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2009年06月30日 [地域を知る]
楽器
昨日の朝日新聞のコラム「天声人語」に、東京紙面の声欄で掲載された「母の音色した53年前の木琴」について触れています。声の蘭への投稿内容は、「投稿者の男性(60)が小学2年の時、母親が木琴を買って教室に届けてくれた。過日の物置整理でそれに再会した」というもので、その男性は再会した木琴を雑巾でふき、「どれみふぁそらしど」の文字が現れた鍵盤で「荒城の月」の冒頭を奏でたという記事です。その記事に連想して、天声人語では、約3万5千年前の楽器がドイツの洞窟で見つかったという記事についても触れています。その笛は、ハゲワシの骨に五つの指穴を開けた、22センチほどの笛です。この笛から、このようにコラムは続けています。「かすかに曲がった細い管を抜ける音には、誰のどんな記憶が宿るのか、興味は尽きない。破片をつないだ笛はあいにく、息を吹き込むにはもろすぎよう。最古の楽器は意外に広い音階を持つらしいと、想像するしかない。洞窟の住人は、肉を食べ骨をしゃぶりながら、音を操る技をわがものにしたようだ。どんな音色にせよ、節をつけて鳴らすことにある種の快感が伴ったと思われる。旧石器時代、生活の傍らにすでに音楽があったことになる。同じ場所では先に、マンモスの牙でこしらえた最古の裸婦像が出た。骨笛もまた、芸術の起源か、信仰や呪術の道具だったのだろう。戯れから娯楽が生まれ、やがて美意識や祈りに昇華する。そんな「音の出世」は確かにあるけれど、記憶の入れ物、運び手としての役割も心にとめておきたい。ほこりまみれの木琴に、大切な人を過去から招く力が潜むのだから」
このコラムを読んで、私は、以前講演先で連れて行ってもらった先で見た石の木琴(石琴)を思い出しました。そこは、香川県五色台です。そこから見える瀬戸内海は、点々と島影が見えます。
しかし、今から1万年以上前、日本列島は大陸と陸続きで、現在の瀬戸内海も所々に沼や湖などのある平原だったと考えられているそうです。当時の人々は主に狩猟による生活を営んでおり、そのための道具として石を打ち欠いてつくった石器(打製石器)を使っていました。当然、よく使う石は、そのあたりで取れる石を使うことが多かったでしょう。しかし、黒曜石のように特殊な形に割れる石は、各地に伝わることもあったようですが。ここ五色台や坂出市の金山などで産出する石は、うまくたたくと薄く割れ、その割れ口が刃物のように鋭くなるので、石器の材料としてたいへん優れていました。ですから、ここで産出される石を使った石器は県内だけでなく、西日本の各地で出土しています。
そんな石を当時の人は石器に使っているときにあることに気が付きます。叩いてみると、いい音がするのです。特に、固いもので叩くと高く澄んだ音がします。そして、音の違う石を並べると音階ができます。
この香川県だけに産出する自然石を、1891年ドイツの地質学者ヴァインシェンクが「讃岐〔さぬき〕の岩」の意をこめ「サヌカイト」と命名しましました。木槌で叩くと神秘的で澄んだ美しい音を奏でるところから、地元では「カンカン石」と呼ばれています。そして、2007年、日本の地質百選に選定されました。
今でも、その澄んだ音の為に玄関のベルの代わりに使われたりしていますし、楽器としての演奏者も存在し、コンサートも開かれていたり、香川県の公共施設のBGMで流れているそうです。また、サヌカイトの風鈴なども作られていて、癒しグッズの一つとして販売されています。
天声人語ではありませんが、「戯れから娯楽が生まれ、やがて美意識や祈りに昇華する」一つの例でしょう。
投稿者 fujimori : 23:40 | コメント (4)
2009年06月29日 [映画]
フレンド
ケストナーが描いた子どもの時代は、子どもたちは集団で動き、その中で友達ができ、その友達同士で助け合い、危機を乗り切ってきました。それが、映画「ベン」の中では、少年は黒ねずみを友とし、お互いにわかりあい、危機を乗り越えたり、悲しみを共有し合います。最近は、友といってもお互いにつるんでいるだけで、心を許しあったり、悲しみを共有したり、一緒に危機を乗り越えるような友は見当たらなくなりました。そんなときには、子どもたちは、「イマジナリー・フレンド」を持ちます。子どもの創造力から生まれた友達です。この友達を持つときは、孤独であるとか、自分だけが浮いている存在のように思うときとか、いじめを受けているとか、つらい思いをしているときとか、成長する過程での苦しみを分かち合う場合が多いようです。
イマジナリー・フレンドともいえる存在の有名なのは、「ドラえもん」でしょう。のびた君が、つらい時、困っているときに話を聞いてあげ、その状態から救ってあげます。しかし、正確に言うと、このドラえもんはみんなにも見えるので、少し違うかもしれません。
しかし、本来のイマジナリー・フレンドは、子どもが大人に成長する過程で気持ちを共有したいときに存在し、成長し、自立するに従って消えていくものなのです。そんな「いけちゃん」というイマジナリー・フレンドをもったヨシオ君の成長物語である「いけちゃんとぼく」という映画を日曜日、妻と見に行きました。この映画の原作は、「毎日かあさん」でテレビ放映もされている西原理恵子さんの絵本です。
この映画のパンフレットには、「いけちゃん」のことがこんなふうに書かれてあります。「いつの頃からかいつもヨシオのそばにいる。ヨシオにしか見えないし、色も形も変幻自在。お父さんが死んだ時も、いじめられたときも、いつも一緒にいてくれた。だが、ヨシオが成長するにつれ、その姿はだんだん見えなくなっていき、とうとう最後の日に いけちゃんはヨシオにあることを打ち明ける。それはあまりにもせつない告白だった…」
いじめられているヨシオは、強くなろうと早く大人になろうとします。しかし、いつもいじめっ子だったヤスとたけしが、別の町の悪ガキ集団に襲撃されている光景を目の当たりにした時、「上には上がいて、上の上には上の上の上があるんだ。無限に続くんだ。宇宙人や恐怖の大王まで。これは連鎖なんだ」と残酷な世界の法則を悟ります。だれかを敵にして、その敵をやっつければ解決するのではなく、その連鎖を断ち切らない限りは解決しないことを知るのです。その連鎖を断ち切る方法を見つけたときに「いけちゃん」は、別れを告げるのです。
パンフレットの中で、精神科医の名越康文さんは、イマジナリー・フレンドのことをこう言っています。「人間というのは、自分の想像の産物が独り歩きするという不思議な知性というか能力を持っていて、しかも“自分の中から出てきた他者”であるその存在に、自分が影響を受けるんです。特に10歳くらいまでの子どもの空想世界は、大人になってからとは全然違うものなんですね。きっと、多くの子どもたちは、彼らにとってもいけちゃんを持っていて、その言葉を超えたコミュニケーションが、無意識の中に深く刻み込まれている。そして大人になると、その時の特別な体験を実社会の中に探し始める。あるいは自分で作りだし、以降の人生を強く突き動かす力になる」
フレンドを持っている人は幸せです。
投稿者 fujimori : 23:26 | コメント (4)
2009年06月28日 [映画]
友
私は、今ある雑誌で映画批評を書いています。その欄で、来月は児童文学の中でも全世界で親から子どもへと70年も読み継がれてきたドイツのケストナーの作品の映画を紹介しました。その作品の中で私が紹介したかった作品は「点子ちゃんとアントン」ですが、残念ながらDVDは廃盤になっていて普通では手に入らないので断念しました。ちなみに私は中古で手に入れたのですが。そこで、「エーミールと探偵たち」と「飛ぶ教室」を紹介しました。「エーミールと探偵たち」の私が子どもころに映画化された作品については、このブログでも書いた気がしますので、本では「飛ぶ教室」を中心に紹介しました。
この作品の中でケストナーの多くの作品のテーマである「友情」について描いています。映画の中で、子どもたちが歌うラップの歌詞にその考えが表れています。それは、真実を見つめることを恐れずによく見つめること。正しいことは勇気を出してぶつかることで世界は広がり、きっと、進むべき道が見つかるはずなので、自分をもっと信じてくよくよするなと歌います。そして、時間がかかるかもしれないけれど、敵対しているグループも、いつも権威をかざしている先輩も、男女の間でも心が一つになることを子どもたちは実感します。そして、その友情の「飛ぶ教室」は、信頼できる先生がいることで飛ぶことができるのだと歌うのです。
友情について歌ったもう一つの歌詞があります。「僕たち二人は、もう友達を捜さなくてもいいね。僕たちはもう見つけたから。お互いに友達と呼べる人がいるから、もうけっして独りじゃないね」この喜びをこう表わしています。「I used to say I and me Now it's us, now it's we」(いつも「I(僕は)」や「me(僕の)」という言葉を使っていたのが、これからは「us(僕たちの)」「we(僕たちは)」と言えるようになった)
この友達関係は、心臓手術を受けたばかりで、幼な心に死の危機を予知し、孤独だったダニー少年と多くの仲間と人間を襲い、多くの人を殺し、警察から追われている「ベン」という一匹の黒いネズミです。1切れのパンで知り合った少年とねずみの交遊は、少年はねずみに全てを話せる友を求め、ねずみは純粋な少年に裏切ることのない信頼を見いだしたのです。ですから、少年はねずみの名前があの悪名高いベンと知ってもなお暖かい愛情を贈り、友情の証にこの歌詞のような「ベンの歌」を作って捧げたのです。
「ベン、みんなは君を邪険に扱うけれど、僕はみんなの言うことなんか聞かないよ みんなは君の良さがまったく分からないから。君をきちんと見てみたら、考えが変わるだろうって思うよ ベンみたいな友達がいれば、人の価値がちゃんと分かると思うけど。」という歌詞は、その映画主題歌を子どもの頃に歌っていた、一昨日亡くなった歌手マイケル・ジャクソンの心境のような気がします。
この映画「ベン」の主題歌「ベンのテーマ」をマイケル・ジャクソンが歌ったドーナツ盤のレコードを私は持っています。映画を見て、その歌に感動したからです。そのジャケットの子どものころのジャクソンの写真は、とても愛くるしく映っています。
映画の最後に、人間たちによって仲間の群れたちとベンは火炎放射を浴び、焼かれてしまいます。少年の部屋へ焼け焦げて息も絶え絶えになったベンがやってきて、少年に抱きしめられながら息を引き取ります。歌詞の最後は、「これだけは覚えて置いて。君には僕という帰る場所があるんだ」マイケルは、帰る場所があったのでしょうか?
投稿者 fujimori : 21:57 | コメント (4)
2009年06月27日 [近頃思うこと]
伝承
今日の毎日新聞の「地方版」に、こんなニュースがありました。「伊賀鉄道伊賀線の利用者に季節感を感じてもらおうと、“風鈴列車”の運行計画が進んでいる。風鈴には、参加者が詠んだ俳句を付ける。」というものです。昨日のブログのセミではありませんが、あちこちにぶら下げられた風鈴が鳴る列車に乗ると、外国人はどう感じるでしょうね。ずっと、うるさい車内に辟易してしまう人もいるかもしれません。
芭蕉は、うるさいセミの音から「しずかさ」を感じました。日本人は、「風鈴」のおとから「涼しさ」を感じます。ですから、風鈴は基本的には夏のものです。そういえば、先日もこんな新聞記事がありました。「夏本番を前に、東京の職人が江戸風鈴の製作に追われている。」というものです。この記事には、その風鈴が作られる過程も紹介されていました。「約1320度の炉で溶かしたガラスを共竿(ともざお)と呼ばれるガラス管を使って膨らませ、風鈴の形を作る。鳴り口の部分を石ヤスリでぎざぎざに削り、内側から絵付けし、糸を付けて完成。」
ここで紹介されている風鈴は、「江戸風鈴」と呼ばれるもので、ガラス製です。他にも、鉄器(金属製)のものは南部鉄器でできた南部風鈴や高岡風鈴があります。他にも、北条時代からはじまった小田原の伝統工芸のひとつである小田原鋳物から生まれた小田原風鈴も有名です。私は、東京の下町育ちですから、夏になると天秤棒に多数の風鈴をぶらさげた風鈴売りが町々を売りあるく姿は、夏を告げる風情の一つでした。これは、江戸時代から見られた姿で、あつい夏に涼をよぶ小道具として庶民の人気をあつめ、江戸中期にはシノブグサを輪状にたばねて軒先につるした釣忍の小道具にもつかわれました。
このように日本の生活感と、季節感と、感性にマッチした風鈴ですが、実は風鈴の語源は中国で仏堂や塔につるされていた風鐸だと言われています。風鐸は鐘のような形で、中央につりさげられた舌の先の錘が鐸の内側を打って音をだすもので、最初は「占風鐸」といって竹林に下げて風の向き、音の鳴り方で、物事の吉凶を占う道具でした。その後、その音は昔から魔除とされ、風鐸を家の四隅に鐘を取り付け、その音で邪気を払ったりしました。そして、この風鐸が仏堂や塔などの建造物の軒の四方につり下げられ、その音でその周りの住民に災いが起きないようにと鳴っていたのです。そして、それが仏教とともに日本に伝わり、平安、室町時代の上流階級の間では縁側に下げることが流行りました。このように風鐸をつるして外から疫病神が屋敷の中にはいるのを防いだと六学集という書物に書かれてあります。そのように日本でも風鐸は魔除けとして用いられたのですが、それに「風鈴」(ただし当時は「ふうれい」)と名づけたのは鎌倉時代の僧の法然だと言われています。「法然上人行状絵図」には銅製の風鈴が軒に下がっている光景が描かれているそうです。
このように起源が中国であった風鈴が日本の感性に合うように発展してきましたが、その形も地域によって違う発展をしていきます。ガラス風鈴である江戸風鈴も、もともとは、享保年間(1700頃)に長崎のガラス職人がガラスを見せ物として大阪、京都、江戸にて興行しながら伝わったと言われています。そのころガラスは原料を作る技術がなく、外国から輸入をするか、外国人のいる長崎でしか手に入らなかったからです。そして、江戸のガラス屋の問屋である上総屋留三郎が、長崎にガラスの研究にゆき、江戸でガラスの原料を作って卸を始め、ガラス製品がいろいろと作られるようになっていったようです。その一つが江戸風鈴なのでしょう。
子どもの伝承おもちゃ同様、伝承とは、その地域で生まれたというだけでなく、その地域で育ち、その地域の感性に合うように変化してきたものなのです。
投稿者 fujimori : 19:53 | コメント (5)
2009年06月26日 [旅先にて]
セミの鳴き声
山寺に登る途中で、「セミの鳴き声」という昔のおもちゃを買いました。このおもちゃは、棒につけられたタコ糸の先にセミをかたどった竹筒がくくられていて、その竹筒を棒を持って振り回すと、セミの鳴き声がするというものです。
それは、棒の先端に「松やに」がついていて、タコ糸はちょうどこの「松やに」のところにくくられているので、棒を持って回転したときに、「松やに」とタコ糸が摩擦されて音が出て、その音が竹筒の共鳴胴に響く仕組みになっているのです。このようなおもちゃは、日本の伝承おもちゃとして売れていたのですが、実は、同じようなおもちゃがアジアの一部や南米にも見られます。それは、竹筒の両端に油紙を張り、紙の一端の真ん中から丈夫な紐を通して棒に縛りつけて、同じようにぐるぐる回転させることによって、唸り音を出します。そのほかにも、セミの声を出すものとして、歌舞伎などでは、セミに似せた声を出す時に使いますが、竹筒を吹いて「ミンミンセミ」の鳴き声を出すおもちゃがあります。この笛は、細い管の中にリードが入っていて吹き口になり、太い方の管の両端を両掌で押さえて、片方の掌を時どき離しながら吹きます。よく、同じように竹筒の両端を抑えて鳴き声を出すものとして、ウグイス笛もあります。
買った「セミの鳴き声」をぶんぶん回すと、ここから出てくる音の色はミンミン蝉が少し嗄れたような鳴き声でした。ですから、聞いていた職員は、カエルの鳴き声みたいと言っていました。というのも、このセミと同じ発音方法で蛙の鳴き声を出すおもちゃがあるのです。ただ、蝉よりも形が大きく、紐はプラスチック製で釣り糸を使い、棒の部分には松やには塗りません。たぶん、かえるとセミは、本当は同じような鳴き声かもしれません。それにしても、回して出る音はとてもうるさい音が出ます。実際の鳴き声も、セミにしても、帰るにしてもうるさいくらいの鳴き声です。
まだ、山寺ではセミは鳴きだしていませんので、森の中はシーンとしています。しかし、夏になるとさぞかしうるさいだろうと思います。しかし、この山寺で、松尾芭蕉は、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と、うるさいセミと相反する「閑さ」を詠んでいるのです。しかも、「しずか」を「静か」という漢字ではなく、「閑か」という漢字を使っています。
夏目漱石が始めてこの言葉を用いたとき、彼はそれを、ひらがなで「しん」と表現していました。そこから、「しんしん」という言葉とか、「しーん」という言葉のイメージと重なります。
暑い夏の昼下がり、山寺の山道を歩いていると、どこからか蝉の声が聞こえてきます。そのうるさいセミの声を聞いた芭蕉は、「閑かさや」と感動します。それは、そのうるさい鳴き声は、岩にしみいっていくようで、よりその森の中の静けさを際立たせているようです。
このように、うるさい声のセミの鳴き声にも趣を感じるのは、日本人だからかもしれません。日本人のセミへの思い入れは深いようで、平安時代から伝わる横笛の名器には、竹の節に枝を少し残したまま切り取って、ちょうど蝉が木に止まっているような形に作った「蝉折」と呼んだ笛もあったそうです。芭蕉の句は、日本人の感性ゆえに詠まれた句かもしれません。
投稿者 fujimori : 23:50 | コメント (5)
2009年06月25日 [旅先にて]
仙山
現在は、当然のように使い、その便利さも意識しないものがたくさんあります。私は地方に行くことが多いのですが、そのときに便利に使うものに交通機関があります。今まで、便利な乗り物と言えばもちろん「車」でした。しかし、車は都内を走る時には、時として、不便を感じることがあります。まず、都内の渋滞です。目的地までのかかる時間が読めません。ですから、講演とか、人と待ち合わせをするときには非常にリスクを伴います。また、都内は、駐車場に困ります。少しの時間でも今は路上に止めることはできません。また、土地が高いということもあって、いろいろな施設に駐車場が少ないです。それでも、他に交通手段がないのであれば仕方ありませんが、都内は、電車や地下鉄が張り巡らされていて、目的地まで行く方法が何通りもあるくらいです。
また、地方に行く場合は、時間が貴重なときには、飛行機や新幹線があります。これらの路線は限られていますので、特に飛行機の場合は、飛行場が目的地の近くにあればいいのですが、そうでないと利用は難しくなります。その時には、新幹線を使います。東京から行くときは、東海道、山陽道の場合は、岡山か広島あたりが、新幹線か飛行機かの境目であり、東北の場合は、ほとんど新幹線利用で、日本海側へはほとんど飛行機利用です。
そんなわけで私は、かなり新幹線のお世話になっています。あんなに速くて、快適で、ありがたい乗り物はありません。その開発に関しての苦労には頭が下がります。
先日、講演の途中で「仙山線」に乗りました。その路線は、その名の通り「仙台」と「山形」を結んでいますが、すべての途中駅は、仙台市内と山形市内にあり、途中で他の市町村を通ることなく県庁所在地同士を直接結んでいるという珍しい路線です。このような両都市のみで完結する鉄道路線は日本全国でもこの仙山線のみだそうです。
この路線は、日本の鉄道の歴史に大いなる貢献をしています。途中駅である作並温泉のある「作並」駅のホームに、「交流電化発祥の地」と書かれた碑があります。
そのそばの説明板には、「我が国の交流電化は、仙山線におけるデータを基礎として北陸本線、東北本線の電化へ、さらには新幹線へと世界に誇る鉄道として飛躍的に発展した。作並は、記念すべき交流電化発祥の地であります」と書かれてあります。日本では、戦後全国的に電化を進める際に、路線の電化費用を抑えられる商用周波数による交流電化についての研究が1953年(昭和28年)頃から開始されました。当初は、世界で初めて交流電化を実用化したフランスからの電気機関車などを輸入する予定でしたが、日本側は重電メーカが政府に国産を働きかけ、1955年に仙山線で試験を実施します。その後、1957年(昭和32年)に試験区間は仙台から作並間に拡大され、同時に交流電化区間における営業運転が開始されたのです。作並から山寺間はすでに直流電化されていたので、作並駅は日本初の交直流接続駅となり、交直流地上切り替えのための設備が設けられ、日本初の交直流両用電車(491系)が試作され、車上切り替えの試験も実施されたのです。ここで得られたデータや技術は、以後の幹線交流電化やそこで運転される車両にも活かされ、さらには新幹線の成功にもつながっていくことになるのです。
山寺駅から見える立石寺は、蝉の声がしみいる岩がそびえたっています。
投稿者 fujimori : 23:31 | コメント (4)
2009年06月24日 [近頃思うこと]
集中力
最近の子どもの様子で相談を受けることがあります。その一つに「子どもたちの集中力が欠けている」ということがあります。聞いてみると、何をやるにしてもすぐ飽きてしまったり、周りばかり気にして集中していなかったり、人の話を集中して聞くことができないというものです。
では、そんな子はどんな時でも、何やっている時でも集中していないかを聞いてみます。また、どのくらいの間しか集中できないのかを聞いてみます。私は、以前に書いて本の中で、子どもたちが集中しないのは、大人が集中させていないからではないかということを書いたことがありました。テレビは、だいたい15分ごとにCMが入ります。しかも、集中して見入っているときに、いい場面になると突然コマーシャルになることが多いのです。園生活でも、集中して物を作っていたり、本を読んでいると、突然「お方付け!」という声が響き渡ります。その声が聞こえないくらい集中していると、「何度言ったら聞こえるの!」とダメ押しされます。今の時代、子どもたちの時間を細切れにして、次々にいろいろなことをさせようとすることが多い気がします。そんなことから、最近は学校で「ノーチャイム」といって、子どもの活動を時間で区切らない試みが始まっています。
また、子どもは大人と違って、いろいろなことに興味関心があり、好奇心旺盛です。また、集中できる時間も、大人と違ってもともと長くはありません。数年前から、人間らしいものを考えるときに働く前頭葉が注目を浴びていますが、その前頭前野の活発な活動のリミットは、人がどのくらい集中できるかということで計ることができます。すると、集中力は大人のレベルでも40~50分くらいで切れてしまうそうです。ですから、まあ、1時間が限度です。また、教育の現場で言われる集中力は、小学生では学年×10分が最高であると言われています。ということは、1年生では、10分です。ですから、幼児ではすぐに周直が切れてしまうのは当たり前ですね。簡単に集中力がないと言わずに、子どもたちが何に取り組んでいるのか、何をしたがっているかを見る必要があるような気がします。
