オバマと孟子

 昨日の孟子の言葉ではありませんが、四字熟語として日常的に使う言葉はあるのですが、そのほかの部分は論語にしても孟子にしても学校で習うほかはあまり触れることがありません。ですから、どのくらいの人が孔子や孟子の言った言葉を覚えているのでしょうか。数日前のニュースで、このような内容が流れました。「“山道は人が歩けば道になるが、歩かなければ雑草でふさがれる”。ワシントンで27日始まった「米中戦略・経済対話」の開会式で、オバマ大統領は演説の中で中国の儒学者、孟子の言葉を引用し、未来を切り開く道を米中両国がともに歩んでいこうと呼びかけた。「相互不信によって道を雑草でふさぐことはあってはならない」と強調し、対立ではなく持続的協力の必要性を訴えた。」
なんと、オバマ大統領が孟子の言葉を引用したのです。しかも、この開会式では、クリントン国務長官は「人々の心が一つになれば、泰山を移すことができる」という孔子の言葉を使って、世界の課題に米中が立ち向かう決意を披露したそうです。また、ガイトナー財務長官も、中国語の熟語「風雨同舟」を持ち出し、経済危機への米中の取り組みを評価したのです。逆に中国の戴秉国国務委員(副首相級)は、「イエス・ウィ・キャン」で演説を締めくくり場内を沸かせたといいますから、しゃれていますね。これらの演説は、事前に用意されていたものでしょうが、米中戦略会議の内容は、気候変動対策などで隔たりはあるものの、この挨拶で双方は気配りを感じさせたということで話題になっています。
オバマ大統領が逸話として例に出した孟子の言葉は、「孟子謂高子曰。山径之蹊間、介然用之而成路、為間不用、則茅塞之矣。今茅塞子之心矣。」(尽心篇・下篇)からです。
 高子は斉地方出身の門人で、孟子の弟子だったのですが、他派に走って孟子のもとから途中で離れてしまった人です。その元弟子に向かって孟子は、「山中の道というのは、常に人が歩いていれば道となるものだ。しかし、少しの間でも歩く人がいなければたちまち茅(ちがや)がこれを塞いでしまうものなのだ。今お前の心は、茅で塞がれている。」ということで、最後は、離れていった弟子に対しての嘆きとも非難ともとれる言葉を言っています。
 泉谷しげるの歌を思い出しました。「久しぶりです」という歌ですが、久しぶりにこの歌を思い出したので少しうろ覚えですが。
「ほんのとなりの街まで 足をのばせばいいことなのに 久しぶりが気はずかしく ついつい御無礼しています。あれほど必要だった人なのに まるで明日にまかせるように 思いで話にしようとしています」先日、ある会社で、懐かしい人たち何人かと会って、夜は数人と食事をしました。とても懐かしく、話が楽しく、なんだか少し前なのに青春時代を思い出したかのような気持ちでした。しかし、その人たちは、たった30分くらいかければ会いに行ける距離にいます。しかし、何となく会うのが気恥ずかしかったのかもしれません。そして、会っての最初は、この歌の二番の歌詞のようでした。「久しぶりの感激も月日のちがいがそうさせるのか おたがいの変化をまるでたしかめあっているようです あれほど必要だった人なのに まるで明日にまかせるように 思い出話にしようとしています」そして、こんな会話をします。3番の歌詞です。「あまり変わってないようだね でも少し腹が出てきたぞ 今なにをしてるの へェそう ちっともしらなかったよ あれほど必要だった人なのに まるで明日にまかせるように 思い出話にしようとしています」
 まさに「山径之蹊間、介然用之而成路、為間不用、則茅塞之矣」ですね。

