車道あいすくりん」を配っています。また、慶応3年、馬車道の各商店街が競って、柳や松を植えたのが「近代街路樹」の始まりといわれています。また、この道は個人の馬車だけでなく、「乗合馬車」も走っていました。明治2年、日本初の乗合馬車が、吉田橋から東京まで2頭だて6人乗りで走りましたが、東京まで約4時間かかったといわれています。
そのほかにも、明治元年、日本人として最初の写真家下岡蓮杖によって写真館「相影楼」が開かれたり、明治3年12月8日、日本で初めての日刊新聞「横浜毎日新聞」が創刊されています。
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そんな街を大切にしようということで、馬車道商店街(周辺)では「馬車道協定書」という、景観を守り、地域をより良くするため、街造りの協定が結ばれています。その理念として第1条には、「馬車道は、“日本の異国文化発祥の地”として、開港横浜の歴史・文化を大切にするとともに、新しい文化を提案する」と書かれてあります。協定書にはハードとソフト両面から提案されています。ハードでは、歴史資産を保存・修復などや歩行者空間の提案をしています。景観として、カラーリング提案もされていて、ベーシックカラー「緑・茶・黒・白」と、サブカラー「アクセントカラー」が定められています。
ソフト面として、「街で楽しむソフト」として、人と人、文化と文化、国と国が出会う“人間交流”の街として、“街での時間消費を楽しむ”ためのソフト機能の充実と、「家に持ち帰るソフト」として、異国文化・西洋文化の発祥地として、“馬車道が提案する生活文化を、人々の生活の中に持ち帰り楽しんでもらう”ための生活提案ソフト機能の充実が提案されています。
この協定書は、園作りにも参考になりそうです。

馬車道” への4件のコメント

  1. 残念ながら、馬車道商店街に行ったことがありません。こういう時のコメントはつらい(笑)。西洋文明の入口といえば、神戸の北野の異人館街を思い出しますが、あんなイメージでしょうか。ひたすら想像の世界を彷徨しております。馬車道商店街の協定書の精神「人と人、文化と文化、国と国が出会う人間交流の街」の一文を読んで、藤森先生が、かつてせいがの森保育園で、「子どもと子ども、子どもと大人、大人と大人の交流の結節点としての保育園」のあり方を探求された実践を思い出しました。街づくりと保育園づくりの共通点、また機会があったら詳しく論究していただければ…。

  2. 馬車道協定書をざっと読んでみました。とても分かりやすい内容で、街をつくる際の判断がしやすいだろうと感じました。とは言っても簡単にそうした街がつくれるものでもないと思いますが、軸としての存在感があります。園の理念なども同じで、しっかりとした軸があれば価値基準が明確になって優先順位の判断もしやすくなるはずです。そういう存在でなければいけないですね。

  3.  「馬車道」という駅は、行った事はありませんが、聞いたことがあります。名前から馬が関係していると、なんとなく思いましたが、やはり馬の水飲み場や、もちろん馬車も走っていたのですね。
     日本初のガス灯やアイスクリームなど、外国とのつながりが多くあった結果ですね。当時は外国とのやり取りに対して良く思っていなかったかもしれませんが、今の時代は、どんどん関わっていく必要がある気がします。むしろ、外国人が日本にたくさん来て、大学入学や仕事もしに来ると思いますし、そうなると、関わる事が普通になる時代になる気がします。

  4. 30歳前後頃から横浜で仕事をしたり結婚してからは横浜に5年ほど住んでいました。横浜は私の第3の故郷です。結局1990年代の10年間は横浜の地に何らかの形で関わることになりました。関内にある「馬車道」通りは懐かしいところです。よくフラフラお散歩をしていました。JR桜木町の駅を降りて海岸伝いに関内の方まで歩きます。その途中に「馬車道」があり結構おしゃれなお店が並んでいたという記憶があります。最近は全く足を運んでおりませんし今回の開港150年でさまざまなところに工夫の手がいられているのでしょうから昔と大分雰囲気も違っているのかもしれません。近々行ってみようかな、と今回のブログを読みながら思いました。

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