もう一つ、最近「引っ掻き、かみつき」が多いという相談を受けることがあります。そして、それは、子どもの発達段階において起きることであり、思いに反してまだ言葉が出ないときにそのような行動に出るのだということをいうことがあります。私は、少し違う見解を持っています。一つは、少子社会において育てられた子が、集団に入って自分の思い通りに行かなかったり、集団の中でのストレスに原因の一つがある気がします。それは、保育園では1,2歳児の頃、幼稚園では3,4歳児のころにかみつきが多いからです。もう一つは、その子の性格とか、その子の家庭での環境に原因がある気がします。「思いに反して言葉が出ないころなので、きちんと言葉で伝えることを教えていきましょう」という指導を受けることがありますが、私は違う気がします。私はその行動はある意味で大人に最近多い、DVのように、すぐに手が出てしまうというような行動に近い気がします。ドメスティックバイオレンスという暴力をする人に対して、言葉で伝えることを教えればなくなるということと同じような気がするのです。そうではなく、とっさに手が出る、かみつくという行動を辞めさせるしかないのです。また、周りの大人が、カーッとしてすぐに手を出す環境も見直さなければなりません。最近、引っ掻きかみつきが増えたのは、家庭ですぐに手を出す保護者が増えたことも影響しているのかも知れません。
どんな時にも、子どもは、大人を映す鏡であり、大人の影響、社会の影響を受けやすい存在なのです。
投稿者 fujimori : 23:47 | コメント (4)
2009年06月23日 [近頃思うこと]
お手玉
ドイツなどの海外に行くときに何をお土産にしようかと思うことがあります。一番に思うことは「日本の物」を持っていこうと思うことがあります。また、帰国するときに、日本へのお土産を何にしようかと思うときに、その国のものと思います。しかし、ドイツから持って帰るときに、maid in inndonesiaという文字を裏に見たときにがっかりします。逆に、お土産の持ってい行っても、それがその国では広く行きわたっていることを知るとがっかりします。というより、なんだか恥ずかしくなります。しかし、今はもう情報はボーダレスですし、産地もいろいろな国で作っているのでしかないかもしれません。
そんなときに、外国の子どもたちへの土産として、日本の伝承おもちゃを持っていくことがあります。しかし、昨日のブログの「折り紙」は、そのものではドイツのフレーベル教育でも行われていますし、なにも日本独特のものではないのですが、どんなものを折るかには日本独特のものがありますし、折り紙が和紙の物や日本の柄の物は日本独特のものです。
他にも、同じようなものがあります。それは「お手玉」です。お手玉は、実は世界的な伝承遊びのひとつなのです。黒海周辺の遊牧民が袋に粒状の物を入れて遊んでいたのが始まりと言われています。日本では、奈良時代に中国から伝わり、当時は手ごろな大きさの小石や水晶を利用したことから石名取玉と呼ばれていました。実際に聖徳太子が遊んだとされる水晶も発見されているそうです。そして、平安時代から主に女の子の遊びとして好まれました。その後日本各地に広まり、結果現在では「おじゃみ」や「てんちゃん」など300を超える呼び名が各地に存在します。現代のお手玉は江戸時代から、明治初期にかけて多く作られたものです。、
同時に、世界では違うように発展していきます。日本のお手玉は、布で作った小袋の中に、小豆や大豆、数珠玉などを入れて完成します。他にも、はぶ茶、そば米、しじみの貝殻、米、コーンなどの粒玉を入れて閉じたものを使いますが、世界中では、動物の骨、木の実、金属、プラスティック……などなどいろいろな物をお手玉にしています。
遊び方も少し違うようです。日本のお手玉では片手で投げ上げ、一方の手で受け止めて、初めの手に落とす「シャワー式」の投げ方が多いですが、両手で投げて両手で受け止める「ジャグリング式」の投げ方が世界的におおいようです。また、お手玉の数も、日本では一般的に2個が多く、上級者になると、3つ以上の玉を用いたり、片手で複数個を投げることをすることもあります。ジャグリングとはもともと動力のない道具を、肉体のみをもって操作することで、数の物を空中に投げ続ける技を意味していました。しかし現在では、大道芸、曲芸ないしはパフォーミングアートだと思っている人もいますが、海外では、保育の教材としてその玉を売っていることがあります。最近、その手先の細やかな動きが前頭葉を発達させるとして見直され、学校教材としてや老人の認知症予防に繋がるとして注目されています。
折り紙にしても、お手玉にしても、人が手を使い、指を使う生き物である限り、どこの場所でも同じような遊びが生まれるのは当然かもしれません。しかし、それがどのように発展してくるかは、その国の風土なり、産業なり、生産物によって変わってくるのでしょう。そういう意味でも、伝承遊びは子どもに伝えていかなければならないものかもしれません。
投稿者 fujimori : 19:54 | コメント (4)
2009年06月22日 [近頃思うこと]
折り紙
もう30年くらい前のことですが、プライベートで妻とカナダに行ったときのことです。カナダでは妻の友人であるカナダ人の家庭に泊めてもらいました。ある日、少し時間があったので散歩に一人で出かけました。すると、小学校がありました。そこでその学校を突然訪れてみました。私は、初めての海外でした。そのときに、ずいぶんとびっくりしたことがいくつかありました。まず、学校の校庭は全面芝生で、その校庭にはフェンスとか柵とか何もなく、道路と同じ面です。そして、中に入っていき、自分の身分を明かし、見学をお願いしました。すると、校長室に通されました。その校長はとても若い男性でびっくりしました。日本では、最近若い校長が増えてきましたが、そのころは校長というとかなり年配者でした。それは、教師が、主任になり、教頭になり、そのあとに校長になるからです。カナダでは、校長は教師とは全く別な職種なので、新聞などで募集をしたり、企業からヘッドハンティングを保護者がしたりすると聞きました。
その校長に、学校の見学をお願いしてみると、快く承諾してくれ、校内をどこでもいいから好きに見てよいと言われました。まず、体育館に行くとまだ休み時間のようで、子どもたちが自由に体育館中を走り回っていました。すると、突然、放送で校長が話し始めました。チャイムなどなく、突然話し始めたのです。すると、自由に走り回っていた子が、一斉に体育館に書かれてある白線の上に、黙って、さっと座ったのです。校長は、「日本から見学したいという人が来たので、対応するように」という内容でした。話をしている間、子どもたちは先生がいるわけでもないのですが、静かに聞いていて、話終わるとまた元気よく走り出しました。見事でした。
そのあと、教室を回っていたところ、あるクラスの担任から、子どもたちに折り紙を教えてあげてほしいと頼まれました。そこで、鶴の折り方を教えることにしました。まず、みんなに折り紙を三角になるように二つに折るように見本を見せました。すると、子どもたちは三角に二つに折って、その折り目を持って「鶴だ!鶴だ!」とひらひらさせながらとても喜んでいました。それを見て、このあと折るのをあきらめました。それがやっとの子どもたちに、そのあとの難しい工程はとても無理だと思ったからです。そのときに、折り紙は日本の文化であり、日本人は器用なのだということを再認識しました。
たしかに、日本伝統の折り紙遊びは海外でも「Origami」の名称で知られ、多くの人たちに愛好されています。ですから、ドイツ研修にみんなでお土産を持っていくと、何人かは折り紙を持っていきます。しかしドイツでは、幼児教育の創始者フリードリヒ・フレーベルが考えた幼稚園教育には、「恩物」と呼ばれる遊具と、「手技」と呼ばれる遊戯が含まれていて、手技の一つが紛れもない折り紙でした。この恩物と手技は、三つの範疇を含んでいます。明治時代の翻訳では「物品科」「美麗科」「知識科」といいました。その中の物品科で普通の折り紙が取り入れられ、美麗科では、座布団折りや対称的な模様を折ったりしました。また、知識科では、折り紙から簡単な幾何学を教えていました。
折り紙は、空間把握力や手先の器用さ、集中力を養う教育的・治療的効果などがあり、さらに折り紙は、数理・幾何の世界への優れた具体的なアプローチ手段であり、論理的思考をするための数学的訓練手段であるとしています。
投稿者 fujimori : 20:14 | コメント (5)
2009年06月21日 [近頃思うこと]
理系の北斎
受験世代としては、どうしても理系か文系が気になるところです。それは、学問として研究をする場合は、文系は、主に人間の活動を研究の対象とする学問の系統とされており、理系は、主に自然界を研究の対象とする学問の系統とされているからです。しかし、世の中に出ると、それは大学とか研究分野がどちらかというよりは、文系的発想か理系的発想かを考えることが多くなりました。男女の脳の違い同様、人によって、理系と文系的な発想か異なるような気がすることがあります。実際は、両方の発想が必要ですが、どうも人によって違うためにチームが必要な気がします。今回の学習指導要領で重視された「聞く力」「話す力」が必要であるということは、文系の人は理系的発想をする人の意見を聞く力が必要ですし、理系の人は、文系的発想を聞く力が必要なのです。
今月号の「サライ」で、面白い記事を見つけました。「浮世絵の見方」という特集です。その最初の記事は、「北斎・広重 二大絵師徹底比較」ということで、浮世絵の風景画における二大巨頭である葛飾北斎と歌川広重について、どうして彼らの浮世絵を西洋印象派の巨匠たちが絶賛し、彼らの絵の何が江戸庶民を熱狂させ、西洋画壇に衝撃を与えたかということを探るというものです。
浮世絵における風景画の二大巨匠である北斎と広重は、ライバルとして同時代を生きたと言われ比較されますが、実際は北斎の方が37歳も上です。北斎は「富岳三十六景」、広重は「東海道五十三次」が有名ですが、さの作風の違いを学習院大学教授で、千葉市武術館館長の小林さんは、こう分析します。「北斎の“富岳三十六景”は、洋画の遠近法を大胆に活用。加えて舶来の化学染料ベルリン・ブルー、通称“ベロ藍”と呼ばれる鮮烈な青を使った実験的な作品で、風景表現に新しい魅力を開拓しています。もちろん、広重も遠近法は駆使します。しかし彼は、人々が見たいと願う視点で、風景の美しさを詠嘆的に、情緒たっぷりに描いて成功しています。」
この2人の違いを、この本の中ではこう書かれています。北斎の方は、「画面構成は力強く、緊張感に満ちて劇的だ。一見すると演出過多なほどだが、そこに描かれる植物・動物・事象はきわめて写実性が高い」それに対して広重の方は、「いかにもそれらしく描かれながら、むしろ写実とは違う。それでも、大方の人が共感する詩的な情緒表現においては、広重は一段と優っている」この二人に違いを「理系の北斎」と「文系の広重」と形容させる所以であると言っています。
この「理系」と「文系」の違いは、花鳥画を見ればもっとはっきりすると書かれています。北斎の「芥子」という作品は、数輪の花が風にたわむれる様子を動的に描いています。広重の切手でも有名な「月に雁」は、詩情豊かな秋の情景を切り取った画であるといいます。北斎は観察眼に優れて、その絵は現実的にして合理的。広重の絵は誰もが共有できる情趣をうまく絵にのせている点で俳諧的だといいます。小林さんは「現実的という意味で北斎が、“俗”なら、広重は“雅”。あるいは北斎が知性の技の人なら、広重は感性の技の人といえると思います」といっています。
2人の絵をじっと見ていると、なんとなく理系的発想と文系的発想がわかる気がします。園の私の部屋には、富士山の上、空高く昇ってゆく龍を描いた北斎の「富士越龍」が飾られています。
投稿者 fujimori : 17:41 | コメント (4)
2009年06月20日 [近頃思うこと]
理系・文系
最近、私のブログで取り上げる内容に「男脳と女脳」があります。それは、NHKテレビで放送されたNHKスペシャル「女と男」という番組の中での話が面白かったからです。興味を引いた中の一つが女と男とでは、脳の働かせ方が違うという部分でした。その違いの一つを簡単に言うと、男は空間把握能力が高いが、女は言語能力が高いということです。それは、番組では人間の長い進化のなかで、獲物を追って狩をしていた男たちには、地形や距離を読み取る能力が必須でした。一方女たちには、身近な人たちと助け合うコミュニケーションの能力が絶対に必要でした。その役割の違いが、「女の脳」と「男の脳」を作ったというのです。ですから、「地図の読めない女」というのは間違いで、本当は「地図は男脳の為に作られている」ということだと言います。ですから、地図を言葉で説明をしていたら「地図の読めない男」となっていたのではないかということでしょう。
もちろん、これは厳密にいうと、個人差ではあるでしょうが、おおむねそのような傾向にあるということなのでしょう。もしそうであれば、保育が「環境を通して行う」ものであり、その環境の重要な要素として「空間」という場があるとすれば、その環境を構成していくことは多くの女性には難しいと言えます。ですから、もしかしたら、保育を「保育者から言葉がけ」が重要であるとするのは、言語能力の高い女性が多い職場であるからかもしれません。どちらが重要ということではなく、そのような意味でも保育とは、両方の性が必要な世界かもしれません。
また、同じようにこのブログによく登場するスターティング・ストロング(OECD)では、「就学前カリキュラム」(Lpfoe,1998)は、就学全施設に次のことを課しています。
1.子どもたちは、語彙とコンセプト、言葉遊び能力、書き言葉への興味関心、象徴の理解、そして言葉の持つコミュニケーション機能を発達させる。
2.子どもたちは、意味ある文脈及び状況において数学を発見し、使用する能力を発達させる。
3.子どもたちは、数字、計量、形態概念の基本的特徴の正しい認識及び時間と空間の中で自らを方向づける能力を発達させる。
4.子どもたちは、動植物に関する知識のような自然作用や単純な科学的事象に自分たち自身も関与しているという理解を高める。
もちろん、これは目標設定の最後のほうであらわれるものであるものとしていますが、内容を見てみると1の項目以外の項目は、一般的に女性が苦手な分野のような気がします。しかも、日本の保育者が苦手とする分野のような気がします。それは、その分野はおおむね理系と言われる分野だからです。そのようなことが求められてくるに反して、保育者は、男女とも文系が多いからです。本当は、文系理系と分けることも変ですが、受験のときにコースとして文系、理系と分けられました。日本ではすでに大正7年に勅命として出された高等学校令の第8条には「高等学校高等科を分ちて文科及理科とす」という規定がありました。確かに、人は男女差だけでなく、得意不得意がありますが、それが文系理系と別れるわけではありませんし、職業を、文系理系と分けるのは変です。まして、人間を相手にする保育という職業は文系であるという決めつけも変です。そして、その保育を研究する教育学とか発達心理も文系というのも変です。理系、文系というのは何なのでしょうね。
投稿者 fujimori : 23:08 | コメント (5)
2009年06月19日 [記念日]
シラー
ドイツの詩人と言えば「ゲーテ」を思い出します。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは詩人だけでなく、劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家でもあるのです。また、私の園でも参考にした「色彩論」も表わしています。このゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者でもあり、ゲートと同時代に活躍したヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラーも詩人であるだけでなく、歴史学者、劇作家、思想家でした。彼は独自の哲学と美学に裏打ちされた理想主義、英雄主義、そして自由を求める不屈の精神が、彼の作品の根底に流れるテーマです。そんなテーマから「ウイリアム・テル」の作者でもありますが、彼は、ギリシャの古伝説である「Damon(ダーモン)」と「Pythias(フィジアス)」の話をもとに、「Die Burgschaft」(=「人質」又は「担保」と訳される)という7行20節の詩を残しています。
彼の名前は、日本では、古くは「シルレル」あるいは「シルラー」とも表記されました。最後に、「古伝説とシルレルの詩から」という一文が記されている日本の有名な小説があります。この一文は、「DamonとPythias」というギリシャの古伝説をもとにしてシラーが書いた「Die Burgschaft」という詩から話を作ったということになります。それは、太宰治が、彼なりの発想を加えて書いた「走れメロス」です。ちなみに「Damon and Pythias」は今でも「無二の親友」という意味で使われているようです。
今日の毎日新聞にこんな記事が掲載されていました。「19日は生誕100年を迎えた作家・太宰治の命日「桜桃忌」。太宰が眠る東京都三鷹市の禅林寺には朝早くからファンが訪れ、墓前に花や酒、桜桃忌にちなんだサクランボが供えられた。太宰は三鷹で「走れメロス」「斜陽」「人間失格」など代表作を生み出した。玉川上水に入水自殺し、遺体が発見された1948年6月19日は太宰の39歳の誕生日でもあった。また、太宰が生まれ育った青森県五所川原市の生家「斜陽館」にも多くの観光客が訪れ「太宰文学はすべてここから始まったのか」と感嘆していた。」
太宰 治は、明治42年(1909年)6月19日に生まれていますので、ちょうど今日で100年目になります。また、自殺で亡くなったのは昭和23年(1948年)6月13日でしたが、遺体が見つかったのは後日、ちょうど誕生日であった6月19日でした。彼の命日を「桜桃忌」と名付けたのは、太宰と同郷の津軽の作家で、三鷹に住んでいた今官一がつけたものです。「桜桃」は死の直前の名作の題名であり、6月のこの時季に北国に実る鮮紅色の宝石のような果実が、鮮烈な太宰の生涯と珠玉の短編作家というイメージに最もふさわしいとして、友人たちの圧倒的支持を得たものです。
「走れメロス」は、教科書にも載っている小説ですので、ほとんどの人は知っていると思いますが、メロスという主人公が、自分の身代わりとなっている友セリヌンティウスの命を助け自らが処刑される為に暴君ディオニスの元へひたすら走るという物語です。この作品は、なんだか彼のイメージとずいぶんと違う気がしますが、もとが、シラーの哲学と美学に裏打ちされた理想主義、英雄主義ですから、頷けます。「走れメロス」の最後は、出典が書かれてありますが、冒頭の部分は、「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。」という文で始まっています。
投稿者 fujimori : 22:49 | コメント (4)
2009年06月18日 [旅先にて]
看板と景観
ドイツのある園を訪れたときに、園庭の中央に,マイバウムが立てられていました。そのポールの色は、バイエルン地方の旗の色と同じ、青と白で交互に塗られています。その青は、空の色で、白はアルプスの雪の色を表しています。マイバウムというのは、英語ではメイポールというように「五月の樹」という意味で、ドイツでは春の訪れを祝い、5月になると町や村の広場に立てられる一本の高い柱です。昔は真っ直ぐで高い松の木を森から切り出して立てていました。冬でも枯れない常緑樹には強い聖霊が宿っていると考えられていたからです。柱のてっぺんには新緑の枝を輪にしたものを飾り、そこから沢山のリボンをたらして、手に手にリボンの端を持ちながら、木の回りで踊ったり、歌ったりして春の到来を祝います。
園を訪れたのは6月でしたが、園庭には一つの文化を子どもたちに伝えるということで1年中飾られているようです。ドイツ研修のときの待ち合わせの場所であるマリエン広場や、数年前に訪れたノイシュヴァンシュタイン城のあるシュヴァンガウでも、飾り付けされたマイバウムが一年中立てられています。
このマイバウムの習俗はミュンヘンだけではなく、バイエルン地方の各地域、そしてバイエルン以外にも南ドイツ、チロル、スイス、アルザスなど、ライン 河の沿岸一帯に広く見られるようですが、これを町の中心に立てるのはその町のギルドの人たちで、柱にはギルドに加盟している各職業団体を表したシンボルが取り付けられます。それは、この町の中には、このような手工業の店がありますよという一つの看板なのです。
この看板が当てられたのは、その町に入るときにそこには何があるかを知らせる役目と、町の中の看板をなくす意図があったと聞いたことがあります。そういえば、ミュンヘンの町の中には、看板がほとんどありません。それは、何かの景観条例で規制されているからでしょう。日本では高度成長期は、何でもかんでも無秩序に箱ものを作ってきました。日本の伝統や、その地域の街並みや自然との調和を無視して、無秩序にいろいろな色の建物や、高い建物や、構造物が作られました。それは、「美」という人の気持ちをいやす役目よりも「経済」を優先していた時代でもありました。気がつくと、ヨーロッパでは大切に残してきたような長い年月をかけて作られてきた伝統と風格と調和のある街並みが日本からは姿を消していきました。
そんな時代に対して、各地で高層マンションの建設などの反対運動や屋外広告の氾濫のような秩序な開発に対して、見直すべきだという声が上がり始めました。それに対して、国土交通省では「美しい国づくり政策大綱」を策定し、景観法が2004年6月に公布され、翌年から全面施行されています。
しかし、まだまだ海外の町と比べると日本ではあちらこちらに立っている看板が随分と町の景観を壊している気がします。ミュンヘンの町はさっぱりしていますね。
その写真を見て他に気がつくことは、自動販売機と電線がありません。日本では、この二つも景観を壊しています。特に夜のネオンサインの看板のほか、自動販売機の明るさは夜を壊すだけでなく、昼間の照度を持つためにその前に夜立つ子どもの体に変調をきたすようです。私の園を建てた時も、新宿の景観条例と高さ制限がとてもうるさかったのですが、私から見ると、何よりも景観を壊しているのは電線のような気がします。
経済優先の社会を人間優先の社会に戻すのは大変ですが、やっていかなければならないでしょう。
投稿者 fujimori : 23:37 | コメント (5)
2009年06月17日 [新聞記事より]
テーブルサッカー
先週の土曜日の毎日新聞地方版に「みちのくアスリート:仙台のテーブルサッカー女子選手・佐藤好枝さんという記事が掲載されていました。彼女は、日本女性選手の中で唯一の技を持っていると言われています。その技とは、「回転棒の横に手首をあてて、人形を一回転させる「ロール・オーバー」と呼ばれるシュート」です。この記事を読んで、「テーブルサッカー」とはどんなものなのかと思う人がいるかもしれません。75cm×140cm程度のテーブルに人形の付いた8本の回転棒があり、互いに4本の回転棒をくるくる回して「選手」を操るテーブルゲームです。対戦方法は、「シングル」「ダブルス」があり、電気は使いません。相手との心理的な駆け引きも必要なスポーツといわれていて、日本ではあまり見ませんが、外国ではメジャーです。私の園には学童クラブが併設されているのですが、開所以来どうしても欲しかったものが「テーブルサッカー」でした。それは、ドイツの学童クラブを訪ねると、どこにも必ず「テーブルサッカー」が置いてあるからです。

