最近、私のブログで取り上げる内容に「男脳と女脳」があります。それは、NHKテレビで放送されたNHKスペシャル「女と男」という番組の中での話が面白かったからです。興味を引いた中の一つが女と男とでは、脳の働かせ方が違うという部分でした。その違いの一つを簡単に言うと、男は空間把握能力が高いが、女は言語能力が高いということです。それは、番組では人間の長い進化のなかで、獲物を追って狩をしていた男たちには、地形や距離を読み取る能力が必須でした。一方女たちには、身近な人たちと助け合うコミュニケーションの能力が絶対に必要でした。その役割の違いが、「女の脳」と「男の脳」を作ったというのです。ですから、「地図の読めない女」というのは間違いで、本当は「地図は男脳の為に作られている」ということだと言います。ですから、地図を言葉で説明をしていたら「地図の読めない男」となっていたのではないかということでしょう。
もちろん、これは厳密にいうと、個人差ではあるでしょうが、おおむねそのような傾向にあるということなのでしょう。もしそうであれば、保育が「環境を通して行う」ものであり、その環境の重要な要素として「空間」という場があるとすれば、その環境を構成していくことは多くの女性には難しいと言えます。ですから、もしかしたら、保育を「保育者から言葉がけ」が重要であるとするのは、言語能力の高い女性が多い職場であるからかもしれません。どちらが重要ということではなく、そのような意味でも保育とは、両方の性が必要な世界かもしれません。
また、同じようにこのブログによく登場するスターティング・ストロング(OECD)では、「就学前カリキュラム」(Lpfoe,1998)は、就学全施設に次のことを課しています。
1.子どもたちは、語彙とコンセプト、言葉遊び能力、書き言葉への興味関心、象徴の理解、そして言葉の持つコミュニケーション機能を発達させる。
2.子どもたちは、意味ある文脈及び状況において数学を発見し、使用する能力を発達させる。
3.子どもたちは、数字、計量、形態概念の基本的特徴の正しい認識及び時間と空間の中で自らを方向づける能力を発達させる。
4.子どもたちは、動植物に関する知識のような自然作用や単純な科学的事象に自分たち自身も関与しているという理解を高める。
もちろん、これは目標設定の最後のほうであらわれるものであるものとしていますが、内容を見てみると1の項目以外の項目は、一般的に女性が苦手な分野のような気がします。しかも、日本の保育者が苦手とする分野のような気がします。それは、その分野はおおむね理系と言われる分野だからです。そのようなことが求められてくるに反して、保育者は、男女とも文系が多いからです。本当は、文系理系と分けることも変ですが、受験のときにコースとして文系、理系と分けられました。日本ではすでに大正7年に勅命として出された高等学校令の第8条には「高等学校高等科を分ちて文科及理科とす」という規定がありました。確かに、人は男女差だけでなく、得意不得意がありますが、それが文系理系と別れるわけではありませんし、職業を、文系理系と分けるのは変です。まして、人間を相手にする保育という職業は文系であるという決めつけも変です。そして、その保育を研究する教育学とか発達心理も文系というのも変です。理系、文系というのは何なのでしょうね。
月別アーカイブ: 6月 2009
シラー
ドイツの詩人と言えば「ゲーテ」を思い出します。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは詩人だけでなく、劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家でもあるのです。また、私の園でも参考にした「色彩論」も表わしています。このゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者でもあり、ゲートと同時代に活躍したヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラーも詩人であるだけでなく、歴史学者、劇作家、思想家でした。彼は独自の哲学と美学に裏打ちされた理想主義、英雄主義、そして自由を求める不屈の精神が、彼の作品の根底に流れるテーマです。そんなテーマから「ウイリアム・テル」の作者でもありますが、彼は、ギリシャの古伝説である「Damon(ダーモン)」と「Pythias(フィジアス)」の話をもとに、「Die Burgschaft」(=「人質」又は「担保」と訳される)という7行20節の詩を残しています。