マニフェストと道

 ここのところ、各党からマニフェストが出されています。選挙のときに候補者は、昔から選挙公報やポスターなどで「公約」を掲げていました。しかし、この公約というものは施政方針よりも広報の手段としての要素が強く、具体性に乏しく、なんとなくイメージ戦略的なところがありました。そこで、日本では、1999年の統一地方選挙の頃からマニフェスト(政策綱領)として方針を明文化することで、施政における責任を担保することになりました。
最近出されているマニフェストを読んでいると、各党とも子育てや幼児教育についての項目が見られます。その部分にも注目し始めたことは評価しますが、読んでいてどうも「縁木求魚」という四字熟語を思い出します。
この言葉は、孟子と斉の宣王との問答に出てくる語です。宣王は斉一国の支配に満足せず、武力で領土を広げていきます。そこで孟子は、「だいたい王は軍を進め、家臣を生死の危険にさらし、諸侯と怨恨を結んで、それで自分の喜びとしているのですか。」と聞きます。それに対して宣王は、そんなことを喜びとしているのではなく、大望を果たしたいからと答えます。では、その大望とはなにか教えてくださいと頼んだところ答えませんでした。そこで孟子は確かに、自分の満足のために行っていないことはわかるが、今のようなやり方で、王の大望を果たそうとするのは、「以若所爲、求若所欲、猶縁木而求魚也」ではないかと言うのです。
「猶(な)お木に縁(よ)りて魚を求むがごとし」とは、「まるで木に登って魚を捕らえようとするようなもの」という意味のことで、「誤った手段では目的が達成できない」という不可能なたとえです。この「縁って」というのは「近づいて」という意味ではなく、「登って」という意味になります。「木に登って魚をとります」ということを宣言しても、木の上に魚がいなければ魚を捕らえることはできません。もし、魚を捕らえたかったら、まずどのような魚がほしいのか、その魚はどんな習性を持っていて、どこに住んでいるのか、何を使えば捕らえることができるのかをきちんと検討する必要があります。ですから、ただ川に行けばいいとか、海行けばいいとかいうだけでもダメなのに、まして木に登って捕ろうということなど絶対に不可能だといっているのでしょう。もしかしたら、今回のマニフェストは、魚を捕りますと言って木に登ってみて捕れなかったら、魚を魚屋で高いお金を払って買おうとしているのかもしれません。
私は、それほど政治運動には興味がありませんし、どの政党がいいとかいうつもりはありませんが、武力やただ無駄なお金を使うよりは王道(王者の徳)によって政治をしてほしいと戒めた孟子と同じ思いがしています。この夏、私の仲間で主催するセミナーで「保育道」についての考えを話します。政治に王道があるように保育にも「道」があると思っています。保育は「保育学」という学問ではなく、人としての生き方、道を考えることだと思っています。
純粋に生きている子どもたちを見ていると、その子たちを守らなければという思いを強くします。

28日という日

 昨日の28日は、オートスリアがセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が始まった日です。1914(大正3)年のことでした。この戦争は、長期にわたり、世界中を巻き込んだのですが、幸いにも日本は戦場とならず、直接の被害にはあいませんでしたので、あまり話題になりません。最後は、ドイツが18年11月に降伏し、翌年ヴェルサイユ条約によって講和成立して終わりました。
この戦争で日本が関わったエピソードとして伝えられていることを、以前徳島県板東を訪れたときにブログに取り上げたことがありました。青島で捕獲して徳島県板東など12か所の収容所に送られたドイツ軍捕虜約4,700名を、特に板東捕虜収容所で丁寧に扱い、地元住民との交流から、ドイツ料理やビールをはじめ、数多くのドイツ文化が日本にもたらされたという話です。ベートーベンの「交響曲第9番」も、このときにドイツ人捕虜によって演奏され、はじめて日本に伝えられたのです。この顛末が「バルトの楽園」という映画になっています。
そのほかにも、海外ではこの戦争を題材にして多くの小説や映画がつくられています。有名なものに「西部戦線異状なし」があります。この映画の原作は、第一次世界大戦の敗戦国ドイツ出身のエーリッヒ・マリア・レマルクが1929年に発表し、世界的な大ベストセラーになった反戦的な小説ですが、映画はアメリカ映画です。しかし、原作同様、戦争の過酷さをドイツ側から描いています。印象に残っている場面は、最後の場面です。長雨の後の晴れた日、静かな戦場からハーモニカの音が聞こえてきます。そこへ一羽の蝶が飛んできたので、塹壕の中にいる常々戦争の悲惨さを訴えているドイツの志願兵であるポール(原作ではパウル)がそっと手を出します。その瞬間、銃声一発しました。それは、敵の弾丸がポールの若い命を吹き消した瞬間でした。しかし、司令部報告では、「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」というものでした。
また、映画化もされましたが、アーネスト・ヘミングウェイの長編小説「武器よさらば」があります。この小説は、ヘミングウェイ自身の、イタリア北部戦線の従軍記者時の体験をもとにして書かれており、第一次世界大戦のイタリアを舞台に、アメリカ人のイタリア兵フレデリックとイギリス人看護婦キャサリンとの恋が描かれています。やはり最後が印象的で、キャサリンの妊娠が分かり、二人はスイスへと逃亡しますが、難産の末、子と共にキャサリンは死んでしまい、最後は雨の中をフレデリックは一人立ち去ってゆくところで終わります。
ほかに、私が好きな映画「アラビアのロレンス」も第1次世界大戦の中、オスマントルコからのアラブ独立闘争を描いた歴史映画です。1962年のイギリス映画で、第一次大戦下、イギリス人でありながら、アラブ独立の為にアラブ人を指揮して戦ったT・E・ロレンスの半生を描いた大作史劇映画です。アカデミー賞の10部門にてノミネートされ、7部門で受賞しています。延々と続く広大な白い砂漠と地平線を背景に手を上にあげて兵士を鼓舞するかのようにロレンスが跨ったラクダが駆ける場面が印象に残っています。
20090103_460547.jpg
「ジョニーは戦場へ行った」もいろいろと賞をとっています。第一次世界大戦に出兵したジョニーは、戦場で爆撃を受けて負傷し、病院に搬送されます。無事だったのは延髄と性器のみで、目も耳も口も鼻も失い、手足は切断されてしまい、ジョニーは過去を回想しつつ、現実に絶望し、自らの死を望むのですが。
戦争は、どんな場合でも悲惨です。

