昨日の孟子の言葉ではありませんが、四字熟語として日常的に使う言葉はあるのですが、そのほかの部分は論語にしても孟子にしても学校で習うほかはあまり触れることがありません。ですから、どのくらいの人が孔子や孟子の言った言葉を覚えているのでしょうか。数日前のニュースで、このような内容が流れました。「“山道は人が歩けば道になるが、歩かなければ雑草でふさがれる”。ワシントンで27日始まった「米中戦略・経済対話」の開会式で、オバマ大統領は演説の中で中国の儒学者、孟子の言葉を引用し、未来を切り開く道を米中両国がともに歩んでいこうと呼びかけた。「相互不信によって道を雑草でふさぐことはあってはならない」と強調し、対立ではなく持続的協力の必要性を訴えた。」
なんと、オバマ大統領が孟子の言葉を引用したのです。しかも、この開会式では、クリントン国務長官は「人々の心が一つになれば、泰山を移すことができる」という孔子の言葉を使って、世界の課題に米中が立ち向かう決意を披露したそうです。また、ガイトナー財務長官も、中国語の熟語「風雨同舟」を持ち出し、経済危機への米中の取り組みを評価したのです。逆に中国の戴秉国国務委員(副首相級)は、「イエス・ウィ・キャン」で演説を締めくくり場内を沸かせたといいますから、しゃれていますね。これらの演説は、事前に用意されていたものでしょうが、米中戦略会議の内容は、気候変動対策などで隔たりはあるものの、この挨拶で双方は気配りを感じさせたということで話題になっています。
オバマ大統領が逸話として例に出した孟子の言葉は、「孟子謂高子曰。山径之蹊間、介然用之而成路、為間不用、則茅塞之矣。今茅塞子之心矣。」(尽心篇・下篇)からです。
高子は斉地方出身の門人で、孟子の弟子だったのですが、他派に走って孟子のもとから途中で離れてしまった人です。その元弟子に向かって孟子は、「山中の道というのは、常に人が歩いていれば道となるものだ。しかし、少しの間でも歩く人がいなければたちまち茅(ちがや)がこれを塞いでしまうものなのだ。今お前の心は、茅で塞がれている。」ということで、最後は、離れていった弟子に対しての嘆きとも非難ともとれる言葉を言っています。
泉谷しげるの歌を思い出しました。「久しぶりです」という歌ですが、久しぶりにこの歌を思い出したので少しうろ覚えですが。
「ほんのとなりの街まで 足をのばせばいいことなのに 久しぶりが気はずかしく ついつい御無礼しています。あれほど必要だった人なのに まるで明日にまかせるように 思いで話にしようとしています」先日、ある会社で、懐かしい人たち何人かと会って、夜は数人と食事をしました。とても懐かしく、話が楽しく、なんだか少し前なのに青春時代を思い出したかのような気持ちでした。しかし、その人たちは、たった30分くらいかければ会いに行ける距離にいます。しかし、何となく会うのが気恥ずかしかったのかもしれません。そして、会っての最初は、この歌の二番の歌詞のようでした。「久しぶりの感激も月日のちがいがそうさせるのか おたがいの変化をまるでたしかめあっているようです あれほど必要だった人なのに まるで明日にまかせるように 思い出話にしようとしています」そして、こんな会話をします。3番の歌詞です。「あまり変わってないようだね でも少し腹が出てきたぞ 今なにをしてるの へェそう ちっともしらなかったよ あれほど必要だった人なのに まるで明日にまかせるように 思い出話にしようとしています」
まさに「山径之蹊間、介然用之而成路、為間不用、則茅塞之矣」ですね。