彼の名前は、日本では、古くは「シルレル」あるいは「シルラー」とも表記されました。最後に、「古伝説とシルレルの詩から」という一文が記されている日本の有名な小説があります。この一文は、「DamonとPythias」というギリシャの古伝説をもとにしてシラーが書いた「Die Burgschaft」という詩から話を作ったということになります。それは、太宰治が、彼なりの発想を加えて書いた「走れメロス」です。ちなみに「Damon and Pythias」は今でも「無二の親友」という意味で使われているようです。
今日の毎日新聞にこんな記事が掲載されていました。「19日は生誕100年を迎えた作家・太宰治の命日「桜桃忌」。太宰が眠る東京都三鷹市の禅林寺には朝早くからファンが訪れ、墓前に花や酒、桜桃忌にちなんだサクランボが供えられた。太宰は三鷹で「走れメロス」「斜陽」「人間失格」など代表作を生み出した。玉川上水に入水自殺し、遺体が発見された1948年6月19日は太宰の39歳の誕生日でもあった。また、太宰が生まれ育った青森県五所川原市の生家「斜陽館」にも多くの観光客が訪れ「太宰文学はすべてここから始まったのか」と感嘆していた。」
太宰 治は、明治42年(1909年)6月19日に生まれていますので、ちょうど今日で100年目になります。また、自殺で亡くなったのは昭和23年(1948年)6月13日でしたが、遺体が見つかったのは後日、ちょうど誕生日であった6月19日でした。彼の命日を「桜桃忌」と名付けたのは、太宰と同郷の津軽の作家で、三鷹に住んでいた今官一がつけたものです。「桜桃」は死の直前の名作の題名であり、6月のこの時季に北国に実る鮮紅色の宝石のような果実が、鮮烈な太宰の生涯と珠玉の短編作家というイメージに最もふさわしいとして、友人たちの圧倒的支持を得たものです。
「走れメロス」は、教科書にも載っている小説ですので、ほとんどの人は知っていると思いますが、メロスという主人公が、自分の身代わりとなっている友セリヌンティウスの命を助け自らが処刑される為に暴君ディオニスの元へひたすら走るという物語です。この作品は、なんだか彼のイメージとずいぶんと違う気がしますが、もとが、シラーの哲学と美学に裏打ちされた理想主義、英雄主義ですから、頷けます。「走れメロス」の最後は、出典が書かれてありますが、冒頭の部分は、「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。」という文で始まっています。
看板と景観
ドイツのある園を訪れたときに、園庭の中央に,マイバウムが立てられていました。そのポールの色は、バイエルン地方の旗の色と同じ、青と白で交互に塗られています。その青は、空の色で、白はアルプスの雪の色を表しています。マイバウムというのは、英語ではメイポールというように「五月の樹」という意味で、ドイツでは春の訪れを祝い、5月になると町や村の広場に立てられる一本の高い柱です。昔は真っ直ぐで高い松の木を森から切り出して立てていました。冬でも枯れない常緑樹には強い聖霊が宿っていると考えられていたからです。柱のてっぺんには新緑の枝を輪にしたものを飾り、そこから沢山のリボンをたらして、手に手にリボンの端を持ちながら、木の回りで踊ったり、歌ったりして春の到来を祝います。
園を訪れたのは6月でしたが、園庭には一つの文化を子どもたちに伝えるということで1年中飾られているようです。ドイツ研修のときの待ち合わせの場所であるマリエン広場や、数年前に訪れたノイシュヴァンシュタイン城のあるシュヴァンガウでも、飾り付けされたマイバウムが一年中立てられています。
このマイバウムの習俗はミュンヘンだけではなく、バイエルン地方の各地域、そしてバイエルン以外にも南ドイツ、チロル、スイス、アルザスなど、ライン 河の沿岸一帯に広く見られるようですが、これを町の中心に立てるのはその町のギルドの人たちで、柱にはギルドに加盟している各職業団体を表したシンボルが取り付けられます。それは、この町の中には、このような手工業の店がありますよという一つの看板なのです。
