折り紙

 もう30年くらい前のことですが、プライベートで妻とカナダに行ったときのことです。カナダでは妻の友人であるカナダ人の家庭に泊めてもらいました。ある日、少し時間があったので散歩に一人で出かけました。すると、小学校がありました。そこでその学校を突然訪れてみました。私は、初めての海外でした。そのときに、ずいぶんとびっくりしたことがいくつかありました。まず、学校の校庭は全面芝生で、その校庭にはフェンスとか柵とか何もなく、道路と同じ面です。そして、中に入っていき、自分の身分を明かし、見学をお願いしました。すると、校長室に通されました。その校長はとても若い男性でびっくりしました。日本では、最近若い校長が増えてきましたが、そのころは校長というとかなり年配者でした。それは、教師が、主任になり、教頭になり、そのあとに校長になるからです。カナダでは、校長は教師とは全く別な職種なので、新聞などで募集をしたり、企業からヘッドハンティングを保護者がしたりすると聞きました。
 その校長に、学校の見学をお願いしてみると、快く承諾してくれ、校内をどこでもいいから好きに見てよいと言われました。まず、体育館に行くとまだ休み時間のようで、子どもたちが自由に体育館中を走り回っていました。すると、突然、放送で校長が話し始めました。チャイムなどなく、突然話し始めたのです。すると、自由に走り回っていた子が、一斉に体育館に書かれてある白線の上に、黙って、さっと座ったのです。校長は、「日本から見学したいという人が来たので、対応するように」という内容でした。話をしている間、子どもたちは先生がいるわけでもないのですが、静かに聞いていて、話終わるとまた元気よく走り出しました。見事でした。
 そのあと、教室を回っていたところ、あるクラスの担任から、子どもたちに折り紙を教えてあげてほしいと頼まれました。そこで、鶴の折り方を教えることにしました。まず、みんなに折り紙を三角になるように二つに折るように見本を見せました。すると、子どもたちは三角に二つに折って、その折り目を持って「鶴だ!鶴だ!」とひらひらさせながらとても喜んでいました。それを見て、このあと折るのをあきらめました。それがやっとの子どもたちに、そのあとの難しい工程はとても無理だと思ったからです。そのときに、折り紙は日本の文化であり、日本人は器用なのだということを再認識しました。
 たしかに、日本伝統の折り紙遊びは海外でも「Origami」の名称で知られ、多くの人たちに愛好されています。ですから、ドイツ研修にみんなでお土産を持っていくと、何人かは折り紙を持っていきます。しかしドイツでは、幼児教育の創始者フリードリヒ・フレーベルが考えた幼稚園教育には、「恩物」と呼ばれる遊具と、「手技」と呼ばれる遊戯が含まれていて、手技の一つが紛れもない折り紙でした。この恩物と手技は、三つの範疇を含んでいます。明治時代の翻訳では「物品科」「美麗科」「知識科」といいました。その中の物品科で普通の折り紙が取り入れられ、美麗科では、座布団折りや対称的な模様を折ったりしました。また、知識科では、折り紙から簡単な幾何学を教えていました。
 折り紙は、空間把握力や手先の器用さ、集中力を養う教育的・治療的効果などがあり、さらに折り紙は、数理・幾何の世界への優れた具体的なアプローチ手段であり、論理的思考をするための数学的訓練手段であるとしています。

折り紙” への5件のコメント

  1. 私が始めてアメリカにホームステイで行ったとき(もう20年以上前ですが)のホストファミリーが30歳の小学校の校長先生でした。UCLAの大学院で教育学を専攻して校長になって3年目ということで、20才台でも校長になれるということにとてもびっくりしたのを覚えています。日本のシステムとどちらが良いとは一概にはいえないと思いますが、転勤も無いのでしょうから長い目で学校づくりができるシステムのほうが良いのかもしれませんね。

  2. 日本折紙学会の羽鳥氏によるとー。折り紙にはいくつかの常識の誤りがあるといいます。その一。折り紙は日本固有の伝統文化ではない。19世紀前半、ヨーロッパには、スペイン語で「パハリータ(小鳥)」、フランス語で「ココット(雌鶏)」と呼ばれる折り紙があった。日本の開国とともに、東西の折り紙が融合したといいます。その二。折り紙は色紙で鶴や風船を作る子供の遊びと思われているのが、ここにも二つの間違いがある。まず、折り紙は色紙を使うとは決まっていない。江戸時代は和紙を使うことが一般的だった。また、子どもの遊びとしての折り紙が大半を占めるが、大人が楽しむ「数学的折り紙」とか「芸術的折り紙」というジャンルも存在する。常識の落とし穴と言うのはどこにでもあるものですね。

  3. 校長は教師とは全く別な職種というのは、カナダだけでなく、日本でもそう感じます。教師が校長になれないのではなく、教師として求められることと校長として求められることは違うと思うからです。それぞれの立場でしっかり役割を果たすことができれば、柔軟な教育体制もとれるのではと思ったりします。

  4. 私がこれまであまり体験したことがないものが「折り紙」です。自慢ではありませんが、「鶴」はおろか「兜」や「手裏剣」も折れません。そうそう「紙飛行機」を折るのも苦手です。それゆえ、あの1枚の正方形の紙からさまざまなものが折り出されるの目の当たりにすると驚きで一杯になります。そしてチャレンジはしてみるものの「そのあとの難しい工程はとても無理」と自らあきらめてしまいます。藤森先生が訪れたカナダの小学校の生徒と大差ありません。もっとも彼らの中には藤森先生のパフォーマンスに触発されて今頃折り紙大家になっている人がいるかもしれませんね。フレーベルも「折り紙」。そして今回ブログの最後の二行によって「折り紙の効用」を知ることができました。

  5. 30年も前の外国の小学校はすでに校庭は全面芝生化されていたのですね。日本ではやっと、いくつかの小学校が芝生化されてきたのを聞くくらいです。そして、学校のシステムも、ドイツの幼稚園と一緒で、校長先生は変わらないのですね。そして、子ども達の姿も、本当に見事です。ずっと校長先生が変わらない事で、その学校の理念がぶれずにいて、それが教師に伝わり、子ども達にも自然と浸透していくのだと思いました。

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