会津と天地人

私は東京生まれですので、「江戸っ子」ですということがあります。同じように大阪生まれですと「浪速っ子」と言ったり、北海道生まれですと「道産子」と言ったりします。しかし、江戸っ子には、もう少し厳密な意味が含まれます。「江戸で生まれ育った生粋の」ということが条件になります。生まれただけでなく、育っていることも条件になりますし、「生粋」という条件も入ります。生粋ということはどういう意味かというと、もう日等に言い方である「ちゃきちゃきの江戸っ子」という言葉があります。この「ちゃきちゃき」とは、長男(嫡男)の長男(嫡男)を意味する「嫡嫡」がなまった言葉で、3代続きの長男である場合のみ「ちゃきちゃきの江戸っ子」と言うようです。
また、「先祖代々ここの出身です」ということがあります。その時の「先祖代々」とはどのくらいの間のことを言うのでしょうか。たとえば、「先祖代々の墓」というのがありますが、だいたいにして今のような墓が造られたのはそれほど昔ではないので、代々といってもそれほどの長い間ではないはずです。これは「代々この職業です」という場合も同じで、それほどの長い間ではないでしょう。
今、NHK大河ドラマで「天地人」が放映されていますが、このころの戦国時代から江戸時代にかけて、大名たちは頻繁に国替えが行われていたようです。これは「転封」といって、江戸幕府(将軍)が、手柄に対する褒美であったり、罰則であったりで、大名の領土を別の場所に移すことで、「移封」とも「所替」とも「得替」とも言ったようです。私は妻とこの大河ドラマつながりの場所を訪れることにしていますが、この戦国時代から江戸時代にかけてがドラマの舞台の時には、訪れる場所はいろいろと変わっていきます。2006年に放映された山内一豊とその妻千代との話の「功名が辻」では、ずいぶんと転々としました。
尾張国(愛知県)に生まれ、織田信長に仕え、秀吉の与力となった時の功績により、近江国で400石を与えられ、この後、播磨国(兵庫県)を中心に2000石を領します。その後、豊臣秀次の宿老となり若狭国高浜城主、まもなく近江長浜城主となります。そして、遠江国掛川に所領を与えられ、最後には土佐国一国の領主としておえます。一体、どこの国の城主だったかわからないほどです。
今年の大河ドラマ「天地人」も、それほどあちらこちらではありませんが、主人公である直江兼続もいろいろな地で城主になります。大きく言えば、新潟、山形、福島が舞台です。今まで、新潟県の長岡、上越、直江津を訪ね、山形県の米沢、山形を訪ね、今回は福島県会津を訪ねました。この地にある「鶴ヶ城」は、文献史上では「黒川城」とか「会津城」とか「若松城」と呼ばれます。
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この鶴ヶ城は、戊辰戦争の際に、会津勢の立て篭もったことで有名ですが、実は上杉景勝が2年くらい城主になっています。ちょうど先週NHK大河ドラマで伊達政宗が葦名氏と連年戦いを繰り返していることに対して直江兼続が説得に行くところが放映されました。その説得にもかかわらず、政宗は葦名氏を滅ぼし、黒川城を手にします。しかし政宗は、その後秀吉に臣従し、会津を召し上げられ、代わって蒲生氏郷が黒川城に入ります。彼は、近世城郭に改造し、城下町を整備し、名も「鶴ヶ城」に改めます。しかし、氏郷の子である秀行が家中騒動のために下野国宇都宮に移封されたために、越後国春日山より上杉景勝が入封します。しかし、1600年、関ヶ原の戦いで西軍に加担した上杉景勝を徳川家康は石高を下げ、出羽国米沢に移封するのです。
この城の五層の天守閣が昭和40年(1965)に復元され、干飯櫓・南走長屋が平成13年に復元され、一般公開されています。復元にあたって、発掘調査や資料調査に基づいて設計が行われ、工事には往時の工法や技法を用いて本格的に復元されています。