この看板が当てられたのは、その町に入るときにそこには何があるかを知らせる役目と、町の中の看板をなくす意図があったと聞いたことがあります。そういえば、ミュンヘンの町の中には、看板がほとんどありません。それは、何かの景観条例で規制されているからでしょう。日本では高度成長期は、何でもかんでも無秩序に箱ものを作ってきました。日本の伝統や、その地域の街並みや自然との調和を無視して、無秩序にいろいろな色の建物や、高い建物や、構造物が作られました。それは、「美」という人の気持ちをいやす役目よりも「経済」を優先していた時代でもありました。気がつくと、ヨーロッパでは大切に残してきたような長い年月をかけて作られてきた伝統と風格と調和のある街並みが日本からは姿を消していきました。
そんな時代に対して、各地で高層マンションの建設などの反対運動や屋外広告の氾濫のような秩序な開発に対して、見直すべきだという声が上がり始めました。それに対して、国土交通省では「美しい国づくり政策大綱」を策定し、景観法が2004年6月に公布され、翌年から全面施行されています。
しかし、まだまだ海外の町と比べると日本ではあちらこちらに立っている看板が随分と町の景観を壊している気がします。ミュンヘンの町はさっぱりしていますね。
その写真を見て他に気がつくことは、自動販売機と電線がありません。日本では、この二つも景観を壊しています。特に夜のネオンサインの看板のほか、自動販売機の明るさは夜を壊すだけでなく、昼間の照度を持つためにその前に夜立つ子どもの体に変調をきたすようです。私の園を建てた時も、新宿の景観条例と高さ制限がとてもうるさかったのですが、私から見ると、何よりも景観を壊しているのは電線のような気がします。
経済優先の社会を人間優先の社会に戻すのは大変ですが、やっていかなければならないでしょう。
テーブルサッカー
先週の土曜日の毎日新聞地方版に「みちのくアスリート:仙台のテーブルサッカー女子選手・佐藤好枝さんという記事が掲載されていました。彼女は、日本女性選手の中で唯一の技を持っていると言われています。その技とは、「回転棒の横に手首をあてて、人形を一回転させる「ロール・オーバー」と呼ばれるシュート」です。この記事を読んで、「テーブルサッカー」とはどんなものなのかと思う人がいるかもしれません。75cm×140cm程度のテーブルに人形の付いた8本の回転棒があり、互いに4本の回転棒をくるくる回して「選手」を操るテーブルゲームです。対戦方法は、「シングル」「ダブルス」があり、電気は使いません。相手との心理的な駆け引きも必要なスポーツといわれていて、日本ではあまり見ませんが、外国ではメジャーです。私の園には学童クラブが併設されているのですが、開所以来どうしても欲しかったものが「テーブルサッカー」でした。それは、ドイツの学童クラブを訪ねると、どこにも必ず「テーブルサッカー」が置いてあるからです。

今年、その念願かなって買うことができました。
このゲームの起源はあまり確かではないようですが、おそらく1880年代から1890年代にイギリスで考案され、ドイツ人が商品化し、ベルギー人がリーグ化して面白くしたと言われています。また、フランスのシトロエンの技師がそのメカニカルな部分の開発に関わったともいわれています。このような子どもが遊ぶようなゲームに大人が夢中になるというのは、その開発にはこんな意図があるからです。サッカーのオフシーズンに、選手たちの動体視力や反射神経を鍛え、勝負感を衰えさせないために、手を使い頭脳と身体の連係をよりスムーズに保つハンドアイコーディネーション(手と目の連携動作)が活性化され、リラックスできるものを考えて生まれたのがテーブルサッカーなのです。ところがあまりにもこの機器のゲーム性や戦略性が面白いことから、一般的なゲームにもなりヨーロッパ中心に広がりました。そして、世界中のサッカーファンが、より面白く、より楽しめ、リハビリに役立つゲームにと英知を注いできたようです。
園で購入したマシンは、テーブルサッカー協会公認なので、協会の人が指導に定期的に来てくれています。その人から、まだ日本では競技人口が少ないので、小さいうちから親しんでいると、もしかしたら日本チャンピョンになれると言われています。06年には、ドイツW杯に合わせて、テーブルサッカーのW杯も20か国のプレーヤーが集まってハンブルクで開催されています。