今年、その念願かなって買うことができました。
このゲームの起源はあまり確かではないようですが、おそらく1880年代から1890年代にイギリスで考案され、ドイツ人が商品化し、ベルギー人がリーグ化して面白くしたと言われています。また、フランスのシトロエンの技師がそのメカニカルな部分の開発に関わったともいわれています。このような子どもが遊ぶようなゲームに大人が夢中になるというのは、その開発にはこんな意図があるからです。サッカーのオフシーズンに、選手たちの動体視力や反射神経を鍛え、勝負感を衰えさせないために、手を使い頭脳と身体の連係をよりスムーズに保つハンドアイコーディネーション(手と目の連携動作)が活性化され、リラックスできるものを考えて生まれたのがテーブルサッカーなのです。ところがあまりにもこの機器のゲーム性や戦略性が面白いことから、一般的なゲームにもなりヨーロッパ中心に広がりました。そして、世界中のサッカーファンが、より面白く、より楽しめ、リハビリに役立つゲームにと英知を注いできたようです。
園で購入したマシンは、テーブルサッカー協会公認なので、協会の人が指導に定期的に来てくれています。その人から、まだ日本では競技人口が少ないので、小さいうちから親しんでいると、もしかしたら日本チャンピョンになれると言われています。06年には、ドイツW杯に合わせて、テーブルサッカーのW杯も20か国のプレーヤーが集まってハンブルクで開催されています。
テーブルサッカーゲームは、ドイツ語では「フスボール(Fuss)」と呼ばれ、現在、最もテーブルサッカーゲームが盛んな国アメリカでは、その発音から 「フーズボール(Foose)」となりました。現在では、ヨーロッパとアメリカを中心に全世界で楽しまれていて、世界大会は数百万円単位の優勝賞金のある大会が行われています。そして、このゲームは、手と目、頭脳と身体をフルに使うために、気力の充実、身体の各部分のスムーズなコーディネーションに役立ち、ストレスから解放してくれるということで、病院関連施設などでも実際にリハビリ機器として導入されたり、アメリカの大手コンピュータ会社でもレクリエーションとして採用されており、IT関連企業だけのトーナメントもあるそうです。
園でも、子どもが帰ったあとに職員が熱心にやる姿が見られます。
投稿者 fujimori : 21:40 | コメント (4)
2009年06月16日 [旅先にて]
ドール
私の娘が小さかった頃「シルバニアファミリー」という人形を持っていました。シルバニアファミリーとは、エポック社から1985年に発売開始した人形です。この人形は、森に囲まれたシルバニア村に住む動物たちという設定で、当初、ウサギを中心に、ネズミ、リス、クマ、タヌキ、モグラ、キツネの9家族40体がそろっていました。これらの人形は、家族単位で発売され、この人形が住んでいる家や、家具などの小物もあります。もともと、これらの人形が発売されたのは、日本ではなじみの薄かったドールハウスを紹介するためでした。に、子どもに人気のある動物の一家に置き換えて発売したそうです。
一方、1966年、元々ダッコちゃん等のビニール玩具のメーカーだった旧タカラでは、そのビニール加工のノウハウを生かして着せ替え人形市場への参入を計画していました。それは、アメリカでマテル社のバービー人形が人気があったので企画したものですが、ただの着せ替え人形だけでなく、子どもが持ち運びできるドールハウスとしての機能ももたせようとしました。しかし、この人形の大きさに合わせて家を用意するとなると、家のサイズが相当大きくなることが予想されました。そのために、日本の住宅事情や子どもの持ち運びに適さないとして根本的に企画が見直されました。そして、日本の事情に見合った大きさのドールハウスと、それに合ったサイズの独自の着せ替え人形として企画・開発されたのが「リカちゃん」なのです。
シルバニアファミリーシリーズでも、リカちゃんでも開発するときに意識しているのが「ドールハウス」です。ド-ルハウスを直訳すれば「人形の家」で、弘田三枝子の歌を思い出しますが、もともとは、ドールが主ではなく、ハウスが中心です。ド-ルは「人形」を指すよりも「小さい」ことの比喩に使われているそうです。
小さいと言っても、一応は標準値が決まっています。昔から受け継がれてきた標準値は「12分の1」ですが、それは、1フィ-ト(12インチ)を1インチに縮尺した大きさのことです。ヨ-ロッパでド-ルハウスが生まれた一つの理由には貴族が自分の肖像画を飾る位の気持ちで屋敷のミニチュアを「娘の為に作らせた」との逸話があります。子どもは、ミニチュアが大好きです。私は、子どもの頃、五月人形で、ミニチュアの刀や矢が欲しくてたまりませんでした。また、ひな人形の段のしたほうに並べられる家財道具にもひかれました。この節句の飾りはかなり古い時代からあるようで、人形だけでなく、生活空間にある家具、台所用品のミニチュアがあります。また江戸時代に各地でミニチュアを作る職人が生まれ、家具などに加え街並み・屋台・店屋なども作られたようです。また、Nゲージという線路の幅(軌道の間隔・軌間)が9mmで縮尺1/148~1/160の鉄道模型規格のものがあります。これに魅せられているのは大人の場合もありますが、人は、どうも本物のように精巧に作られているミニチュアに惹かれるようです。
記録に残る最古のド-ルハウスは1558年ハバリア(南ドイツ)の公爵アルブレヒド五世が作らせ、娘にプレゼントしたものだそうで、このハウスはあいにく火事で焼けてしまったのですが、1611年のドイツのド-ルハウスがニュ-ルンベルクの国立博物館で公開されているようです。私は、同じ時期のドールハウスをオーストリアのザルツブルグのおもちゃ博物館で見ました。もうこれは、おもちゃというよりは、工芸品です。