夏休みラリー

 先週の土曜日、園に出勤しようとしたら、JRの駅は異常な熱気に包まれていました。夏休みの土曜日なのに駅構内は非常に混雑していて、駅員さんはプラカードを持って人の流れを誘導しています。そのプラカードには、「スタンプ台はこちら」と書かれてあります。そうです。先週の25日土曜日から、JR東日本では、大人気アニメ「ポケットモンスター」を起用した、夏休みのファミリーイベント「JR東日本ポケモン・スタンプラリー2009」が始まったのです。首都圏の95駅に設置されてあるポケモンスタンプから6駅を選んでをパンフレットのスタンプ欄に押してゴール駅に行くと、素敵な賞品がもらえるのです。今年の目玉として、7月18日公開の映画「劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド・パール アルセウス 超克の時空へ」で初登場するポケモン「アルセウス」をはじめ、映画で活躍するポケモンたちがスタンプで勢ぞろいしていることです。さらに今年は、スタンプラリー開始以来初めて、2匹のポケモンが1つのスタンプ柄になったシークレットスタンプを大崎・秋葉原・北千住の3駅に用意されています。スタンプ台の設置は、朝9時30分?夕方4時までで、その時間帯はどの駅に行っても、スタンプ台を探している子どもたちの姿や、電車の中ではパンフレットを手にした親子をよく見かけます。
JRsutanpurari.JPG
私や私の子どもたちはポケモン世代ではないので、あまりよく知りませんが、95か所にはいろいろなポケモンのスタンプがあり、好きな子であれば、それを集めて回るのは楽しいかもしれません。ちなみに園のある高田馬場駅には「バクオング」、住まいのある八王子駅には「ミュウツー」が置いてあります。ちなみに、シークレットスタンプは、「ピカチュウ&ギザみみピチュー」と「ピカチュウ&ポッチャマ」と「ポッチャマ&ギザみみピチュー」のようですが、その名前は私にとっては何語かわかりませんが、子どもたちには人気があるのでしょうね。
JRsutanpu2.JPG
このような企画は、JR東日本だけでなく、各地でも行われています。関西地域では、JR西日本が、同じように「ポケットモンスター」を起用したスタンプラリーを8月1日(土)から8月16日(日)までの16日間、実施します。この地域の場合は、2つのポケモンスタンプ駅とゴール駅の計3つのスタンプを押せば、2種類のポケモンの賞品のうちのいずれかを抽選でプレゼントされるのと、「ピカチュウサンバイザー」がもれなくもらえます。さらに、ボーナスチャレンジのスタンプ駅で6駅のスタンプを集めれば、ボーナスチャレンジのポケモンの賞品がもれなくもらえます。
また、JR九州は、映画「劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド・パール「アルセウス 超克の時空へ」」の公開日に合わせて7月18日から、スタンプラリーを実施しています。この地域では、過去にも2005年の「ワンピース」のときには参加者2,246人、2007年の「仮面ライダー電王」のときには参加者3,637人を集めた実績があります。ほかにもJR東海、北海道などでも行われています。
JR東日本が毎年行っている小中学生の夏休みの期間にあわせて首都圏の主要駅にアニメポケットモンスターの登場キャラクターのスタンプ台を設置するという企画は、1997年から2001・2002年を除き、毎年行われています。1997年のときは、東京都区内の30駅、1998年からは山手線内の10数駅に設置されていただけでしたが、次第に増えていき、2003年2007年からは95駅に設置されています。
私鉄でも同様なスタンプラリーが企画されていますが、私としてはかつてどこかの私鉄が行っていたようなさまざまな星座を集めるとか、惑星を集めるとか、集めた後に図鑑になるような企画のほうが好みなのですが。