テーブルサッカーゲームは、ドイツ語では「フスボール(Fuss)」と呼ばれ、現在、最もテーブルサッカーゲームが盛んな国アメリカでは、その発音から 「フーズボール(Foose)」となりました。現在では、ヨーロッパとアメリカを中心に全世界で楽しまれていて、世界大会は数百万円単位の優勝賞金のある大会が行われています。そして、このゲームは、手と目、頭脳と身体をフルに使うために、気力の充実、身体の各部分のスムーズなコーディネーションに役立ち、ストレスから解放してくれるということで、病院関連施設などでも実際にリハビリ機器として導入されたり、アメリカの大手コンピュータ会社でもレクリエーションとして採用されており、IT関連企業だけのトーナメントもあるそうです。
園でも、子どもが帰ったあとに職員が熱心にやる姿が見られます。
ドール
私の娘が小さかった頃「シルバニアファミリー」という人形を持っていました。シルバニアファミリーとは、エポック社から1985年に発売開始した人形です。この人形は、森に囲まれたシルバニア村に住む動物たちという設定で、当初、ウサギを中心に、ネズミ、リス、クマ、タヌキ、モグラ、キツネの9家族40体がそろっていました。これらの人形は、家族単位で発売され、この人形が住んでいる家や、家具などの小物もあります。もともと、これらの人形が発売されたのは、日本ではなじみの薄かったドールハウスを紹介するためでした。に、子どもに人気のある動物の一家に置き換えて発売したそうです。
一方、1966年、元々ダッコちゃん等のビニール玩具のメーカーだった旧タカラでは、そのビニール加工のノウハウを生かして着せ替え人形市場への参入を計画していました。それは、アメリカでマテル社のバービー人形が人気があったので企画したものですが、ただの着せ替え人形だけでなく、子どもが持ち運びできるドールハウスとしての機能ももたせようとしました。しかし、この人形の大きさに合わせて家を用意するとなると、家のサイズが相当大きくなることが予想されました。そのために、日本の住宅事情や子どもの持ち運びに適さないとして根本的に企画が見直されました。そして、日本の事情に見合った大きさのドールハウスと、それに合ったサイズの独自の着せ替え人形として企画・開発されたのが「リカちゃん」なのです。
シルバニアファミリーシリーズでも、リカちゃんでも開発するときに意識しているのが「ドールハウス」です。ド-ルハウスを直訳すれば「人形の家」で、弘田三枝子の歌を思い出しますが、もともとは、ドールが主ではなく、ハウスが中心です。ド-ルは「人形」を指すよりも「小さい」ことの比喩に使われているそうです。
小さいと言っても、一応は標準値が決まっています。昔から受け継がれてきた標準値は「12分の1」ですが、それは、1フィ-ト(12インチ)を1インチに縮尺した大きさのことです。ヨ-ロッパでド-ルハウスが生まれた一つの理由には貴族が自分の肖像画を飾る位の気持ちで屋敷のミニチュアを「娘の為に作らせた」との逸話があります。子どもは、ミニチュアが大好きです。私は、子どもの頃、五月人形で、ミニチュアの刀や矢が欲しくてたまりませんでした。また、ひな人形の段のしたほうに並べられる家財道具にもひかれました。この節句の飾りはかなり古い時代からあるようで、人形だけでなく、生活空間にある家具、台所用品のミニチュアがあります。また江戸時代に各地でミニチュアを作る職人が生まれ、家具などに加え街並み・屋台・店屋なども作られたようです。また、Nゲージという線路の幅(軌道の間隔・軌間)が9mmで縮尺1/148~1/160の鉄道模型規格のものがあります。これに魅せられているのは大人の場合もありますが、人は、どうも本物のように精巧に作られているミニチュアに惹かれるようです。
記録に残る最古のド-ルハウスは1558年ハバリア(南ドイツ)の公爵アルブレヒド五世が作らせ、娘にプレゼントしたものだそうで、このハウスはあいにく火事で焼けてしまったのですが、1611年のドイツのド-ルハウスがニュ-ルンベルクの国立博物館で公開されているようです。私は、同じ時期のドールハウスをオーストリアのザルツブルグのおもちゃ博物館で見ました。もうこれは、おもちゃというよりは、工芸品です。

町探し遠足
先週の土曜日は、園の遠足でした。遠足というと、動物園とか公園とか自然の中に行くことが多いようです。小学校学習指導要領には、「見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと」と書かれてあります。これを読むと、どうもよくある遠足は自然に親しむことが強調されすぎている気がします。