投稿者 fujimori : 23:53 | コメント (4)
2009年06月15日 [行事]
町探し遠足
先週の土曜日は、園の遠足でした。遠足というと、動物園とか公園とか自然の中に行くことが多いようです。小学校学習指導要領には、「見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと」と書かれてあります。これを読むと、どうもよくある遠足は自然に親しむことが強調されすぎている気がします。
私の園は新宿にあり、あまり自然が多くありません。遠足で自然を求めるとなると、かなり遠くまで行かなくてはなりません。そこで、遠足の目的を見直して、「人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳についての望ましい体験」を積むことを企画しました。私の園のある新宿は、同じ新宿といっても歌舞伎町のような繁華街ではなく、下町と高級住宅が同居し、商店街が大通りをはさんであるような町です。そのような人たちが住んでいる町を知り、その人を知り、その人たちの仕事を知ることで社会を知ろうというものです。
商店街の中の数店をポイントとして、そのポイントで問題を解いてもらったり、 製作をしたり、店の人と会話をしたりして親子で手形を持って裏にスタンプを押してもらいながら歩くというものです。その企画を商店街の人たちに相談したところ、みんな喜んで協力をしてくれました。
魚屋さんでのポイントの問題は、「カレイとヒラメの違い」です。その問題の為に、魚屋のご主人は、りっぱなカレイとヒラメを仕入れてくれて、子どもたちが訪れると、本物を前に説明してくれます。「腹を下にしておくと、顔が左にあるのがヒラメで、右にあるのがカレイ」というのが実感できます。
駐在所では、駐在さんが子どもたちを待ち受け、にこやかに相手をしてくれます。お巡りさんがやさしいことを実感したことでしょう。同じように地域消防団小屋では、シャッターを開け、制服を着た消防団の方々が、消防自動車を見せてくれました。ここでは、意外と父親たちが興味を持ち、その前で写真のシャッターを押していました。

