砂糖

スカイネットアジア航空機内誌に今特集されている記事が「一握の砂糖」というものです。最初に、砂糖についての質問が掲載されていますが、私はよくブログで「塩の道」など塩についての話題を取り上げますが、意外と砂糖については取り上げたことはなく、この質問を読んでいた知らないことが多いことに気がつきました。
最初の問いである「砂糖を最初につくった国」からわかりません。砂糖の原料が砂糖大根やサトウキビであることは知っていますが、誰がどこで作って、日本にもたらしたかというとわかりません。ニューギニア原産のサトウキビからインド人が作り出し、アレキサンドロスの兵士によって、イスラムやベネチアの商人によって、そしてコロンブスによって地球を一回りし、1500年代の中ごろ長崎に伝えられたといわれているそうです。ですから、ラテン語で砂糖のことをサッカラルムと言いますが、それは古代インドのサンスクリット語のサルカラから来ているそうです。それがシュガーです。そして、長崎にもたらしたのは、平戸に初めて入港したポルトガル船以降の様々な職業のポルトガル人によってです。
これらの砂糖の持ち込みが長崎の地で行われたことが同時に砂糖を使った「ビスカウト」「カステラ」「ケジヤアド」「ボーロ」「タルト」などの南蛮菓子も伝来されていったのです。これらのお菓子は、日本人の口に合うように改良されていったのです。その中の一つが、以前ブログで紹介したことのある「一香口」ですし、松山名物になっている「一六タルト」であったり、「丸ボーロ」「金平糖」「饅頭」そして「羊羹」であったりします。
もうひとつ興味をそそるのが、この機内誌に掲載されている広告に「長崎街道シュガーロード」というシュガーロード連絡協議会のものがあります。塩の道だけでなく、砂糖の道もあるのですね。江戸時代、鎖国のもと海外との交易が制限されて、砂糖貿易も長崎を通じて行われていました。そして、長崎に入った砂糖を京都、江戸などへ運ぶために使われていたのがシュガーロードです。その道は、長崎から佐賀を通り、小倉へと至ります。その道中肥前から長崎と佐賀の名物・名産となって今に伝わります。数は減っていますが、結婚式などの祝い事の伝統菓子・寿賀台もその変形だそうです。
江戸時代、1820年の「長崎出島の図」によると蔵十数棟のうち3つが砂糖蔵だそうです。砂糖は銀と等価でした。佐賀では、あこがれの職業では、1位が軍人、3位裁判官である中で2位は菓子店だったのです。戦前のキャラメル三大メーカーの森永、グリコ、新高の各創業者は佐賀出身であるのも頷けます。
最近、またなりたい職業に「ケーキ屋さん」とか「パティシエ」が上位に上がるようになっています。特にドイツではパティシエは医者並みの社会的地位だと言われています。