私の園は新宿にあり、あまり自然が多くありません。遠足で自然を求めるとなると、かなり遠くまで行かなくてはなりません。そこで、遠足の目的を見直して、「人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳についての望ましい体験」を積むことを企画しました。私の園のある新宿は、同じ新宿といっても歌舞伎町のような繁華街ではなく、下町と高級住宅が同居し、商店街が大通りをはさんであるような町です。そのような人たちが住んでいる町を知り、その人を知り、その人たちの仕事を知ることで社会を知ろうというものです。
商店街の中の数店をポイントとして、そのポイントで問題を解いてもらったり、 製作をしたり、店の人と会話をしたりして親子で手形を持って裏にスタンプを押してもらいながら歩くというものです。その企画を商店街の人たちに相談したところ、みんな喜んで協力をしてくれました。
魚屋さんでのポイントの問題は、「カレイとヒラメの違い」です。その問題の為に、魚屋のご主人は、りっぱなカレイとヒラメを仕入れてくれて、子どもたちが訪れると、本物を前に説明してくれます。「腹を下にしておくと、顔が左にあるのがヒラメで、右にあるのがカレイ」というのが実感できます。
駐在所では、駐在さんが子どもたちを待ち受け、にこやかに相手をしてくれます。お巡りさんがやさしいことを実感したことでしょう。同じように地域消防団小屋では、シャッターを開け、制服を着た消防団の方々が、消防自動車を見せてくれました。ここでは、意外と父親たちが興味を持ち、その前で写真のシャッターを押していました。

目白聖公会は1929(昭和4)年に建立されたロマネスク様式の聖堂を持っています。そして、当日は結婚式があるのにもかかわらず、ぎりぎりの時間まで、15年ほど前に英国トゥルロー教区にあるエピファニー修道院から寄贈された百年余り前に造られた美しいステンドグラスを、中に入れてくれて見せてくれます。
畳屋さんは、職人が数人で子どもたちに畳表の切れはしの周りを和紙で縁取り、コースターを作るのを指導してくれました。子どもたちは、畳の快いにおいを嗅ぎながら、一生懸命に自分ながらのコースターを作っていました。

洋菓子屋では、無添加、無農薬、国産の材料にこだわったクッキーを子どもたちに配りました。普段、たぶん素通りしてしまう製作所では、「ここでは何を作っているでしょう?」という問題にこたえるために、休みの工場内に入れてくれて、業務用加湿器を見せながら説明をしてくれました。そのほかに、徳川黎明会では、徳川の家紋を知り、建具屋さんでは今はあまり見なくなったふすまなどの建具を座敷に上がって見せてもらったり、子どもたちは、いろいろな職業の人で町が成り立っていることを何となく感じてくれたようでした。
お礼に、夕涼み会に招待したり、イモ掘りの芋を持っていったりと、イベントだけの付き合いではなく、日常的に地域の人に子どもたちを見守ってもらおうと思っています。このような取り組みが、最近注目されているイタリアのレッジォでの保育につながる気がします。
ビールマスター
ドイツに行くと、よく聞く言葉は、もちろん「こんにちは」(Guten tagグーテン ターク)と思いきや、実はミュンヘンでは「Grüss Gott(グリュース ゴット)」と言います。その次によく使う言葉は、「Prost!」プロース(トゥ)!です。これは、大きな(1リットル)ビアジョッキをカツーンとぶつけあって、太ったドイツのおじいさんやおばあさんが楽しそうに言う言葉です。私たちは、毎昼夜に背の高いビアグラス(500ミリリットル)の厚い底をぶつけあっていう言葉です。「乾杯!」という掛け声です。
こんな光景が忘れられず、また、その楽しさを職員と共有しようと、先週の夜、ドイツパーティーをしました。お土産のドイツビールと、ミュンヘンの名物白ソーセージ(その誕生秘話は昨年のブログで書きました)ほかさまざまなソーセージ、職員が白ワインとキャベツで作ったザウアークラウト(ザワークラフト)と、お土産で持ってきてもらったプリッテェルです。