目白聖公会は1929(昭和4)年に建立されたロマネスク様式の聖堂を持っています。そして、当日は結婚式があるのにもかかわらず、ぎりぎりの時間まで、15年ほど前に英国トゥルロー教区にあるエピファニー修道院から寄贈された百年余り前に造られた美しいステンドグラスを、中に入れてくれて見せてくれます。
畳屋さんは、職人が数人で子どもたちに畳表の切れはしの周りを和紙で縁取り、コースターを作るのを指導してくれました。子どもたちは、畳の快いにおいを嗅ぎながら、一生懸命に自分ながらのコースターを作っていました。

洋菓子屋では、無添加、無農薬、国産の材料にこだわったクッキーを子どもたちに配りました。普段、たぶん素通りしてしまう製作所では、「ここでは何を作っているでしょう?」という問題にこたえるために、休みの工場内に入れてくれて、業務用加湿器を見せながら説明をしてくれました。そのほかに、徳川黎明会では、徳川の家紋を知り、建具屋さんでは今はあまり見なくなったふすまなどの建具を座敷に上がって見せてもらったり、子どもたちは、いろいろな職業の人で町が成り立っていることを何となく感じてくれたようでした。
お礼に、夕涼み会に招待したり、イモ掘りの芋を持っていったりと、イベントだけの付き合いではなく、日常的に地域の人に子どもたちを見守ってもらおうと思っています。このような取り組みが、最近注目されているイタリアのレッジォでの保育につながる気がします。
投稿者 fujimori : 21:01 | コメント (4)
2009年06月14日 [近頃思うこと]
ビールマスター
ドイツに行くと、よく聞く言葉は、もちろん「こんにちは」(Guten tagグーテン ターク)と思いきや、実はミュンヘンでは「Grüss Gott(グリュース ゴット)」と言います。その次によく使う言葉は、「Prost!」プロース(トゥ)!です。これは、大きな(1リットル)ビアジョッキをカツーンとぶつけあって、太ったドイツのおじいさんやおばあさんが楽しそうに言う言葉です。私たちは、毎昼夜に背の高いビアグラス(500ミリリットル)の厚い底をぶつけあっていう言葉です。「乾杯!」という掛け声です。
こんな光景が忘れられず、また、その楽しさを職員と共有しようと、先週の夜、ドイツパーティーをしました。お土産のドイツビールと、ミュンヘンの名物白ソーセージ(その誕生秘話は昨年のブログで書きました)ほかさまざまなソーセージ、職員が白ワインとキャベツで作ったザウアークラウト(ザワークラフト)と、お土産で持ってきてもらったプリッテェルです。
最近、テレビのCMで、この「Prost!」という言葉を聞きます。それは、5月26日(火)にアサヒビール株式会社から全国で発売されたビール新商品「アサヒ ザ・マスター」のCMです。最近、ビール・発泡酒・新ジャンルの3種類が発売され、それぞれをそれぞれの場面で飲み分けているそうですが、その中で、アサヒビールの調査によると、ビールを選択する理由としては、くつろぎ・報酬といった「ビールならではの価値」への期待と、味・嗜好については「コク・味わい深さ」への期待だそうです。そして、「多種多様なビールのコンセプトの中で、どのコンセプトが魅力であるか」という調査を実施したところ、新ジャンルや発泡酒にはない「ビールならではの価値」である“ビールの本場、ドイツ伝統の味わい”というコンセプトが、お客様からの期待が最も高かったそうです。
確かにドイツに行くと、ドイツビールのとりこになります。「アサヒ ザ・マスター」は、ずいぶんとこだわったようです。「ビール純粋令」に定められた原材料である麦芽・ホップ・水のみを使用し、原材料にもドイツ産ホップとドイツ産麦芽を使用、ドイツ伝統の醸造法である「インフュージョン法」「コッホエンデガーベ法」を採用しています。また、ドイツのビール醸造学の中で最も権威の高い大学の一つである「ミュンヘン工科大学」から醸造学の“マスター”の称号を与えられた醸造家が監修しているということで、名前にも「マスター」が付いています。
ビール純粋令というのは、どんくらいドイツ産を使っているかという決まりで、ドイツ産ホップの使用比率は50%以上、ドイツ産麦芽の使用比率は25%以上でなければなりません。また、インフュージョン法とは、徐々に温度を上げて麦汁を製造する方法で、麦芽の旨みを引き出し、より豊かな味わいを実現できる工法で、コッホエンデガーベ法とは、煮沸工程の後半から終了にかけてホップを添加する方法で、薫り高いホップ香を付与する目的で使用されます。
さすが、ドイツ全国に1,274のビール醸造所があり(2005年現在)、各醸造所がなんと約5,000種類ものビールを製造している国ですね。訪れたミュンヘンがあるバイエルン州は、ビール醸造所のうち、約半数を占めるようです。ただ、ドイツのあちこちで見かけるちょっとおなかの大きい、体格のいい人を見ると、飲みすぎには気をつけようと思います。
投稿者 fujimori : 23:32 | コメント (4)
2009年06月13日 [近頃思うこと]
誇り
東京では、電車やバスに乗るときに、携帯電話があればどれでも、どこでも乗ることができるのでとても便利です。スイカやパスネットという非接触型ICカードシステよる乗車カードですので、パスケースやかばんに入れたままでも改札口でタッチするだけで通過できますし、最近は、そのカードはJR西日本の「ICOCA」、関東地方の私鉄や地下鉄、公営交通の「PASMO」、JR東海の「TOICA」、JR北海道の「Kitaca」としても使うことができますし、2010年には、四国を除くJR各社、西日本鉄道及び福岡市地下鉄、2012年には、名古屋鉄道及び名古屋市交通局でも使うことができるようです。
また、最近、本屋での万引きに備えて、無線ICタグ(荷札)を本に付けることを実験、検討しています。その電波で本の情報を読み取り、レジ精算や流通、在庫管理の効率化、さらに万引き防止に活用しようというものです。
このICシステムを含めて日本ではどんどん技術が進み、いろいろなところが便利になり、それは世界でも誇れるくらいの技術革新ですが、なんだか大切なことを忘れている気がします。ドイツでは、本屋では、万引き防止対策よりも、本をゆったりと読むことができる環境を用意しています。科学的に防ぐというよりも違うアプローチの仕方を考えているようです。これは、鉄道の改札口でも感じます。
今回のドイツ研修の宿はミュンヘン中央駅のそばでした。ですから、何度も中央駅に行きました。朝の喧騒は日本と似ているところがあります。新聞を片手に急いで歩くサラリーマンらしい人、軽い朝食を売店で済ませようとする人、次々にホームから発車する列車などどこでも同じ朝の風景です。

しかし、大きく違うところがいくつかあります。まず、駅、ホームにおいて「○○行きの電車が到着します」のようなアナウンスは一切無いことです。そして、発車ベルやメロディーがなりません。日本では、その音でもせきたてられている気がします。
もう一つ、改札口がないことに気が付きます。人々は、そのまま列車に乗り込みます。自転車に乗った人でも、外からホームに乗り入れ、列車に乗り込むのです。切符は、どうしているのかと思います。この光景は、市内を走るUバーンと呼ばれる地下鉄でも同じです。地下鉄は何回か利用するのですが、まず、チケット売り場でチケットを買いますが、日本のような窓口はありません。自動販売機で、目的地を運賃図から探し、そのゾーンを確認してそのゾーンの料金のボタンを押します。そのチケットを持って電車に乗り込むのですが、改札口らしきものは見つかりません。みんなは、勝手にどんどんホームに降りていきます。では、チケットはどうするのかと思ったら、入り口近くにあるスタンプ印字機にチケットを差し込みます。回数券の場合は、ゾーン分の枚数を織り込んで印字機に差し込みます。それだけです。そこには人もいませんし、降りるときも、誰もチケットを確認しません。自己申告だけです。もちろん、検札もあり、見つかった場合高額な罰金をその場で取られ身分証明書の提示も求められると言われていますが、私がドイツにもう何年も行っていますが、一度も検札にあったことはありませんでした。

