今日のコラム

 今日の朝日新聞のコラムに「日米子育て観の違い」ということで、鈴鹿規子さんがアメリカから日本に留学してきている20代の男性との話について書いています。
 その話の中でそのアメリカ人の彼が日本でホームステイをした時に「日本人の家庭で家族の一員として暮らさせてもらう」と思っていたら彼を「お客さま」として迎えたことが一番驚いたということです。「朝ごはんから夜寝るまで至れり尽くせりで、親切心はわかるがかえって居心地が悪かったという」ようです。日本人は、確かに外国人に対して、特にアメリカ人にはなかなか家族のようには接することはしないような気がします。家族のように扱うということは、どういうことでしょうか。
先日、私の園の男性職員がちょっとミスをしました。その報告を受けた私は「あっ、そう。今後気をつけて!」と返答したら、後で私のところに来て、「園長先生はいつも職員を家族のように思っていると言っていたのに、そういう怒り方をしてくれなかった。もっと、家族のように怒ってほしい」と言われました。確かに、私は、報告を受けたときに真剣に聞かず、聞き流しました。それは、そのことに気づくかと思っての対応でしたが、それを、きちんと気づいてくれたのです。私は、人は誰でもミスをするものだと思っていますので、「もう二度としません」などという言葉はあまり信じません。しかし、それを少なくするような今後の工夫なり、そのことによって誰かに迷惑をかけているということだけは忘れないように、また、悪いことをしてしまったという気持ちをいつまでも持ち、ミスにマヒしたいでほしいと思っています。その気持ちが伝わった気がしました。
留学したアメリカ人が家族のように思わなかった理由を文化の違いだと思ったようです。「アメリカでは、子供も家の中で役目を持っていて、“これはあなたの仕事よ。いくら勉強が忙しくても家族の一員なら自分の役目は果たしなさい”と言われるという。」それに対して日本では、「その家の子どもさえもお客さま扱いされている。これでお互いに思いやり、助け合うという気持ちが育つのだろうかと、アメリカの家庭教育との違いに驚いたという。 」そこに生活習慣の内容の違いより、「文化が違うのだなあ」と感じたのはそのことだったと言っています。「アメリカでは、18歳になったら家を出て自立するのだから、その時に何でも自分で出来るように家の仕事を覚えておきなさいと幼いときから言われていたそうだ。」と書かれています。
しかし、これは本当かなと思いました。というのは、私の家でもアメリカの男子高校生を、ひと月くらいホームステイを受けていた時、彼は毎日はいているズボンや下着を私の妻に突出して「お母さん、洗濯しておいて!」とテレビを見ながら振り向きもせず言ったものでした。勿論与えられていた部屋も掃除もしませんでした。私の子どもたちでさえ、遠慮して頼んだり、家事を手伝うのにと思ったものでした。プライバシーの重視にしても当時中学生だった娘の部屋にノックもせずに入り、娘は、「お兄ちゃんでさえノックするのに!」と怒っていました。彼は、アメリカではかなり上流家庭の子で、優秀な学生でした。しかし、彼が我が家にホームステイをしてくれたおかげで、わが子たちは「日本人とは」とか、「アメリカ人とは」の前に、個人差ということを感じることができた気がします。

今日のコラム” への4件のコメント

  1. アメリカ人とか日本人とか、男性とか女性とか、集団で捉えることはよくありますが、その集団を作っているのは一人ひとりであるのは当然のことです。家族の形も様々です。平均でみると何か傾向があったりしますが、それを全てに当てはめるのは怖いことですね。自分なら「日米子育て観の違い」のコラムを読んで、そのまま納得してしまうと思います。個と集団をバランスよく見ることができなければいけませんね。

  2. 奈良県でまた高校生同士の凄惨な事件が起きてしまいました。先日も大阪で同じようなことがあったばかりです。今、子どもたちの心象風景では、家族とか、学校とか、友達の姿とか、一体どんなふうに見えているのだろう。友情とか信頼とか、思いやりなんてこととは全く無縁の極めて無機質な世界が広がっているのだろうか。「ヤマアラシのジレンマ」と言うショーペンハウエルの寓話を思い出します。『寒さの中、二匹のヤマアラシが暖めあおうと体を近づけます。しかし、近づきすぎるとお互いの針が刺さってしまう。かといって、離れると寒くなる。二匹は近づいたり離れたりを繰り返しながら、ようやくお互いに寒さをしのげる最もいい距離を見つける。』確かそんな話です。幼児期から家庭や学校で人との距離感を会得できる環境を作ってあげることが緊急の課題だと思います。

  3.  藤森先生のお子さんの言葉ではないですが、私自身、アメリカ人と限らず外国人は、個人のプライバシーや家族同士でのプライバシーを意識しているという印象がありましたが、それは個人差なんですね。コラムの子育てにしても、アメリカの方が「家族」という感じがします。実際に私もそうだったのですそんなに言えませんが、日本の子どもは、子どもだから炊事洗濯、掃除はしなくて良い、というイメージでした。ただそれも日本中の家族がそうでないと思うので、家族によって違うかもしれません。これも個人差かもしれませんが、アメリカのように家族として役割をもつのは当然というか、その方が家族としての一員と強く感じます。

  4. 米国人20代男性の「家族の一員」観はわかりますが、そのことをもって「文化の違い」と言ってしまうのはどうか、と率直に思います。例えば、日本の世帯数を調べるとおよそ五千万世帯です。ということは単純に「家族」と言ったところで実に多種多様な家族形態が存在するに違いない、ということが容易にわかるはずです。私が私の家族以外の方を家に迎え入れて長期間暮らす、ということになった場合でも、すぐに「家族の一員」と思えるかといえばそういうことはなく、また数年間暮らしてもそう思えるか、といえば実際の経験からそう思えなかった、というのが正直なところです。「家族」とは一体何でしょうね。少なくとも私は自分の「家族」と日々暮らして「家族」ということを意識することはありません。「役割」はそのつど必要とすることをそれぞれが行うことくらい。「家族」を考える時は「家族」が崩壊しつつある時、でしょうか。

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