砂糖

スカイネットアジア航空機内誌に今特集されている記事が「一握の砂糖」というものです。最初に、砂糖についての質問が掲載されていますが、私はよくブログで「塩の道」など塩についての話題を取り上げますが、意外と砂糖については取り上げたことはなく、この質問を読んでいた知らないことが多いことに気がつきました。
最初の問いである「砂糖を最初につくった国」からわかりません。砂糖の原料が砂糖大根やサトウキビであることは知っていますが、誰がどこで作って、日本にもたらしたかというとわかりません。ニューギニア原産のサトウキビからインド人が作り出し、アレキサンドロスの兵士によって、イスラムやベネチアの商人によって、そしてコロンブスによって地球を一回りし、1500年代の中ごろ長崎に伝えられたといわれているそうです。ですから、ラテン語で砂糖のことをサッカラルムと言いますが、それは古代インドのサンスクリット語のサルカラから来ているそうです。それがシュガーです。そして、長崎にもたらしたのは、平戸に初めて入港したポルトガル船以降の様々な職業のポルトガル人によってです。
これらの砂糖の持ち込みが長崎の地で行われたことが同時に砂糖を使った「ビスカウト」「カステラ」「ケジヤアド」「ボーロ」「タルト」などの南蛮菓子も伝来されていったのです。これらのお菓子は、日本人の口に合うように改良されていったのです。その中の一つが、以前ブログで紹介したことのある「一香口」ですし、松山名物になっている「一六タルト」であったり、「丸ボーロ」「金平糖」「饅頭」そして「羊羹」であったりします。
もうひとつ興味をそそるのが、この機内誌に掲載されている広告に「長崎街道シュガーロード」というシュガーロード連絡協議会のものがあります。塩の道だけでなく、砂糖の道もあるのですね。江戸時代、鎖国のもと海外との交易が制限されて、砂糖貿易も長崎を通じて行われていました。そして、長崎に入った砂糖を京都、江戸などへ運ぶために使われていたのがシュガーロードです。その道は、長崎から佐賀を通り、小倉へと至ります。その道中肥前から長崎と佐賀の名物・名産となって今に伝わります。数は減っていますが、結婚式などの祝い事の伝統菓子・寿賀台もその変形だそうです。
江戸時代、1820年の「長崎出島の図」によると蔵十数棟のうち3つが砂糖蔵だそうです。砂糖は銀と等価でした。佐賀では、あこがれの職業では、1位が軍人、3位裁判官である中で2位は菓子店だったのです。戦前のキャラメル三大メーカーの森永、グリコ、新高の各創業者は佐賀出身であるのも頷けます。
最近、またなりたい職業に「ケーキ屋さん」とか「パティシエ」が上位に上がるようになっています。特にドイツではパティシエは医者並みの社会的地位だと言われています。