ドイツ人のことを私はよく考えすぎかもしれませんが、ドイツ人は、どうもプライドからきちんとチケットを買っているように思えます。もし見つかったらということを、罰金の高さではなく、自分のプライドが傷つくと思っているような気がします。このプライドは、本屋での万引きに対しても同じようなことを感じます。中には、不正乗車をする人はいるでしょうが、そんな人たちには自分は属さないという誇りなのでしょう。日本人は、かつて持っていた誇りはどこに行ってしまったのでしょうか。
投稿者 fujimori : 20:51 | コメント (4)
2009年06月12日 [新聞記事より]
電子マネー
最近のニュースで、「コンビニチェーン“セブン‐イレブン”の全国1万2323の全店舗において、プリペイド型電子マネー「Edy」による支払いが、2009年10月から可能になることを発表した。レジでのEdyのチャージにも対応する」というのが流れました。私は、プリペイドカードでは主にこのEdyを使っていますが、多くのコンビニでは使えるのに、セブン‐イレブンでは「nanaco」を中心に、「QUICPay」に対応しているだけでEdyは使えませんでしたから、今度は便利になります。
私がEdy(エディ)を活用する理由が二つあります。一つは、ソニーが開発した非接触ICチップFeliCaを搭載したおサイフケータイという携帯電話で利用する事ができるからです。もう一つの理由は、ANAマイレージクラブとの提携によるポイントが付与されるからです。また、一時期、ANAを利用するとEdyのポイントがもらえたことがありました。このEdyという名称は、ユーロ(Euro)の「E」とドル(Dollar)の「d」と円(Yen)の「y」の頭文字からとられており、この通貨に次ぐ第四の基軸通貨になってほしいとの願いからつけられたそうです。また、これを運営管理するビットワレット株式会社は、2001年1月18日、ソニーグループ、エヌ・ティ・ティ・ドコモ、さくら銀行(現三井住友銀行)、トヨタ自動車、デンソー、ディーディーアイ(現KDDI)、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)など家電、通信、金融、自動車等の幅広い業界で日本を代表する11社の出資により設立された会社です。会社名は、bit(電子的)とwallet(財布)をあわせた造語です。
この電子マネーと言われるものはいわゆるプリペイド型で、事前に代金を支払って購入するもので、商品券と異なり、残額がゼロになるまで繰り返し利用できます。利用者は、小銭を持ち歩く必要がなく、軽くて持ち歩きやすく、カードによってはプレミアムがついていることもありますが、使える場所が限られていると、何枚も持たなければならず、その店でも使える紙幣の方がかえって便利になってしまうので、どのくらいのところで使えるかが課題です。そんなわけで、私にとっては、今回のニュースはありがたい話です。
しかし、プリペイド業界もなかなか厳しいようです。このEdyにしても設立以来ずっと赤字のようですし、ずいぶんと廃止されて消えていったものも多くあります。
日本でのプリペイドカードは、1982年、旧電電公社がテレホンカードを作ったのがはじまりです。このカードは、通話したい時の硬貨の用意や釣り銭の出ない不満や、長時間通話の場合に多量の硬貨を追加しなければならないことや、通話切れの心配を解消してくれます。ですから、これはずいぶん普及しました。必ず、数枚は持っていました。また、設置者にとっても、金庫満溢による停止を避けられる他、硬貨集金の巡回経費を節減できるメリットがありました。その後いろいろと作られました。しかし、しかし、このカ-ドは磁気で記録するカードであるため、記録するデータ量がさほど多くなく、また市販のカードリーダ・ライタで偽造が行ないやすいため、偽造カードの流通が大きな社会問題となり、相次いでオレンジカードやテレホンカードやハイウェイカードなどの高額カードが発売停止になりました。また、携帯電話のように違うものが使われるようになったことで、プリペイドカードシステムそのものも廃止されているものが増えています。
私は、携帯電話の機能が増えるに従って、ポケットに入れるものが少なくなっています。
投稿者 fujimori : 21:32 | コメント (4)
2009年06月11日 [旅先にて]
移動図書館
ミュンヘンの大きな本屋に行くと日本と違う風景を見ることがあります。それは、厚い本を何冊も抱えて、階段の踊り場に行く人を見ます。それは、踊り場に会計があるのではなく、ソファーが置いてあります。そこは、立ち読みではなく、座り読みをするところです。そこでは、脇の床の上に何冊も本を積み上げて、ゆったりと何人も座って本を読んでいます。あたかも、図書館にいるようです。
立ち読みは日本の法律でも犯罪ではありませんが、なんだか後ろめたさを感じます。昔は、よく本屋さんに「立ち読み禁止!」という張り紙が貼られていましたし、立ち読みをしていると、その本屋さんの店主がハタキを持ってきて、本の誇りを払うふりをして、読んでいる本もハタキで払う漫画がよくあります。しかし、そこにはなんとなく、頑固おやじの象徴として描かれ、お金がない子どもに対しての思いやりが感じられ、ほほえましくもありました。ですから、そのころの立ち読みは一つの文化でした。
また、立ち読みは、本来、買う本を選ぶときに中身を吟味することです。そう考えると、ミュンヘンで見かける座り読みは本を選んでいるようには見えず、中身すべてを、買わないでその場で読み終わってしまう行為に見えますが、本屋は何も言いませんし、その場所を用意してあげるのです。
最近、日本では、立ち読みができないようにビニールで覆ってしまったりすることもありますが、それよりも本屋さんの頭を痛めているのは、万引きをする人が増えたことのようです。万引きは、立派な犯罪です。また、最近デジタル万引きという行為も増えているそうですが、それは、カメラ付き携帯電話で本のページを写真取りすることです。映画をビデオ撮影することは強く取り締まっていますが、このデジタル万引きは今のところそれを取り締まる法律は整備されていないようです。
最近、同じように万引きで困っているのが図書館です。図書館は、本を万引きするのではなく、返さない人が多いということですが、返さないということは、その本をとってしまうということになります。図書館というものは、自由に好きな本が読めるというとてもありがたい施設です。特に、ほとんどの公共図書館で採用されているような「開架式図書館」では書架が開放されており、来館者が本をその場で読む事ができるように、読書のためのスペースが用意されています。自由に本を取りだして読めるように開放しているということは、来館者の良心を信じているという善意の行為です。その良心がいつまでも続いてほしいと思います。
図書館の中で「移動図書館」という書籍などの資料と職員を載せた自動車や船などを利用して図書館を利用しにくい地域の人のために各地を巡回する図書館のサービスがあります。この移動図書館をザルツブルグを訪れたときに見かけました。
この移動図書館は、バスを使用していますが、このように移動手段として自動車が用いられることが多いことからbookmobileとかmobile libraryと呼ばれていますが、他にも船や列車、1930年代以前には馬車も用いられていたそうです。ずいぶんと古くからあったのですね。
日本では、1948年7月、高知県立図書館で始められた「自動車文庫」が初めての移動図書館だったようです。この移動図書館は、本を身近なものとし、なかなか本が買えないような地域、図書館まで遠い地域の人に本を提供するのに大きな力になりました。しかし、日本では最近、減少傾向にあり、東京では区部における移動図書館が2005年3月末をもってすべて終了しましたが、世界的には移動図書館を必要とするところはまだまだ多く、特に発展途上国ではニーズが高く、日本で廃車になった移動図書館車が譲渡されているようです。
投稿者 fujimori : 23:49 | コメント (4)
2009年06月10日 [旅先にて]
トロバス
ドイツのミュンヘンでは、市内を走る乗り物の主なものは、Uバーンと呼ばれる地下鉄と、路面電車です。Uバーンは6路線で、駅数は96駅あり、日本と同じようにどの路線に乗ればいいのかよく迷うところです。
路面電車は、一時期、地下鉄への転換がはかられた時期もありましたが、現在では、両方が公共交通の核となっており、23系統が開業されています。
ミュンヘンから1日シュタイナー幼稚園を見にオーストリアのザルツブルグに行きましたが、そこでの主な乗り物はトロリーバスでした。前を走るトロリーバスを見たときになんだかとても懐かしく感じました。
それというのも、このトロリーバスは私が子どもの頃に日本ではトロバスブームだったのです。世界では、1882年4月29日に、ドイツのジーメンスがベルリンで試験運行を行ったのが初めとされていますが、日本で最初にトロリーバスが開業したのは、昭和3年(1928年)新花屋敷トロリーバスでした。その後、各地で開業しますが、戦後、東京都でも公営開業し、ブームが到来します。その理由としては、戦後、石油燃料事情が悪く、また、路面電車より建設費が安いからというものでした。
しかし、昭和40年代になると、自動車の増加による道路の渋滞問題や地下鉄の建設計画などが持ち上がり、昭和47年に横浜市のトロリーバスの廃業を最後にその姿を見ることは出来なくなったのです。現在、日本で唯一運行されているのが、長野県と富山県を結ぶ立山黒部アルペンルートの中の関電トンネルと立山トンネルです。
そんな事情ですから日本では若い人はトロリーバス(トロバス)という言葉でさえ知らない人が多いかもしれません。このトロリーバスは普通のバスとは違って、ガソリンではなく電気を動力として走ります。いわば、線路のない路面電車のようなものです。ですから、このトロリーバス、実は鉄道の一種として区分されています。「電力で走る」という事は、排出ガスによる公害が全くなく、自然に配慮したエネルギー源を利用していることなのです。しかし、電力を使っている乗り物は、定期的に充電が必要となります。しかし、このトロバスは、架線があればいつでも走れますし、普通の車のようにタイヤで走れるので、線路を引く必要もありませんから、建設費用やメンテナンス費用が削減され、ある程度の障害物も避けることができます。
反面、路面電車のように架線が必要なため沿線の美観を損ねます。ザルツブルグでも、ミュンヘンでも電線はすべて地中化されていますが、このトロバスや路面電車の架線が道の上にはられています。ミュンヘンでは、廃止された路線でもこの架線だけは残っているので、その真ん中に電灯をつけています。そのほかの欠点としては、トロリーポールが届かない場所や架線のない道路へは行くことが出来ず、一般のバスのような自由度はありませんし、3両以上連結しての走行はできないため輸送量にも限界があります。ですから、日本では性能の良いディーゼルエンジンを持った大型バスに変わっていったのです。
しかし、海外では排気ガスや騒音対策に有効とされ、多くの町でトロリーバスが運行されています。そして、欠点を改良し、より発展しています。「架線がないとだめ」という点では、ディーゼル発電機を用いたハイブリッド形や蓄電池併用型の車両を採用することにより、かなりの距離を架線なしで運行できるようになっていますし、無電区間の走行や停電対策のため、エンジンは発電用ではなく、変速機を介し、駆動用としての補助エンジンを持つものもあるそうです。すぐに別のものに変えてしまった日本に比べて、残しておいた海外では、環境の為によかったのかもしれません。
投稿者 fujimori : 23:25 | コメント (4)
2009年06月09日 [近頃思うこと]
ドイツ研修
昨日の月曜日、ドイツ研修から無事に帰ってきました。ドイツの出発は、土曜日の午後でしたが、その日の午前中の3時間は、ホテル内の研修室で研修を振り返りました。参加者は、ずいぶんといろいろと学んだようです。その時に、私が参加した皆さんに話をしたのは、「ドイツと日本の違いをたくさん見つけたと思いますが、違いよりも同じところを見つけてください」ということでした。私たちがドイツの研修に行ったのは、ドイツでの幼児教育を研究するためではなく、私たちの保育を見つけるためだからです。勿論、ドイツでの制度やシステムには参考になることがたくさんあります。しかし、それはドイツという風土と歴史と伝統が作り上げてきたものです。ですから、それを一概に良いとか悪いとかいうことはできないのです。それは、他の保育についてもいえることです。その中で、私たちは、日本という風土の中で、歴史を踏まえ、伝統を重んじた保育を構築しているでしょうか。

そのような日本における保育を考えるうえで、世界の子ども像のとらえ方、子ども成長、発達の保障、そして、先進国での課題である少子社会での子どもの生活の保障、未来を培う子どもたちが現在をよりよく生きるための環境、そんな世界共通なものを見るべきなのです。私は、他の参加者と違って、同じものを見つけるとか、ドイツでの保育を見るというよりも、毎年参加している立場として、どのように変化しているのかを見ています。ドイツでも、毎年子どもの環境の変化に応じて、子どもの環境、保育の重点課題が変化しています。
それは、もしかしたら、園長、職員に移動がないからではないかという気がします。私が毎年同じところに行くと変化が見え、また、そこの園長先生、職員の異動がないために常に新しいものを見、変化しています。それに比べて、転勤や異動が多い日本の公立園や公立の学校では、変化を嫌い、変わらないことを目指し、今までのやり方を継承しようとしているところが多い気がします。人が変わってしまうために、内容を変えるわけにはいかないのでしょう。そんなことを考えると、いつも日本の転勤、異動は何のためにするのかわからなくなります。公立の園も、もっとじっくり、職員みんなで、自分の園の理念づくりをし、それを守るために日々変化をしていく必要があるのではないかと思います。私も公立園の先生と一緒に勉強をする機会があるのですが、とても問題意識を持ち、変えていこうという意欲を持った先生と出会うたびに、この先生がずっとここにいれたらと思うことがしばしばです。今回、以前の訪問したことのある園に伺った時に、そこの園長先生の初めのあいさつで「おかえりなさい」と言われた時に、そんな思いを強くしました。
保育所保育指針、幼稚園教育要領、学習指導要領が定期的に改定されてきた中で、今回、不定期に改定になりました。その改定内容について、なにも変わっていないとか、なにも変える必要がないのだということを聞くことがあります。確かに、指針が変わったからといって保育の内容は変える必要はないかもしれません。しかし、それは、日々変えていっている園での話です。子どもの様子によって、保育を見直している園に限ってのことです。今までやってきた保育の継承ほど大人主体の保育はないということに気づかせてくれるドイツ研修でした。

