荒城

「水を 沢山 くんで来て 水鉄砲で 遊びましょう 一 二 三 四 ちゅっ ちゅっ ちゅっ」という「幼稚園唱歌」の中にある「水遊び」という歌の歌詞です。この「幼稚園唱歌」は、東京女子高等師範学校の教授だった東基吉の依頼により、幼児のための口語の歌詞に作曲された20曲の唱歌から成っています。この曲集の出版は1901年ですから、当時としてはこの歌詞のような口語で書かれた歌は珍しかったようです。作曲を依頼されたのは瀧廉太郎が17曲、鈴木毅一が3曲を担当しています。歌詞の大部分は、東基吉の夫人くめが担当しましたが、瀧自身が作詞したものが4曲あり、この「水遊び」という曲は歌詞も瀧で、22歳でした。
 瀧廉太郎といえば、以前大分を訪れたとき遊歩公園に「滝連太郎終焉の地」という標柱が建っていましたが、病を得た廉太郎は大分の父母の家に身を寄せ、1903年6月29日ここで没したそうです。
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 瀧廉太郎といえば有名に曲が何曲かありますが、特に「荒城の月」は、土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲による歌曲は、哀切をおびたメロディーと歌詞が特徴で、海外の賛美歌にもなっているくらいです。その歌詞は、七五調(今様形式)で、曲は西洋音楽のメロディーが融合した名曲です。この曲は、明治34年(1901年)に中学校(旧制中学校)唱歌の懸賞の応募作品として、瀧廉太郎が作曲したもので、原曲は無伴奏の歌曲でした。歌詞は、東京音楽学校が土井晩翠に懸賞応募用テキストとして依頼したものです。この「荒城」とは、どの城であるか論議されるところですが、土井晩翠は、仙台生まれなので、「青葉城」ではないかという説と、福島県会津若松市を訪れたときにイメージがわいたとして、「鶴ヶ城」をモデルにして書いたとも、また、滝廉太郎が曲を大分県竹田市の岡城址で連想したとかいわれ、それぞれ歌碑が設置されているようです。
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 「春高楼の花の宴 巡る盃 影さして 千代の松が枝 分け出でし 昔の光今いづこ」とあまりに有名な1番の歌詞ですが、長い年月を得た老松の枝を分けてさす光は、非常に美しい情景を思い起こします。「秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて 植うる剣に照り沿ひし 昔の光今いづこ」この2番の出だしである「秋陣営」は、上杉謙信の「霜は軍営に満ちて秋気清し数行の過雁月三更」からとったと言われ、霜が降り、澄み切った秋の空を雁が飛んで行く姿に哀愁を感じるとともに、鶴ヶ城での戊辰戦争の時の悲惨な戦いが思い出されます。「今荒城の夜半の月 変わらぬ光 誰がためぞ 垣に残るはただ葛 松に歌ふはただ嵐」さまざまな戦争やいろいろな出来事があっても変わらないのは月の光です。静けさの中で蔦は壁を伝い、松を揺らし、音を立てているのはそこに当たる風の音だけです。「天上影は変はらねど 栄枯は移る世の姿 映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月」栄枯盛衰、諸行無常の世の中で 月の光はいつの世も変わらず照らしています。今宵も城影からさしてくる月の光を浴びながらそんな感傷にふけります。
 本当の歌詞の意味は少し違うかもしれませんが、私は、会津の鶴ヶ城を訪れて、この歌詞が頭の中をよぎりました。大切にしたい歌ですね。

荒城” への5件のコメント

  1. 九州に住んでいる時に、竹田市の岡城祉に行ったことがあります。二つの川が合流する間の台地の上に築かれた天然の要塞ともいうべき山城で、難攻不落を誇ったそうです。築城されたのが源義経の時代と言いますから古城の部類に入ります。滝廉太郎は、この竹田で少年時代を過ごしていますので、荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象がとても強かったと想像されます。これまで、「荒城の月」のモデルは、岡城に間違いないと思っていましたが、確かに再建される前の鶴ヶ城もその歴史も併せて考えれば、この曲の詩にふさわしいですね。二人の持つ「荒城」のイメージの集大成がこの曲を生んだということでしょう。

  2. 荒城の月のなんともいえない悲しいメロディーは、歌詞の意味と関係なく、悲しい気持ちになります。歌うと何故か泣きそうになってしまうので、そんな理由だけで苦手な歌の一つです。歌詞の意味を知ってしまうと余計に歌えなくなってしまいます。歌を通していろんな感情を呼び起こすことのできる、作詞家や作曲家の力はすごいですね。

  3. 大晦に竹田市岡城に言ったときのことを思い出しました。
    荒城の月=滝廉太郎=岡城址だと思っていましたが、作詞家の方のイメージの場所は仙台と会津若松市だったのですね。(富山説もありますが… )
    岡城址に土井晩翠筆とされる歌碑がありますが、よく読むと2番の歌詞“秋陣営(じんえい)の霜の色”の『霜の色』が違っていました。
    調べて知ったのですが、東京生まれの滝廉太郎は竹田には12~16歳と逝去された年しか居なかったのですね。その上、土井氏とはロンドンでの1回きりの面識しかなったのですね。
    名曲は、それにまつわる話も語り継がれるのですね。

  4.  初めて「荒城の月」を聞いたのは、小学校の頃だと思います。聴いた瞬間、歌詞の意味はさすがに分かりませんでしたが、メロディが暗くて、きっと悲しい曲なんだろう…と感じました。当時、荒城がどこ城なのか?という疑問は持つわけも無く、また瀧廉太郎の生い立ちなど、知るわけもなく「荒城の月」を聞いていましたが、色々な説があるのですね。いつも思うのですが、昔の有名な歌、俳句、有名な人物にしても、その事について詳しく知っていないと、いざ写真の歌碑などを見てもピンときません。恥ずかしいですが、意外と小学校の教科書や資料集などを読み返してみると、今よりかは色々な事が分かるような気がします。

  5. 「荒城の月」は思い出多い曲です。高校時代、学校の部活では吹奏楽を、その傍ら市民合唱団のテノールパートにも属していました。その市民合唱団はベートーベンの「第九を歌う会」でした。合唱の楽しさを知るとまた別の合唱団にも参加しその時演奏会で披露するため「荒城の月」を歌いました。ゆっくりと歌詞の意味を味わいながら歌いこんだ記憶があります。とても素晴らしい曲です。「滝廉太郎」さんは音楽の教科書に写真が掲載されていたと思いますが、とても若かったと思います。あの若さで「荒城の月」そして「春のうららのすみだ川~」の「花」を作曲されています。若くてもこれだけの素晴らしい曲を残す。この一事だけでも「年齢」とはあてにならないものだと自戒を込めて思ったところです。

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