最近、テレビのCMで、この「Prost!」という言葉を聞きます。それは、5月26日(火)にアサヒビール株式会社から全国で発売されたビール新商品「アサヒ ザ・マスター」のCMです。最近、ビール・発泡酒・新ジャンルの3種類が発売され、それぞれをそれぞれの場面で飲み分けているそうですが、その中で、アサヒビールの調査によると、ビールを選択する理由としては、くつろぎ・報酬といった「ビールならではの価値」への期待と、味・嗜好については「コク・味わい深さ」への期待だそうです。そして、「多種多様なビールのコンセプトの中で、どのコンセプトが魅力であるか」という調査を実施したところ、新ジャンルや発泡酒にはない「ビールならではの価値」である“ビールの本場、ドイツ伝統の味わい”というコンセプトが、お客様からの期待が最も高かったそうです。
確かにドイツに行くと、ドイツビールのとりこになります。「アサヒ ザ・マスター」は、ずいぶんとこだわったようです。「ビール純粋令」に定められた原材料である麦芽・ホップ・水のみを使用し、原材料にもドイツ産ホップとドイツ産麦芽を使用、ドイツ伝統の醸造法である「インフュージョン法」「コッホエンデガーベ法」を採用しています。また、ドイツのビール醸造学の中で最も権威の高い大学の一つである「ミュンヘン工科大学」から醸造学の“マスター”の称号を与えられた醸造家が監修しているということで、名前にも「マスター」が付いています。
ビール純粋令というのは、どんくらいドイツ産を使っているかという決まりで、ドイツ産ホップの使用比率は50%以上、ドイツ産麦芽の使用比率は25%以上でなければなりません。また、インフュージョン法とは、徐々に温度を上げて麦汁を製造する方法で、麦芽の旨みを引き出し、より豊かな味わいを実現できる工法で、コッホエンデガーベ法とは、煮沸工程の後半から終了にかけてホップを添加する方法で、薫り高いホップ香を付与する目的で使用されます。
さすが、ドイツ全国に1,274のビール醸造所があり(2005年現在)、各醸造所がなんと約5,000種類ものビールを製造している国ですね。訪れたミュンヘンがあるバイエルン州は、ビール醸造所のうち、約半数を占めるようです。ただ、ドイツのあちこちで見かけるちょっとおなかの大きい、体格のいい人を見ると、飲みすぎには気をつけようと思います。
誇り
東京では、電車やバスに乗るときに、携帯電話があればどれでも、どこでも乗ることができるのでとても便利です。スイカやパスネットという非接触型ICカードシステよる乗車カードですので、パスケースやかばんに入れたままでも改札口でタッチするだけで通過できますし、最近は、そのカードはJR西日本の「ICOCA」、関東地方の私鉄や地下鉄、公営交通の「PASMO」、JR東海の「TOICA」、JR北海道の「Kitaca」としても使うことができますし、2010年には、四国を除くJR各社、西日本鉄道及び福岡市地下鉄、2012年には、名古屋鉄道及び名古屋市交通局でも使うことができるようです。
また、最近、本屋での万引きに備えて、無線ICタグ(荷札)を本に付けることを実験、検討しています。その電波で本の情報を読み取り、レジ精算や流通、在庫管理の効率化、さらに万引き防止に活用しようというものです。
このICシステムを含めて日本ではどんどん技術が進み、いろいろなところが便利になり、それは世界でも誇れるくらいの技術革新ですが、なんだか大切なことを忘れている気がします。ドイツでは、本屋では、万引き防止対策よりも、本をゆったりと読むことができる環境を用意しています。科学的に防ぐというよりも違うアプローチの仕方を考えているようです。これは、鉄道の改札口でも感じます。
今回のドイツ研修の宿はミュンヘン中央駅のそばでした。ですから、何度も中央駅に行きました。朝の喧騒は日本と似ているところがあります。新聞を片手に急いで歩くサラリーマンらしい人、軽い朝食を売店で済ませようとする人、次々にホームから発車する列車などどこでも同じ朝の風景です。

しかし、大きく違うところがいくつかあります。まず、駅、ホームにおいて「○○行きの電車が到着します」のようなアナウンスは一切無いことです。そして、発車ベルやメロディーがなりません。日本では、その音でもせきたてられている気がします。