投稿者 fujimori : 22:02 | コメント (5)
2009年06月08日 [旅先にて]
園庭
今月の園だよりの巻頭言で、私は「子どもの遊び」について書きました。そこでは、「子どもたちの活動は、遊びであり、物事を学ぶのに最適な方法であることが、脳科学からもわかってきています。聞く、触る、味わう、臭いをかぐという動作をする度に、脳と神経細胞の連結部分シナプスの効果を増す信号が25回、脳に送られます。さまざまな最良の遊びが、より良い効果を促します。そして、活動が繰り返されるごとに、連結箇所が強化されます。これは、子どもたちが新しいものを発見し、興味を抱いたときに、神経への刺激が繰り返されるのです」ということを書きました。
環境庁から出された環境白書の中でも、「遊びは、運動能力の向上はもとより、自然の科学的理解の基礎を与え、また、協調性や創造性、判断力その他の人格形成や社会生活の訓練等、極めて重要な役割を有する行為であると考えられる。特にこれまでの遊びは、年長、年少を含む遊び集団に各人が属し、その集団が自然の中で活動的に動き回っていたこと等が特徴とされる」と書かれており、しかしその遊びが、近年の環境の変化、とりわけ遊び場としての自然の喪失等に伴って、質的にも、量的にも変化してきたと指摘しています。たとえば、季節を感じる時に連想するものは何かというアンケートでは、植物に関連した回答のうち、挙げられた具体的な花等の名称を見ると、成人世代の方が子ども世代(小学5年生及び中学2年生)よりも非常に多くの花を回答している結果が出ていますが、それは、生活体験の長さ、行動範囲の広さ、自然に対する知識量などを反映しているものであろうと指摘しています。このことは、季節感の豊かさ、例えば、様々な花に季節の訪れを感じるためには、その前提として身近なところで多様な生態系が保全され、また、大人から子どもへと環境や生活の中で季節の変化を感じる経験が伝承されていくことの大切さをうかがわせるとしています。
また、白書では、「児童期における自然とふれあう遊びは、自然への親しみ感や愛情を醸成させ、人間と自然とのかかわりを知覚させるものと考えられる。さらに、自然とのふれあいが遊びという行為を通じてなされることの意味も大きい」としています。
今回、ドイツ研修で参加者の目を引いたものの一つに「自然体験」でした。「モグラの家」や「羊との触れ合い」は、課外での体験ですが、園内における園庭の作り方、子どもたちの園庭での過ごし方を見ると、自然への取り組みがわかります。勿論、園庭は人工的であり、よく整備されている環境ですが、そこでは、子どもたちが自然と触れ合えるような工夫がしてあります。たとえば、地面にしてもすべて芝とか、平らに整備されている場所ではなく、砂場のほか、石ころが敷き詰めてある場所があったり、敷石が敷き詰めてある場所もあります。まさに、街の中を歩く時に子どもたちが経験するであろう地面を体験させているのです。

また、みんなで群れあって遊ぶだけでなく、一人でじっと空想にふけることのできる空間も用意されています。

室内での癒し空間にも似ているものです。そして、自然とのふれあい遊びを子どもたちが体験するために、緑だけでなく、大きな石が積まれていたり、自転車などの乗り物を使う日は1週間に1日と決めてある園もありました。

そして、遊びの特徴は、自発的な行為・活動であるために、先生は特に積極的に子どもとは関わっていませんでした。
園庭の整備の仕方にも、ドイツから学ぶことがありました。
投稿者 fujimori : 21:44 | コメント (5)
2009年06月07日 [旅先にて]
羊の群れ
平成8年に環境白書が環境庁より公表されました。その年の白書は、前年度の環境基本法、環境基本計画により示された環境政策の基本理念と枠組み、長期的な政策の方向を具体化し、その実現に向けて軌道に乗せていく実質的な初年度でした。そのために、真に実効性の高いものとしていくためには、社会のすべての主体的に、また、公平な役割分担と責任の下に、連携しながら取組を進めていくパートナーシップの構築が不可欠であると提案しています。そして、様々なパートナーシップの事例から学ぶようにと事例を出しています。
諸外国における取組の例として、ドイツのミュンヘン市の実践が紹介されています。それは、ミュンヘン市の教育活動を行っている「遊びの文化協会」の活動です。遊びの文化協会では、都市計画に遊びの要素を取り入れるため「都市における遊びのネットワーク」の計画、実践に向けた活動を行っています。これは、遊びの活性化と遊び空間の設計とを密着させ、遊びを「子どもの文化」と位置付け、社会文化的な観点と教育的な立場に基づき遊びを取り入れようとするものです。ミュンヘン市では、1989年に「遊び空間のある都市」をテーマに、遊びバス、遊びの日、遊び活動家と教育家たちの監修による遊びの家と冒険グラウンド等を設けました。
この白書の中で紹介されている「遊びの文化協会」が主催している「羊とのふれあい体験を通して」という活動を、今回、ドイツミュンヘン市の英国庭園に見に行きました。全長8㎞もあると言われる公園の中を責任者であるグリューネヴァルド市の案内で歩いていると、以前のブログで紹介した野尻湖畔の癒しの森を歩いているような気分になり、市街の中心部からわずかな距離であることを忘れそうになります。次第に足もとに羊のふんが多くなり始めたかと思うと、向こうのほうに毛を刈り取られたばかりの羊の群れが見えてきました。
その群れの近くでは、子どもたちが先日刈り取った羊毛を水でよく洗い、木の枝に干していました。

それが終わると、今度はそれをブラシで伸ばし、槌で幾層にも重ねて叩いていて、毛布にしていました。羊毛と言えば、私は、「シュタイナー教育」を思い出します。シュタイナー教育では、多くの手仕事をします。幼稚園では、自然素材の羊毛を洗い、草木染めで色をつけ、木の枝に編みこんで模様を作ったり、フェルト化してボールを作ったり、太毛糸で指編みをしたりします。草木染めされた自然素材の羊毛や綿を手で感じながらの作業は子どもたちに癒しを与えます。また、命のある素材を扱いながら、子どもたちは感覚を磨き、自分自身と向き合いながら世界を体験しているとシュタイナー教育では言われています。また、手仕事は、単調な繰り返しの作業です。しかし、その単調な繰り返し作業に没頭し、その繰り返しの作業から生まれる規則正しいリズムは、人間の生命力を強めます。
今回のドイツ研修でも、一か所、ザルツブルグにあるシュタイナー幼稚園を見学しました。独特の曲線で構成されたドアを入ると、とても落ち着いた色調で、自然物が遊びの素材として用意されている中で、羊毛で作った装飾が飾られていました。
白書には、昨日のブログで紹介した冒険遊び場も紹介され、こうした遊び場は、世界的な広がりを見せていますが、その背景としては、優れた環境が本来持つ「遊び」を可能にする機能が、現代社会の中で見直され、人の手によって守り伝えられていく必要性が次第に認識されてきたことがあると考えられると書かれてあります。
投稿者 fujimori : 06:51 | コメント (4)
2009年06月06日 [旅先にて]
冒険
ドイツミュンヘンといえば思い出すものでその年齢がわかります。私の世代では、「ミュンヘン・札幌・ミルウォーキー」というコマーシャルで流れたビールの産地です。当然、ミュンヘン滞在中は、毎日ビール三昧です。その次の世代になると、ミュンヘンオリンピックです。また、サッカー好きですと、ワールドカップの開会式が行われたミュンヘンスタジアムとか、あのオリバーカーンがいるバイエルンミュンヘンの本拠地ということでしょう。
もうひとつミュンヘンといえば思い出すものに、子どもに人気のあるキッザニアの基となった「ミニ・ミュンヘン」というイベントがあります。これは7歳から15歳までの子どもだけが運営する「小さな都市」です。本来は、その名の通り、ミュンヘンで2年に1回、8月の夏休み期間3週間だけ誕生する仮設都市のことで、20年の歴史があります。それに似たような試みが最近は日本でも各地で行われるようになってきました。ここでは、まず少しだけ仕事と学習をすると市民権が得られます。そのあと、自由に自分の好きな仕事を見つけて働くと、「ミミュ」というお金がもらえます。このお金で映画を見たり、食事ができます。仕事には、コックさん、タクシー運転手、花屋さん、デパートの店員、デザイナー、アナウンサー、新聞記者、教員、そして公務員や議員さん、市長さんなどたくさんの仕事あります。
もう一つ子どもの自由な世界を保障しようという試みに「冒険的な遊び場」があります。日本では「羽根木プレーパーク」が有名ですが、原型は、1943年にデンマークで既に始まっていた「ガラクタ遊び場」です。子どもたちが建築資材や廃品置き場で遊んでいることからヒントを得て、景観デザイナーで、公園設計家のC・Th・ソレンセンが建築遊び場というアイディアが生まれたのです。
冒険遊び場は、冒険的で、多少の危険の伴う体験をしながら自分たちで遊びの内容を構築していく可能性のある遊び場のことをいいます。あくまでもコンセプトは「冒険」です。建設遊び場では、子どもたちは用意された材木や金づち、大量の釘を使って、大工仕事をしながら遊び場を作っていくという楽しみを体験することが出来ます。そして、小屋を作ったり、東屋や橋を作ったり、それを絶えず改装、改築していきます。そこでは、かつての子どもの世界であった秘密基地を作ったり、木に登ったり、地面を掘り返したりします。この冒険広場の流れと、ミニ・ミュンヘンの流れをくんだ試みであるミュンヘン市が主催している「モグラの家」を訪れました。

ここでは、子どもの自治と、子どもの力に圧倒されました。以前に一度訪れたことがあったのですが、その時は冬でしたので、子どもたちは室内遊びが中心でしたが、今回は、この広場の中を子どもたちは走り回っています。また、あちらこちらから、のこぎりを引く音、釘を打つ音が響いてきます。6歳から13歳までの子が、のこぎりとか釘を借りて、グループで家を作っています。そして、その中で毎年さまざまな賞が与えられるそうです。昨年度の最優秀賞である「ゴールドハンマー賞」の受賞作品を見せてもらいました。
まだ、増築中だそうですが、地下があったり、ずいぶん趣向を凝らした建物になっています。そして、ここでは、公務員がいて、チェックをしたり、廃材を整理したりします。また、くぎ抜きなどの労働をすると、ここでの通貨「マウリ」をもらうなどミニ・ミュンヘンのとりくみに似ていますが、ミニ・ミュンヘンは大人社会の体験ですが、ここでは子どものアドベンチャー世界であると言っていました。