CO2

 先日横浜開港博に行ったときに一つのブースで環境についての実験が行われていました。そこでは、CO2について説明をしていました。まず、地球温暖化は、地球の熱を宇宙に放射することによって冷えるのが、二酸化炭素が地球を覆うってしまい、熱が放出できなるから温室のようになって温暖化になることをやさしく説明をしていました。その次に、ではその二酸化炭素を日常私たちはどのくらい出しているのかということをヘヤードライヤーを使って実験をしていました。もちろん、ドライヤー自体からは直接二酸化炭素は出ませんので、その使う電気の元(発電所)からの計算でしょうが、対象が子どもですので、わかりやすくしての実験です。博士を装うって白衣を着た女性がストップウォッチを持って1分間測ります。その横でアシスタントの男性がヘヤードライヤーを動かし、風を出します。それは、いかにもその口から直接二酸化炭素を出しているかのようですので、子どもには実感するうえでとても効果的です。1分たった後で、女性が、この1分使ったら、どのくらいの二酸化炭素を出しているかということを1?のペットボトルを取り出して何本分か予想させます。答えは、5本分だそうです。ということは、普通の人がヘヤードライヤーを毎日10分間使うだけで、ペットボトル50本分も出しているというのです。
これは正確ではないでしょうが、目に見えるだけにかなり衝撃的です。CO2量は、一般家庭やオフィスからの排出量が相変わらず増えています。CO2削減の義務を企業にだけ負わせるのでなく、私たち自身も日常生活の中での心がけで行動を見直す必要が求められています。ヘアドライヤーは、熱源に風を当てて熱風を出す構造ですので、電化製品の中では、電子レンジや冷暖房機と並んでかなりの電力を必要とし、よく容量不足の時にブレーカーを落とす元凶の一つといわれるぐらいです。私はヘヤードライヤーを使いませんが、髪を乾かすのに工夫が必要のようです。たとえば、ドライヤーを使う前にタオルでよく水けをふき取るとか、あまり長く使わないなどです。むしろドライヤーで乾いている髪に何度も何度も熱を加えると髪が傷みますし、髪もタンパク質なので熱変性したり焼けたりするそうです。
また、ドライヤーと言うと最近よくレストランや公共施設などの設置されているのが、トイレにあるハンドドライヤーです。これは、菌対策ということもあるのですが、そのためにハンカチを持ち歩かない人が増えてきているそうです。私は、割とハンカチを使うほうですが、手を乾かすのにハンカチを使う場合と、ハンドドライヤーを使う場合と、ペーパータオル1枚使う場合ではエネルギー消費量がどのくらい違うのでしょうか。もちろんハンカチの使用する場合が1番少なく、ハンドドライヤーは、ハンカチの約2倍の負荷がかかり、さらにペーパータオルは、2.4倍も負荷がかかるそうです。しかも、たまにペーパータオルを2枚使う人もいますが、その場合は4.8倍も負荷がかかります。もちろん、ハンカチはそのあと洗濯をするときにかかりますが、機械もメンテにかかるので同じです。
家庭による省エネルギー対策として、どのくらいCO2を減らせるかという表がありました。公共機関利用促進で170万トン、シャワーを1分短縮すれば93万トン、エコバッグを使うことで83万トン、テレビ視聴を1時間短縮すると27万トン、ジャーの保温を停止すると64.5マントン、エコドライブで121.5万トンなど工夫の余地はありそうです。
子どものころから目に見える説明で意識を高め、長期的に物事が考えられるようにし、大人たちが行動で見本を見せていくことが夏休みに子どもたちにしてあげられることのひとつかもしれません。