もう一つ、改札口がないことに気が付きます。人々は、そのまま列車に乗り込みます。自転車に乗った人でも、外からホームに乗り入れ、列車に乗り込むのです。切符は、どうしているのかと思います。この光景は、市内を走るUバーンと呼ばれる地下鉄でも同じです。地下鉄は何回か利用するのですが、まず、チケット売り場でチケットを買いますが、日本のような窓口はありません。自動販売機で、目的地を運賃図から探し、そのゾーンを確認してそのゾーンの料金のボタンを押します。そのチケットを持って電車に乗り込むのですが、改札口らしきものは見つかりません。みんなは、勝手にどんどんホームに降りていきます。では、チケットはどうするのかと思ったら、入り口近くにあるスタンプ印字機にチケットを差し込みます。回数券の場合は、ゾーン分の枚数を織り込んで印字機に差し込みます。それだけです。そこには人もいませんし、降りるときも、誰もチケットを確認しません。自己申告だけです。もちろん、検札もあり、見つかった場合高額な罰金をその場で取られ身分証明書の提示も求められると言われていますが、私がドイツにもう何年も行っていますが、一度も検札にあったことはありませんでした。

ドイツ人のことを私はよく考えすぎかもしれませんが、ドイツ人は、どうもプライドからきちんとチケットを買っているように思えます。もし見つかったらということを、罰金の高さではなく、自分のプライドが傷つくと思っているような気がします。このプライドは、本屋での万引きに対しても同じようなことを感じます。中には、不正乗車をする人はいるでしょうが、そんな人たちには自分は属さないという誇りなのでしょう。日本人は、かつて持っていた誇りはどこに行ってしまったのでしょうか。
電子マネー
最近のニュースで、「コンビニチェーン“セブン‐イレブン”の全国1万2323の全店舗において、プリペイド型電子マネー「Edy」による支払いが、2009年10月から可能になることを発表した。レジでのEdyのチャージにも対応する」というのが流れました。私は、プリペイドカードでは主にこのEdyを使っていますが、多くのコンビニでは使えるのに、セブン‐イレブンでは「nanaco」を中心に、「QUICPay」に対応しているだけでEdyは使えませんでしたから、今度は便利になります。
私がEdy(エディ)を活用する理由が二つあります。一つは、ソニーが開発した非接触ICチップFeliCaを搭載したおサイフケータイという携帯電話で利用する事ができるからです。もう一つの理由は、ANAマイレージクラブとの提携によるポイントが付与されるからです。また、一時期、ANAを利用するとEdyのポイントがもらえたことがありました。このEdyという名称は、ユーロ(Euro)の「E」とドル(Dollar)の「d」と円(Yen)の「y」の頭文字からとられており、この通貨に次ぐ第四の基軸通貨になってほしいとの願いからつけられたそうです。また、これを運営管理するビットワレット株式会社は、2001年1月18日、ソニーグループ、エヌ・ティ・ティ・ドコモ、さくら銀行(現三井住友銀行)、トヨタ自動車、デンソー、ディーディーアイ(現KDDI)、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)など家電、通信、金融、自動車等の幅広い業界で日本を代表する11社の出資により設立された会社です。会社名は、bit(電子的)とwallet(財布)をあわせた造語です。
この電子マネーと言われるものはいわゆるプリペイド型で、事前に代金を支払って購入するもので、商品券と異なり、残額がゼロになるまで繰り返し利用できます。利用者は、小銭を持ち歩く必要がなく、軽くて持ち歩きやすく、カードによってはプレミアムがついていることもありますが、使える場所が限られていると、何枚も持たなければならず、その店でも使える紙幣の方がかえって便利になってしまうので、どのくらいのところで使えるかが課題です。そんなわけで、私にとっては、今回のニュースはありがたい話です。
しかし、プリペイド業界もなかなか厳しいようです。このEdyにしても設立以来ずっと赤字のようですし、ずいぶんと廃止されて消えていったものも多くあります。
