最近、私のブログで取り上げる内容に「男脳と女脳」があります。それは、NHKテレビで放送されたNHKスペシャル「女と男」という番組の中での話が面白かったからです。興味を引いた中の一つが女と男とでは、脳の働かせ方が違うという部分でした。その違いの一つを簡単に言うと、男は空間把握能力が高いが、女は言語能力が高いということです。それは、番組では人間の長い進化のなかで、獲物を追って狩をしていた男たちには、地形や距離を読み取る能力が必須でした。一方女たちには、身近な人たちと助け合うコミュニケーションの能力が絶対に必要でした。その役割の違いが、「女の脳」と「男の脳」を作ったというのです。ですから、「地図の読めない女」というのは間違いで、本当は「地図は男脳の為に作られている」ということだと言います。ですから、地図を言葉で説明をしていたら「地図の読めない男」となっていたのではないかということでしょう。
もちろん、これは厳密にいうと、個人差ではあるでしょうが、おおむねそのような傾向にあるということなのでしょう。もしそうであれば、保育が「環境を通して行う」ものであり、その環境の重要な要素として「空間」という場があるとすれば、その環境を構成していくことは多くの女性には難しいと言えます。ですから、もしかしたら、保育を「保育者から言葉がけ」が重要であるとするのは、言語能力の高い女性が多い職場であるからかもしれません。どちらが重要ということではなく、そのような意味でも保育とは、両方の性が必要な世界かもしれません。
また、同じようにこのブログによく登場するスターティング・ストロング(OECD)では、「就学前カリキュラム」(Lpfoe,1998)は、就学全施設に次のことを課しています。
1.子どもたちは、語彙とコンセプト、言葉遊び能力、書き言葉への興味関心、象徴の理解、そして言葉の持つコミュニケーション機能を発達させる。
2.子どもたちは、意味ある文脈及び状況において数学を発見し、使用する能力を発達させる。
3.子どもたちは、数字、計量、形態概念の基本的特徴の正しい認識及び時間と空間の中で自らを方向づける能力を発達させる。
4.子どもたちは、動植物に関する知識のような自然作用や単純な科学的事象に自分たち自身も関与しているという理解を高める。
もちろん、これは目標設定の最後のほうであらわれるものであるものとしていますが、内容を見てみると1の項目以外の項目は、一般的に女性が苦手な分野のような気がします。しかも、日本の保育者が苦手とする分野のような気がします。それは、その分野はおおむね理系と言われる分野だからです。そのようなことが求められてくるに反して、保育者は、男女とも文系が多いからです。本当は、文系理系と分けることも変ですが、受験のときにコースとして文系、理系と分けられました。日本ではすでに大正7年に勅命として出された高等学校令の第8条には「高等学校高等科を分ちて文科及理科とす」という規定がありました。確かに、人は男女差だけでなく、得意不得意がありますが、それが文系理系と別れるわけではありませんし、職業を、文系理系と分けるのは変です。まして、人間を相手にする保育という職業は文系であるという決めつけも変です。そして、その保育を研究する教育学とか発達心理も文系というのも変です。理系、文系というのは何なのでしょうね。
人が人と接するとき、理系の接し方や文系の接し方などはありません。生き方にしても同じだと思います。職業にしても、そのことを知っておけば役に立つということはあるとは思いますが、理系、文系で簡単に分けられるものではないと思います。私自身も、保育以外の分野の方とも議論できる力がなければいけないと思っていますし、やはり大切なのは総合的な学力なのではないでしょうか。総合力の中から自分の得意分野が突出しているという形が、自分の目指しているイメージです。
藤森先生は、「母性の保育」から「父性の保育」への転換を提唱されていますが、無知な私は、男性園長が考えた保育論だから「父性の保育」だとばかり思っていましたが、どうもそうではないようです。今、、日本版のSICS(保育の質の向上のために評価ツール)を研究されているのは東大の秋田喜代美先生ですし、四天王寺大学の埋橋教授のアメリカの保育環境評価スケールも注目を集めています。いずれも従来の情緒的な保育論ではなく、事象を科学的に分析する手法で保育の質の向上を目指しています。前者の手法では、保育者の勝手な思い込みが入る可能性を排除できません。これからの保育を考える上で、いい意味で「理系」的頭脳も不可欠かと思います。
いわゆる「文系」畑を歩んできた私ですが、文系の学科であっても突き詰めて研究を進めて行くといわゆる「理系」の特権?と考えられてきた論理や客観的思惟方法が必要とされてきます。いわゆる「宗教」といわれる領域においてもその真理を「証明」しようとするならば情緒的ではなく極めて客観的に論を進めていかなければなりません。それ故洋の東西を問わず宗教学者の論文には数学的証明、あるいは科学的方法論に類似する形態を見て取ることができます。翻って「保育」について語る場合も初期段階は「子どもが好きだから」「子どものために」という情緒的領域から始まりますが子どもの「主体」を正面から論じ始めると「環境」論となりその深化の結果が「心」論になるだろと考えています。それ故「環境」論は避けては通れない真実に迫る関門です。
保育士という仕事は文系という印象は私も持っていました。実際に保育の短大の試験も科目が文系ですし、周りの人もほとんどが文系です。ですが、冷静になって考えるとおかしな事ですね。実際に保育の現場に立ってみると、子どもは図鑑などを読んで先生に質問してきますが、だいたいの質問が自然現象や科学、虫などの質問が多いような気がします。それに、今回のドイツ報告のブログを読んでも、「科学の目」を育てることも書いてありました。
しかし、世間の人からは保育士=文系という刷り込みは、簡単には消えないよな気がします。
私も、最近の傾向を見ていると理系と文系を分ける事にナンセンスだと感じる様になりました。。
それは、文系と言われる学科の生徒もソフトエンジニアに成る事が多くなったからです。
これにより、情報科学を専攻していようが、社会科学を専攻していようが関係が無くなってしまいました。
また、現在、回路設計も言語化が進んでいます。
すると、電気系と人文系の回路エンジニアが生まれるという事です。
将来、文系と理系の区別が無くなるでしょう。