カブト

 園児が、昆虫界最強のカブトムシを持ってきてくれました。その体は光沢が強く、黒光りしています。また、脚は長く、ツメも大変鋭く、頭部に1本、前胸背板に2本の計3本の角を持っています。この長い胸角と頭角で相手を挟み、強大な力で木から引き剥がして放り投げます。鋭い爪を持つ長い前脚に掴まれたら、なかなか引き離すことができず、職員は腕から出血をしてしまいました。よく、動物園などでも見る世界最大のカブトである「ヘラクレスオオカブトムシ」がいますが、このカブトは、その立派な角に似合わず喧嘩はたいしてうまいほうではなく、闘争心にも欠けるそうです。それに対してこのカブトは、人に対してもおじけづかず、手をだすと猛突進して来て、3本の角で挟もうとします。造形・力・技・闘争心どれをとっても昆虫界ナンバー1といわれています。
kabuto.JPG
このカブトは、「コーカサスオオカブト」と言われている種類です。「ヘラクレスオオカブト」は、南米産ですが、このカブトは東南アジア産で、アジア最大のカブトムシです。オスの体長は130mmを超えるものもあるそうです。角が3本あることから英語ではスリーホーンビートルと呼ばれています。非常に闘争心が強く、幼虫も好戦的であり、大顎で噛む力も強いそうです。また、オスメスでも喧嘩を良くするので、一緒には飼えないそうです。これら外国さんのカブトムシが一般に出回るようになったのは、1999年に外国産カブトムシの輸入解禁からで、日本種よりもよりも大きな外国産カブトがマニアの間では人気があるようです。
カブトムシという和名の由来は、大きな角のある頭部が日本の戦国時代の武将がかぶる兜のように見えるからということはその中らも容易に推定できますが、実際にこのような角を持った兜は見当たりません。
また、外国ではカブトムシのことをbeetleと言いますが、これは甲虫類全体をさし、クワガタムシのことをstag beetleと言います。この音を聞いてすぐに思い出すのはもちろん「BEATLES」です。ジョン・レノンとスチュアート・サトクリフは、敬愛するロックンローラーバディ・ホリーのバンド名が「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ」と言い、クリケッツは「こおろぎ」という意味があるのでそれにあやかって甲虫類の複数形である「ビートルズ」と命名したといわれています。また、このBEETLESというのは、音楽のBEATを加える意味も表わし「ビート・ミュージック」というわけです。
もうひとつ、ビートルと言って思い出すのは、ドイツのフォルクスワーゲン社によって製造された小型自動車の通称「フォルクスワーゲン・ビートル」です。この「ビートル」の愛称で広く親しまれたこの古風な流線型車は、アメリカをはじめ全世界に大量輸出され、2003年のメキシコ工場における生産終了時点までに生産された台数は2,152万台以上に上り、モデルチェンジなしでの1車種としては未曾有の量産記録となっており、おそらく四輪自動車で、今後もこれを破る記録は現れないであろうといわれている伝説的大衆車です。もともと社名であるフォルクスワーゲンは、ドイツ語で「国民車」または「民族の乗用車」の意味ですが、今は株の半数以上はポルシェが持っているようです。
カブトは愛称にも使われるくらい、その姿は何か魅了されるのでしょうね。

雨宿り

 梅雨が明けても雨の日が続いている東京です。日本各地からも雨による被害が報告されています。「平年では」といっても、「平均気温」といっても年によってのでこぼこを平均化したもので、その数値が当たり前というわけではありませんので、その年によって気候の特徴があっていいのですが、全体になんだか心配な方向に向かっていなければいいですね。
 また、今降る雨は梅雨のころと違うのは、突然降ってきたり、突然やんだりします。今朝も家を出るときには大雨で、ズボンの裾と前のほうがびしょぬれになってしまいましたが、電車を降りるころには小降りになり、歩いているうちに次第に晴れてきました。その途中の公園でびっくりしたことがありました。公園の入り口で、後ろ向きの男性が突然ズボンを脱ぎ始めました。少し前に芸能人が公園で起こした事件のようなことが起きるのかと思っていたら、そうではなく、実は途中で晴れてきたので、レインコートを脱いでいたのです。今のレインコートは、普通の服のようなのもあってそのズボンを脱いでいたので、その下には、きちんとした服を着ていました。
 このような姿を見るようになったのは、実は東京都では「東京都道路交通規則」の一部が改正され、今月7月1日から施行されている規定があるのです。それは、「運転者の遵守事項に関する規定(東京都道路交通規則第8条)」で、「傘を差し、物を担ぎ、物を持つ等視野を妨げ、又は安定を失うおそれのある方法で、大型自動二輪車、普通自動二輪車、原動機付自転車又は自転車を運転しないこと」また、「自転車を運転するときは、携帯電話用装置を手で保持して通話し、又は画像表示用装置に表示された画像を注視しないこと」と決められました。そして、その場合5万円以下の罰金が科せられます。この規則により、傘をさして自転車は乗ってはいけないので、多くの人がレインコートを着るようになったのです。すると今の季節のように突然雨が降ったり、やんだりするときには大変ですね。
 まあ、そではなくても、突然と雨が降ると困ります。昔は、よくサザエさんの漫画にも出てきますが、子どもたちが傘を持って父親を駅まで迎えに行きました。また、「母さんが 蛇の目でお迎え うれしいな…」という歌にもあるように母親などが学校に傘を持って行きました。最近はどうでしょうか。今は、コンビニで安い傘を売っているのでそれを買う人が多いようです。また、傘を数本持っていて、職場や学校に「置き傘」といって置いておく人が増えました。
それにしても土砂降りの雨のときには困ります。一時の「雨宿り」が必要です。そんな「雨宿り」からいろいろな出会いがあるようで、歌のテーマになります。有名なのは、さだまさしの「雨宿り」で、最後のフレーズはしゃれています。「…気が付いたら あなたの腕に雨宿り」同様に、五輪真弓も「愛したわ 私 あなたのことを 今は別々の夢を追うけど めぐり逢いは素敵なことね 雨宿りするように二人」と歌っています。建石一作詞で岩出和也が歌っている歌は、「きっとお前も探してた 肩を寄せ合う心の傘を 夢ならさめるな旅の夜 お前と俺の雨宿り」
雨宿りは、心の避難場所でもあるようです。

