よく外国がいいとか、昔がよかったという人がいます。逆に日本が素晴らしいとか、今の時代が素晴らしいという人もいます。しかし、今を生きる私たちは、今をよくする必要があり、そのために外国のことや昔のことから学ぶ必要があるのです。外国にはその国の歴史や風土の中ではぐくまれた文化があり、昔にはその時代に必要な文化が形成されているのです。
薩摩の郷中教育や会津の什教育における子ども同士のかかわりから学ぶシステムは、意味の時代でも学ぶべきところがありますが、そこで教えていた内容は必ずしも今の時代にそのまま通用するものではありません。そのことを踏まえ、薩摩と会津での教えを見てみたいと思います。
薩摩の郷中教育の訓えには、「九ヶ条之掟」というものがあります。「忠孝を旨とし 文武の鍛練を励め」「礼儀をわきまえ郷中の団結を心がけよ」「山坂達者(山を走って足腰を鍛える)を励め」「何事にも詮議を尽し方針が定まった後は異論を立てず言い訳をするな」「嘘をつくな。弱音を吐くな」「卑怯な振る舞いはするな。短気を起こすな」「弱い者をいじめるな。目上を重んじ親に反抗するな」「無刀で門外へ出てはならない」「脇差一本を身に付けて町の辻角をまわるな」「いかなる時でも刀を抜いてはならない。抜けばただでは鞘に納めるな」の九つです。この中で、今でも子ども集団を形成するうえで必要な事柄がいくつかあります。「礼儀…」と「何事…」「嘘…」「卑怯…」「弱い者…」などでしょう。
一方、会津では6歳から9歳までの幼年者は、地域ごとの組に振り分けられました。これらの組は「お話の什」または「遊びの什」と呼ばれ、子ども同士の「遊び」のなかから、年長者への礼儀やさまざまな知識を身につけさせようというのが狙いでした。そのために子どもたちは、「什」の誓ひ(掟)」というのを大声で復唱します。「年長者の言ふことに背いてはなりませぬ」「年長者には御辞儀をしなければなりませぬ」「虚言を言ふことはなりませぬ」「卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ」「弱いものをいぢめてはなりませぬ」「戸外で物を食べてはなりませぬ」「戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ」これら7カ条に加えて「ならぬことはならぬものです」というのがあります。
会津といえば、10歳になると入学が義務付けられていた「日新館」という藩校が有名ですが、そこに入る前の6歳から4年間、「什」で過ごし、藩士としての心得が繰り返し教え込まれました。その教育の方法が薩摩の郷中教育と同じような子ども同士の学び合いがあったのです。町内の区域を「辺」という単位に分け、辺を細分して「什」という藩士の子弟のグループに分けました。什とは「十人」を一単位とする組織のことですが、別に必ずしも十人というわけではなく、人数はまちまちだったようです。この什には藩士の子弟といっても身分差別は全くなかったようです。什では「什長」というリーダーが選ばれ、什長は毎日、什の構成員の家の座敷を輪番で借りて、什の構成員を集めて「什の掟」を大声で復唱します。
このように、薩摩と会津の教育制度は、非常に似通っており、両藩ともに少・青年期において、居住する町内においてお互いの学び合いを行っているのです。そして、その学びには、子どもたちの自活的な活動があったのです。
薩摩と会津は歴史上因縁浅からぬ間柄にあります。不倶戴天の敵と言っていいかもしれません。幕末の禁門の変のときには、会津は当時佐幕派だった薩摩と会薩同盟を結成して、過激派の長州を追放。ところが、長州征伐の時に、現実主義者の西郷は、倒幕派に寝返り薩長同盟を締結してしまう。そして鳥羽伏見の戦い、そして歴史に名だたる白虎隊の悲劇を生んだ会津戊辰戦争へと歴史が大きく動いていくわけであります。同じような教育システムを持ってるがゆえに、質実剛健の尚武の気風という家風も似た藩同士が、憎しみ合う関係になったのは皮肉ですね。
外国からの学び方、昔のやり方からの学び方は、それらの背景も一緒に理解し、今に生かしていかなければいけないということが、きちんと理解できていないのかも知れません。何のために学ぶのかだけでなく、自分たちは今何が足りないのかも気づけなければいけません。簡単に学ぼうとするのは姿勢としては良くなさそうです。会津の什教育から自分は何かつかめるのか、しばらく悩み続けそうです。
藤森先生のブログで郷中教育を知り、その素晴らしさ教えていただきました。上の者が下の者の面倒を見て、教えあうという異年齢の関係の素晴らしさは昔から存在していたのですね。それが薩摩だけでなく、会津でも「什教育」という教育方法で行われていたのですね。寺子屋もそうですが、郷中教育、什教育のような教育が昔から日本で行われていたのを知って、異年齢で関わり、お互いが学びあう姿というのは自然というか、普通なんだと感じます。ただ、いつから年齢別になり、教室も壁で区切られるような、おかしな形になったのか?と疑問に思います。
江戸時代の後半から末期にかけては、郷中教育や什教育、のような子どもの主体の教育が全国各地で行われたことでしょう。その成果が明治維新以降の日本の国力となって顕われたことを考えると、何度も言いますが、現今の日本の教育は将来のいかなる国力となってあらわれるのか、あるいはグローバリゼーションの今日、世界全体のことを考える時、世界に貢献する力にわが国の教育は転化しうるのだろうか、と疑問に思います。私たちは歴史から学ぶことができます。江戸時代の藩校や寺子屋の教育そしてその教育の結果としての明治時代以降のわが国の躍進ぶりを振り返ることができます。昔に戻れ、ということではなく、温故知新。本気で教育改革を行わなければなりません。