日本でのプリペイドカードは、1982年、旧電電公社がテレホンカードを作ったのがはじまりです。このカードは、通話したい時の硬貨の用意や釣り銭の出ない不満や、長時間通話の場合に多量の硬貨を追加しなければならないことや、通話切れの心配を解消してくれます。ですから、これはずいぶん普及しました。必ず、数枚は持っていました。また、設置者にとっても、金庫満溢による停止を避けられる他、硬貨集金の巡回経費を節減できるメリットがありました。その後いろいろと作られました。しかし、しかし、このカ-ドは磁気で記録するカードであるため、記録するデータ量がさほど多くなく、また市販のカードリーダ・ライタで偽造が行ないやすいため、偽造カードの流通が大きな社会問題となり、相次いでオレンジカードやテレホンカードやハイウェイカードなどの高額カードが発売停止になりました。また、携帯電話のように違うものが使われるようになったことで、プリペイドカードシステムそのものも廃止されているものが増えています。
私は、携帯電話の機能が増えるに従って、ポケットに入れるものが少なくなっています。
移動図書館
ミュンヘンの大きな本屋に行くと日本と違う風景を見ることがあります。それは、厚い本を何冊も抱えて、階段の踊り場に行く人を見ます。それは、踊り場に会計があるのではなく、ソファーが置いてあります。そこは、立ち読みではなく、座り読みをするところです。そこでは、脇の床の上に何冊も本を積み上げて、ゆったりと何人も座って本を読んでいます。あたかも、図書館にいるようです。
立ち読みは日本の法律でも犯罪ではありませんが、なんだか後ろめたさを感じます。昔は、よく本屋さんに「立ち読み禁止!」という張り紙が貼られていましたし、立ち読みをしていると、その本屋さんの店主がハタキを持ってきて、本の誇りを払うふりをして、読んでいる本もハタキで払う漫画がよくあります。しかし、そこにはなんとなく、頑固おやじの象徴として描かれ、お金がない子どもに対しての思いやりが感じられ、ほほえましくもありました。ですから、そのころの立ち読みは一つの文化でした。
また、立ち読みは、本来、買う本を選ぶときに中身を吟味することです。そう考えると、ミュンヘンで見かける座り読みは本を選んでいるようには見えず、中身すべてを、買わないでその場で読み終わってしまう行為に見えますが、本屋は何も言いませんし、その場所を用意してあげるのです。
最近、日本では、立ち読みができないようにビニールで覆ってしまったりすることもありますが、それよりも本屋さんの頭を痛めているのは、万引きをする人が増えたことのようです。万引きは、立派な犯罪です。また、最近デジタル万引きという行為も増えているそうですが、それは、カメラ付き携帯電話で本のページを写真取りすることです。映画をビデオ撮影することは強く取り締まっていますが、このデジタル万引きは今のところそれを取り締まる法律は整備されていないようです。
最近、同じように万引きで困っているのが図書館です。図書館は、本を万引きするのではなく、返さない人が多いということですが、返さないということは、その本をとってしまうということになります。図書館というものは、自由に好きな本が読めるというとてもありがたい施設です。特に、ほとんどの公共図書館で採用されているような「開架式図書館」では書架が開放されており、来館者が本をその場で読む事ができるように、読書のためのスペースが用意されています。自由に本を取りだして読めるように開放しているということは、来館者の良心を信じているという善意の行為です。その良心がいつまでも続いてほしいと思います。
図書館の中で「移動図書館」という書籍などの資料と職員を載せた自動車や船などを利用して図書館を利用しにくい地域の人のために各地を巡回する図書館のサービスがあります。この移動図書館をザルツブルグを訪れたときに見かけました。
この移動図書館は、バスを使用していますが、このように移動手段として自動車が用いられることが多いことからbookmobileとかmobile libraryと呼ばれていますが、他にも船や列車、1930年代以前には馬車も用いられていたそうです。ずいぶんと古くからあったのですね。
日本では、1948年7月、高知県立図書館で始められた「自動車文庫」が初めての移動図書館だったようです。この移動図書館は、本を身近なものとし、なかなか本が買えないような地域、図書館まで遠い地域の人に本を提供するのに大きな力になりました。しかし、日本では最近、減少傾向にあり、東京では区部における移動図書館が2005年3月末をもってすべて終了しましたが、世界的には移動図書館を必要とするところはまだまだ多く、特に発展途上国ではニーズが高く、日本で廃車になった移動図書館車が譲渡されているようです。