音頭

 今週末は園の夕涼み会です。「地域文化の伝承」と「親子のふれあい」と「保育を厚くする」いう目的で行います。「親子のふれあい」では、今年のテーマ「世界」を親子でパスポートを片手に様々な体験しながら回ります。世界の衣装を着てみたり、世界の料理を食べてみたり、世界の楽器を鳴らしてみたりです。「保育を厚くする」という点では、この行事が単にイベントで終わるのではなく、日々の保育につなげていく工夫をします。世界の衣装は、3,4,5歳児の「ごっこゾーン」の変身コーナーに置かれます。世界の食事では、毎月国を決めて、その国の料理を味わっています。楽器は、製作ゾーンにその材料が置かれ、子どもたちは今後もいろいろとつくることができるようになります。
 もうひとつも目的である「地域の文化の伝承」のおもなものは、「盆踊り」があります。今、夕方になると希望の子が集まって練習する曲が全園に流れてきます。その曲を聴きながら、夕涼み会が近付いてきたことを感じます。私が子どものころに、近くの神社から盆踊りの練習している曲が流れてくるのを聞きながら、祭りが近付いてきたことを感じ、わくわくしたものです。その曲に一つが「落四音頭」という近くの小学校の音頭です。その踊りを隣の公立幼稚園の年長さんと私の園の年長さんが合同で、小学6年生から習ったものです。一緒に、小学校に入学してから躍る音頭です。
 もう一つの曲は、つい一緒に口ずさんでしまいます。「ハァ 踊り踊るなら チョイト  東京音頭 ヨイヨイ 花の都の 花の都の真中で サテ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ  ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ」言わずと知れた「東京音頭」です。作詞西條八十、作曲中山晋平というコンビは、「東京行進曲」と同じコンビですので、東京を描くのにぴったりです。当時と少し歌詞は変わっていますが、まさに東京の名所、特徴を表しています。「よせて返して 返して寄せる東京繁昌の人の波」「昔や武蔵野 芒の都 今はネオンの灯の都」「花は上野よ 柳は銀座 月は隅田の屋形船」「おさななじみの観音様は 屋根の月さえなつかしや」「西に富士の嶺 東に筑波 音頭とる子はまん中に」
音頭というのは「なになにするときに音頭をとる」というように「先に立ってすること」という意味もありますが、「大勢が歌にあわせて踊ることやその踊り」のことをいいます。作詞の西條は「どうせ書くなら、ひとつ東京全市を賑やかに踊り狂わせる」ような音頭を書こうと意図したとおり、当時の東京市民は、空き地に組まれたやぐらを真ん中に、スピーカーから割れんばかりのこの曲に合わせて浴衣がけの人々が踊り狂いました。中山の作曲も、誰もが思わず口ずさんでしまうような日本的風土にぴったりと合って、まさに晋平節の真髄です。
もともとは「丸の内音頭」という曲名で1932年(昭和7年)に制作され、日比谷公園での盆踊り大会で披露されたそうです。それを1933年(昭和8年)、当時の東京市民すべてが歌えるように改題・改詞され、小唄勝太郎と三島一声の歌唱でレコード化され、爆発的に流行しました。そして、このレコードは、なんと当時の文部省推薦に選ばれています。レコードの売り上げは発売当時だけで120万枚に達したといいます。その後も時代を越えたロングヒットとなり、総売上枚数は正確には不明だそうですが、1971年の時点で2000万枚以上を売り上げているともいわれています。
最近は、どの年代でも、誰でも思わず口ずさむような共通な歌はなくなってきた気がします。

