フレンド

 ケストナーが描いた子どもの時代は、子どもたちは集団で動き、その中で友達ができ、その友達同士で助け合い、危機を乗り切ってきました。それが、映画「ベン」の中では、少年は黒ねずみを友とし、お互いにわかりあい、危機を乗り越えたり、悲しみを共有し合います。最近は、友といってもお互いにつるんでいるだけで、心を許しあったり、悲しみを共有したり、一緒に危機を乗り越えるような友は見当たらなくなりました。そんなときには、子どもたちは、「イマジナリー・フレンド」を持ちます。子どもの創造力から生まれた友達です。この友達を持つときは、孤独であるとか、自分だけが浮いている存在のように思うときとか、いじめを受けているとか、つらい思いをしているときとか、成長する過程での苦しみを分かち合う場合が多いようです。
 イマジナリー・フレンドともいえる存在の有名なのは、「ドラえもん」でしょう。のびた君が、つらい時、困っているときに話を聞いてあげ、その状態から救ってあげます。しかし、正確に言うと、このドラえもんはみんなにも見えるので、少し違うかもしれません。
 しかし、本来のイマジナリー・フレンドは、子どもが大人に成長する過程で気持ちを共有したいときに存在し、成長し、自立するに従って消えていくものなのです。そんな「いけちゃん」というイマジナリー・フレンドをもったヨシオ君の成長物語である「いけちゃんとぼく」という映画を日曜日、妻と見に行きました。この映画の原作は、「毎日かあさん」でテレビ放映もされている西原理恵子さんの絵本です。
この映画のパンフレットには、「いけちゃん」のことがこんなふうに書かれてあります。「いつの頃からかいつもヨシオのそばにいる。ヨシオにしか見えないし、色も形も変幻自在。お父さんが死んだ時も、いじめられたときも、いつも一緒にいてくれた。だが、ヨシオが成長するにつれ、その姿はだんだん見えなくなっていき、とうとう最後の日に いけちゃんはヨシオにあることを打ち明ける。それはあまりにもせつない告白だった…」
いじめられているヨシオは、強くなろうと早く大人になろうとします。しかし、いつもいじめっ子だったヤスとたけしが、別の町の悪ガキ集団に襲撃されている光景を目の当たりにした時、「上には上がいて、上の上には上の上の上があるんだ。無限に続くんだ。宇宙人や恐怖の大王まで。これは連鎖なんだ」と残酷な世界の法則を悟ります。だれかを敵にして、その敵をやっつければ解決するのではなく、その連鎖を断ち切らない限りは解決しないことを知るのです。その連鎖を断ち切る方法を見つけたときに「いけちゃん」は、別れを告げるのです。
パンフレットの中で、精神科医の名越康文さんは、イマジナリー・フレンドのことをこう言っています。「人間というのは、自分の想像の産物が独り歩きするという不思議な知性というか能力を持っていて、しかも“自分の中から出てきた他者”であるその存在に、自分が影響を受けるんです。特に10歳くらいまでの子どもの空想世界は、大人になってからとは全然違うものなんですね。きっと、多くの子どもたちは、彼らにとってもいけちゃんを持っていて、その言葉を超えたコミュニケーションが、無意識の中に深く刻み込まれている。そして大人になると、その時の特別な体験を実社会の中に探し始める。あるいは自分で作りだし、以降の人生を強く突き動かす力になる」
 フレンドを持っている人は幸せです。

フレンド” への4件のコメント

  1. 思い返してみると、自分も小学生の頃までは、悲しいことや辛いことを経験した時は、布団をかぶってぶつぶつ誰かにしゃべるのが好きだったですね。話の相手に名前をつけていたような気がしますが、さすがに思い出しません。あれが僕の「いけちゃん」だったのかなあ。中学生ぐらいになると、友達関係で不満を解消するようになりましたが、自立への入口として誰しもそんな経験をするのかも。でも、もし集団との折り合いがつかないまま大人になると、秋葉原の事件の犯人のように、携帯サイトの仮想空間で、誰ともわからない人々に怒りをぶちまけないといけなくなってしまう。彼には、自分だけの「いけちゃん」を持つこと(自立)も人との関係性を調整する経験(自律)もなく、大人の世界に放り出された人間の哀れさを感じます。

  2. 空気を読むことに一生懸命にならなければいけない人間関係がよく取り上げられますが、一緒であることを求めるあり方は何だか寂しくなります。決して自分勝手に振る舞うのではなく、個人の違いを尊重した人間関係を築き、その上で友達をつくっていける、そんな社会を少しでも示していかなければいけないんだろうと思っています。

  3. 「イマジナリーフレンド」のことは今回初めて知りました。のびた君のドラえもんがイマジナリーフレンド。なるほど。「上には上がいて、・・・これは連鎖なんだ」。これは因果の法則を解き明かしたお釈迦様の悟りの境地ですね。私たちは物心ついた頃から他と比較することを身につけてしまいます、幸か不幸か。自尊心とか自尊感情とかよく言われますが、実際にはそうした個の主体性を保障するようには世の中ができていない、ということがわかります。年齢を重ねるに連れて「自分は自分」ということが許されなくなっていきます、特に日本社会では。結果として「良いもの」とそうでないものの区別をつけられなくなり「まわりの空気」を読むことに汲々としてきます。とても疲れることです。そしてみんなが幸せではなくなります。

  4.  ドラえもんのような存在を「イマジナリー・フレンド」というのですね。ドラえもんは誰もが欲しい友達かもしれません。大半は、困ったら色々な道具で助けてくれるからという理由かもしれませんが、実際に私もその理由です。ですが、ブログの「いけちゃん」はドラえもんとは違ったイマジナリー・フレンドですね。ただ傍にいるだけで、自分が成長するにつれて消えていく…なんだか嬉しい反面、切ない気持ちになります。ただ、いけちゃんのような存在が大人になった時に大きな力になるのですね。時々、独り言を言っている子どもはもしかしたら、イマジナリー・フレンドがいるのかもしれませんね。

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