仙山

 現在は、当然のように使い、その便利さも意識しないものがたくさんあります。私は地方に行くことが多いのですが、そのときに便利に使うものに交通機関があります。今まで、便利な乗り物と言えばもちろん「車」でした。しかし、車は都内を走る時には、時として、不便を感じることがあります。まず、都内の渋滞です。目的地までのかかる時間が読めません。ですから、講演とか、人と待ち合わせをするときには非常にリスクを伴います。また、都内は、駐車場に困ります。少しの時間でも今は路上に止めることはできません。また、土地が高いということもあって、いろいろな施設に駐車場が少ないです。それでも、他に交通手段がないのであれば仕方ありませんが、都内は、電車や地下鉄が張り巡らされていて、目的地まで行く方法が何通りもあるくらいです。
 また、地方に行く場合は、時間が貴重なときには、飛行機や新幹線があります。これらの路線は限られていますので、特に飛行機の場合は、飛行場が目的地の近くにあればいいのですが、そうでないと利用は難しくなります。その時には、新幹線を使います。東京から行くときは、東海道、山陽道の場合は、岡山か広島あたりが、新幹線か飛行機かの境目であり、東北の場合は、ほとんど新幹線利用で、日本海側へはほとんど飛行機利用です。
 そんなわけで私は、かなり新幹線のお世話になっています。あんなに速くて、快適で、ありがたい乗り物はありません。その開発に関しての苦労には頭が下がります。
先日、講演の途中で「仙山線」に乗りました。その路線は、その名の通り「仙台」と「山形」を結んでいますが、すべての途中駅は、仙台市内と山形市内にあり、途中で他の市町村を通ることなく県庁所在地同士を直接結んでいるという珍しい路線です。このような両都市のみで完結する鉄道路線は日本全国でもこの仙山線のみだそうです。
この路線は、日本の鉄道の歴史に大いなる貢献をしています。途中駅である作並温泉のある「作並」駅のホームに、「交流電化発祥の地」と書かれた碑があります。
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そのそばの説明板には、「我が国の交流電化は、仙山線におけるデータを基礎として北陸本線、東北本線の電化へ、さらには新幹線へと世界に誇る鉄道として飛躍的に発展した。作並は、記念すべき交流電化発祥の地であります」と書かれてあります。日本では、戦後全国的に電化を進める際に、路線の電化費用を抑えられる商用周波数による交流電化についての研究が1953年(昭和28年)頃から開始されました。当初は、世界で初めて交流電化を実用化したフランスからの電気機関車などを輸入する予定でしたが、日本側は重電メーカが政府に国産を働きかけ、1955年に仙山線で試験を実施します。その後、1957年(昭和32年)に試験区間は仙台から作並間に拡大され、同時に交流電化区間における営業運転が開始されたのです。作並から山寺間はすでに直流電化されていたので、作並駅は日本初の交直流接続駅となり、交直流地上切り替えのための設備が設けられ、日本初の交直流両用電車(491系)が試作され、車上切り替えの試験も実施されたのです。ここで得られたデータや技術は、以後の幹線交流電化やそこで運転される車両にも活かされ、さらには新幹線の成功にもつながっていくことになるのです。
 山寺駅から見える立石寺は、蝉の声がしみいる岩がそびえたっています。
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仙山” への4件のコメント

  1. 学生時代、宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」に出会って、鉄道の旅の魅力に開眼。田舎のローカル線をのんびり乗り継ぐのが鉄道の旅の醍醐味と信じていました。あれから30年。日本各地のローカル線は、不採算路線は真っ先に切り捨てられ、「盲腸線」なんていう宮脇氏御推薦の路線も姿を消してしまいました。今日の読売新聞(大阪本社版)に元読売放送アナの羽川英樹氏が「昔日、夏の鉄道旅はいかが」と題して次のような一文を寄せています。『単線のレールの向こうには陽炎ゆらめき、枕木の間からは雑草が元気に伸びきっています。たった一両の列車はもちろん冷房なし。天井では大きな扇風機がブーンと廻っています。窓を全開するとモァーッとした生暖かい風が草いきれとともに飛び込んできます。窓側の座席前には小さなテーブルがあります。その下にある懐かしいせん抜きでバヤリースを飲みましょう。隣に座ったおばちゃんが赤い網から冷凍ミカンを1個くれます。暑い夏にはこの冷たさがたまりません。』こんな究極の鉄道の旅がまだできそうな路線は残っていないのでしょうか。

  2. 月曜日の大雨で山が崩れ、メインの道路が通行止めになりました。迂回路の山道は渋滞して大変でした。火曜日はメインの道路が事故で2時間近く渋滞しました。田舎で移動するのは車がほとんどですが、道が少ないためトラブルがあったときは大変です。交通機関が当たり前に使えることのありがたさを感じました。トラブルがあったときにイライラしてしまうことのないよう、便利さが当たり前にあると勘違いしないようにしたいと思いました。

  3. 「仙山線」はかつて二度利用したことがあります。一度は「山寺」を訪ねるためでした。もう一度は山形県の寒河江に行くためでした。平成の市町村合併で宮城県の仙台市域は東は太平洋沿岸から西は奥羽山脈山形県境まで拡がりました。ある時地図でそのことを知り愕然としたことを思い出します。平成の「合併劇」は町村文化を埋没させました。おそらく現在仙台市域になってしまったかつての町村地域に多種多様な民俗文化や伝承があったことでしょう。「仙台」の名称から私が想起するのは「伊達政宗」や「萩の月」です。確か「川崎村」とかあったように記憶していますが・・・。仙山線が「交流電化発祥の地」とは知りませんでした。電車の旅には学びが多いですね。

  4.  東京みたいに、電車が張り巡らされている環境は地方の人にとっては、とても羨ましい事です。電車を一本逃しても、数分後にはすぐに来ます。ただ人身事故などでよく遅れてしまうのが難点ですが、それでも違う方法で行くことが出来ます。また新幹線も、とても楽な乗り物ですね。時間は飛行機に比べると、かかってしまいますが、その時間の間に本を読んだり、パソコンで作業などが出来ます。こうして、新幹線や電車が成功し、そこから進化してきたのも、仙山線を開発した人達のおかげなんですね。今の世の中、たくさんの事が便利になってきましたが、それを当たり前に思うのでなく、たくさんの人のおかげというのを忘れずにいようと思います。

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