馬車道

 海の日に「開港博」に行くときにみなとみらい線で「馬車道」という駅で降りました。この町はとても由緒のある街です。昨日のブログで書いた日米和親条約の締結後、日本初の総領事として赴任したハリスの強硬な要求により「日米通商修好条約」を結びます。これによって貿易のため横浜港が開かれたのが横浜開港記念日なのですが、そのとき同時に関内に外国人居留地が置かれました。その関内地域と横浜港を結ぶ道路のうちの1つとして開通したのがこの馬車道なのです。その頃、外国人はこの道を馬車で往来していましたので、「異人馬車」と呼んでいました。それから「馬車道」と呼ばれるようになったそうです。その名残として今でも馬車道十番館の入り口あたりに、馬の水飲み場が残されています。
basyamiti1.JPG
また、この道は日本の外国文化への玄関口でもありましたですから、横浜には様々な「日本初」というものが多く見られます。開港博の中で「横浜ものがたり」というブースで、横浜から全国に伝わったさまざまな「はじめて」が紹介されています。その多くは、この馬車道から生まれており、その碑がたくさんあります。
まず有名なのが、「ガス灯」で、日本初のガス灯が、明治3年フランス人技師の手で設計されました。そして、「アイスクリーム」の発祥は、町田房造の氷水店で、明治2年の夏に初めて「あいすくりん」の名前で売り出されたものです。一人前の値段は2分(現在の価値で約8000円)と大変高価であり、当初は外国人にしか売れなかったそうです。今では、5月9日がアイスクリームの日で、馬車道では無料で街に来た人に「馬車道あいすくりん」を配っています。また、慶応3年、馬車道の各商店街が競って、柳や松を植えたのが「近代街路樹」の始まりといわれています。また、この道は個人の馬車だけでなく、「乗合馬車」も走っていました。明治2年、日本初の乗合馬車が、吉田橋から東京まで2頭だて6人乗りで走りましたが、東京まで約4時間かかったといわれています。
そのほかにも、明治元年、日本人として最初の写真家下岡蓮杖によって写真館「相影楼」が開かれたり、明治3年12月8日、日本で初めての日刊新聞「横浜毎日新聞」が創刊されています。
basyamiti2.JPG
そんな街を大切にしようということで、馬車道商店街(周辺)では「馬車道協定書」という、景観を守り、地域をより良くするため、街造りの協定が結ばれています。その理念として第1条には、「馬車道は、“日本の異国文化発祥の地”として、開港横浜の歴史・文化を大切にするとともに、新しい文化を提案する」と書かれてあります。協定書にはハードとソフト両面から提案されています。ハードでは、歴史資産を保存・修復などや歩行者空間の提案をしています。景観として、カラーリング提案もされていて、ベーシックカラー「緑・茶・黒・白」と、サブカラー「アクセントカラー」が定められています。
ソフト面として、「街で楽しむソフト」として、人と人、文化と文化、国と国が出会う“人間交流”の街として、“街での時間消費を楽しむ”ためのソフト機能の充実と、「家に持ち帰るソフト」として、異国文化・西洋文化の発祥地として、“馬車道が提案する生活文化を、人々の生活の中に持ち帰り楽しんでもらう”ための生活提案ソフト機能の充実が提案されています。
この協定書は、園作りにも参考になりそうです。