投稿者 fujimori : 07:02 | コメント (4)
2009年06月05日 [旅先にて]
ゾーン
保育室という空間は、子どもの生活と活動にとって欠かせないものです。 子どもたちは、園に来ると「何をしようか」を考えます。そして「誰としようか」「どのようにしようか」「何を使おうか」ということを考えます。それが、動機であり、意欲です。この心は、子ども自らわき出る気持であり、指示したり、やらせようとした途端に、その意味は違ってきます。しかし、子ども自らやろうとしても、自ら使えるような時間、空間、物などが用意されていなければなりませんし、一緒にやりたいと思える友達がいなければなりません。そのための用意がコーナーと呼ばれるものかもしれません。
外国では、保育室の真ん中に広場的なものを置き、部屋の隅に様々な子どもが自ら選択し、活動する場所を作りました。そこで、そのような場所を「コーナー」と呼びました。また、アメリカなどでは、一斉に何かをやらせるのではなく、子どもが興味関心をもったことが自らやれるような場を用意しました。そこで、そのような場を「インタレストセンター」と呼んだりしました。しかし、「コーナー(かど)」も「センター(中心)」も子ども主体と言っても、結局はある閉じられた空間を用意し、そこでの活動を固定してしまうような気がします。もっと、子どもによって流動的に空間が構成されたり、他の空間と融合したり、小集団から広がりのある人間関係が作れるような空間を用意する必要がある気がします。それは、コーナーの作り方であり、そこでの子どもの過ごし方ではあるのですが、コーナーという言葉を使うと人によってとり方が異なってしまうこともあるので、私はそれを、ゾーンと呼ぶことにしました。そして、そのゾーンは子どもによってゾーニングされていきます。
今回、ドイツを訪れて、そのコーナーの使い方に微妙な変化が見られました。以前のように細かく家具などで仕切らず、大まかに分かれているだけのところが多くなっている気がします。ままごとコーナーとか癒しの空間などは仕切られていることが多いのですが、他はそれほどわかれていません。どうも、私がゾーンと位置付けたような使い方をし始めているようです。
今回のドイツでも、何年か前に見た「学びの部屋」の部屋を作るために改装している園を見学しました。そこは、科学の目を養うこと、そして「数」「文字」などを遊びの中から体験していけるような空間です。人格形成を重視するドイツでは、物事を論理的に見つめ、それを論理的に人に伝え、説明能力を養いことであり、心豊かにするといった抽象的なことではないのです。
そのほかに今回のドイツ研修で面白いコーナーを見つけました。その場所はやはり明確には区切られておらず、イスと机が置いてあるだけの場所ですが。そこでも、論理的に人につてることを学ぶ場所です。それは、「喧嘩コーナー」という場所です。
他の子どもといさかいが起きた時、その場所に行って、話し合いをする場所です。その横の壁には、反しあいの手順が子どもの絵と言葉で書かれています。人の話に耳を傾けることということで、大きな耳をもった顔が書かれていたりします。このような場所の用意は面白いかもしれませんね。私の園でも作ってみることを提案しようとおみます。今でも、私の園の園児は、喧嘩が起きると、先生は椅子を用意して、2人で話し合いをするように座らせて、その場を去ってしまいます。最初は、2人でふてくされたように見合っていますが、そのうちに自分を主張しあい、次第に相手の言い分に納得するようになっています。
ドイツの喧嘩コーナーを用意しているこの園では、だいたい1日に1回は利用されていると言っていました。
投稿者 fujimori : 05:04 | コメント (5)
2009年06月04日 [旅先にて]
科学の目
子どもたちに「物の手触り」を感じさせるのは、五感を養うということでしょうが、それは、本来は自然界の中でいろいろなものに触ったり、においを感じたりする中から感じることが必要なことでしょう。ですから、ドイツでは、自然との触れ合いも意図し、大切にしています。今日の午前中に訪れたキンダーでも、園の保育目標の一番目のものが「自然観察を通して科学する目を育てる」というものでした。その目標に従って、園庭には、ビオトープがあったり、コンポストもあります。この園の取り組みは、新聞や専門雑誌、各種団体から注目されていて、見学も多いそうです。
世界の教育取り組みに大きな影響を与えている原因にOECDが行ったPISAの学力調査があります。日本でも、今回の学習指導要領の改定では、その学力低下のために、ゆとり教育、総合的学習の交代が行われました。ここドイツでも、その成績が悪かったために教育の見直しが行われました。しかし、この結果行った教育改革には日本と過ごし違った方向になっています。まず、徹底してその結果について分析し、研究を重ねたそうです。その結果、まず、幼児教育での「陶冶」の重視ということで、人格形成を中心に就学前教育を行うことにしたのです。この方向は、同じOECDが提案しているECECにおいて取り上げられ、就学前教育について他の国へも推奨しています。
特に、ここバイエルン州ミュンヘンでは、ドイツ国内の中ではPISAの学力は高かったそうで、その取り組みは国内でも参考にしているそうですが、もしかしたら、あの有名な物理学者は、ここのギムナジウムを卒業していることに関係があるかもしれません。また、あの偉大な学者を受け入れることができなかった、それまでの学習のやり方の見直しに影響しているのかもしれません。
アインシュタインは南ドイツのウルムにユダヤ系ドイツ人として生まれましたが、彼の父が経営していた工場が倒産してしまいます。そこで、一家はイタリアのミラノに移りますが、アインシュタインだけはギムナジウムに在学中であったため寄宿舎に残りここで教育を受けます。彼の通ったギムナジウムが、今回宿泊しているホテルのすぐそばにあるので、朝の散歩で行ってみました。
もともと彼は、とても静かな子だったようですが、5才の時に、家庭教師に椅子を投げつけたこともあり、かなり自分を主張する子であったようです。その彼が、大学に入学するために行くことが目的であった日本でいう中高に当たるギムナジウムは、なじめなかったようです。ギムナジウムのギリシャ語,ラテン語などの詰め込み主義教育にもなじめなかった。こんな話が残っています。ギムナジウムで、ある教師から「もし、きみがクラスにいなかったらもっと幸福だろうに」と言われたアインシュタインは「私は何も悪いことをしていません」と答えました。すると先生は「それはそのとおりだ。しかしきみはうしろの列のそこに坐って、にやにやしているが、それは私が、クラス全体から得る必要がある尊敬の念をおかしているのだ」と言われたそうです。話によると、そんな彼は物理の成績は抜群でしたが、数学はそれほどでもなかったようですが、それ以上に統一後間もないドイツ帝国の軍国主義教育は、自由にして闊達なアインシュタインの気質には合わなかったようです。彼は、こう言っています。「私はミュンヘンの学校が、いやでたまりませんでした。厳格な規律と権威主義。教師は軍人のように、むちを振るって、隊列を組ませます。私は逃げ出す方法を探し求め、やっと見つけだしました。つまり、私と懇意だった医者のところに言って、一通の診断書をもらってきたのです。私は、神経衰弱に苦しみ、すぐにも学校を離れる必要があるという内容でした。」というわけで、アインシュタインは、ミュンヘンのギムナジウムを中退し、親のいるミラノに突然行ってしまうのです。そして、「心配しないでくれ、浮浪者になるつもりはないから。ぼくには、ちゃんと計画があるんだ」
投稿者 fujimori : 05:35 | コメント (4)
2009年06月03日 [旅先にて]
手触り
今、園ではあるデザインの会社の人とワークショップそしています。そのおもな意図は、子どもたちが触覚をどのように認識するかということです。たとえば、フロッタージュという擦りだしでは、さまざまな素材に上を当てて、それをクレヨンで擦りだしをします。以前、私の園で、遠足のときに保護者と子どもでチームを作ってもらい、各チームごとに模造紙を配り、周りにある大きな木を選んでもらい、その幹の樹皮の擦りだしをしてもらいました。そして、その紙をちぎって、大きな木を作ってもらったのです。そして、その枝に落ち葉を貼り付けて、どの木が立派かを競うものでした。
物には手触りの違いがあり、それは触ってみて感じることですが、擦りだしは、擦ったものの表面のでこぼこを目で感じることができます。そのほかにも、でこぼこを感じる方法がいくつかあります。次に試みようとしているワークショップは、紙粘土をいろいろなものの表面に押しつけて、その型から感じようとするものです。それは、でこぼこを立体的に写し取ることができます。それをもっと実感して見てもらおうと、その紙粘土に筆で色をつけてもらいます。当然、へこんだところなどには色をつけにくいです。
保育所保育指針には、表現領域に「生活の中で様々な音、色、形、手触り、動き、味、香りなどに気付いたり、感じたりして楽しむ」というのがあります。これは、いわゆる五感を養うというものですが、それがなぜ必要かは、新たの物の創造に結び付いていくからです。
ドイツの乳幼児施設では、これら五感を養うものとしての教材が意識して用意されています。日本では、まだまだ何かをやらせよう、覚えさせようとすることが多いのですが、ドイツらしいと思うのが、それらを環境として用意し、科学に結び付けるのです。それは、別にドイツというわけではなく、ブログで何回かに分けて書いたECECでの取り組みなのでしょう。私は、これら五感を養うためには、子どもたちを自然の中に連れていけばいいのではないかということを考えます。自然は、五感を研ぎ澄まさなければ、感じることができないからです。しかし、ここにはいくつか問題があるかもしれません。それは、自然界にあるものだけでは、偏ってしまうかもしれません。また、どちらが先かわかりませんが、普段から五感を使うことをしていないと、自然の中に行っても、結局は大人が教えることになってしまうかもしれません。
最近、ドイツに行って感じることは、この五感の中で、手触りを感じるようなものが多く見られることです。また、外国の保育教材カタログを見ても、そのような教具がたくさんあります。また、手作りで作ったであろうものもたくさんあります。




手触りを感じることは、なにも創造に結び付くだけではありません。たとえば、胡桃を握っていると脳の老化が防げると言われています。ずいぶん昔のことですが、アメリカに行ったときに部屋の中に砂の代わりにコメを入れた砂場ならぬ米場で子どもが遊ぶ姿を見ました。それは、コメを握ることで、掌を刺激し、それによって脳が活性化すると言っていました。
最近は、泥も、汚いと言って触らない子が増えてきました。それどころか、潔癖症からいろいろなものに触りたがらない子も、触らないように要求する保護者もいるようになりました。もう少し、物に触り、その手触りを感じることを積極的に、意識的に行う必要があるかもしれません。
投稿者 fujimori : 06:03 | コメント (5)
2009年06月02日 [近頃思うこと]
自尊感情3
こどもにおける様々な問題点を考察したときに、その原因が保護者にあることは当然ですが、もう一つ、学校教育システムにあることが多いようです。それは、なんだか最近のテーマになっていて、何度も同じことを言っているような気がしますが、それは、どの切り口から見ても同じところに原因があるということになるのです。
子どもの幸せ度を測るQOL得点は、「身体的健康」「情緒的ウェルビーイング」「自尊感情」「家族」「友だち」「学校」の6領域で評価するものですが、どの項目においてもオランダの子どもたちは日本の子どもたちよりもかなり高い得点を得ています。その理由を古荘純一さんは「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか―児童精神科医の現場報告」(光文社新書)の中で、こう分析しています。
家族の項目が高いのは、オランダでは家族と過ごす時間が長いからではないかと言っています。実際に訪れても、昼休みに父親が自宅に帰って、子どもたちをサポートしたり、夕方に父親が子どもと買い物に行くことが認めらていたり、夕方以降の市内の店舗はほとんどしまってしまい、街を歩く人もなく、コンビニなどほとんどなく、家族団欒の時間が多いのです。これは、ワークシェアが進んでいるベルギーをはじめとした北欧ではほとんど国でもそうですし、ドイツでも同じような状況があります。
学校の項目も日本では得点が56.0であったのに対してオランダでは77.1とかなり高くなっています。この理由の一つは、一人一人の子どもが、自分の発達に応じて個別の学習を進めることができる授業の仕組みが大きく影響しているのではないかと言っています。日本とオランダの教育環境の大きな違いは、一斉教育か個別教育かの違いがあるといいます。一斉授業は、発達の早めの子どもやもともと能力の優れている子どもであればよいのですが、授業の進度から遅れがちな子どもにとっては、取り残され感が強く、毎日毎日、自尊感情を下げるために学校に行っているようなものであるとまで古荘さんは言っています。
今世界で行われ始めた教育は、子どもたち一人一人が自分の発達の段階や学習の進度に合わせた課題に自発的に取り組むことができます。オランダの教育システムの改革の道のりをリヒテルズさんはこう言っています。民主的な市民社会に関する議論が高まり、その中で「インクルージョン」という概念が出てきたそうです。これは、社会の成員が互いに受け入れあう、という概念です。その考え方から、子どもたちが互いに個性をもったユニークな存在として受け入れあうことが目指され、教師と生徒も「教え」「習う」という関係ではなく、同じ社会の成員として受け入れあう関係になるべきという方向に変化してきました。親子、教師と生徒、その関係は権威主義ではなく、互いに学び続ける社会の一員として尊重しあうという意識が生まれてきたのだといいます。
この書籍の中で、日本の一斉授業の在り方は様々なところで子どもに閉塞感を与え、古荘さんが子どもたちの精神的相談を受ける中で問題が多いのではないかと指摘します。これは学校教育についての調査ですが、幼児教育の場でも調査方法が検討されています。
今日からドイツに来ています。幼児教育の観点からですが、ドイツから幼児教育における日本との違いを明日から報告できたらと思います。
投稿者 fujimori : 04:52 | コメント (5)
2009年06月01日 [近頃思うこと]
自尊感情2
QOL尺度で子どもの自尊心をはかる質問は、どんなものなのでしょうか。「自分に自信があった」「いろいろなことができるような感じがした」「自分に満足していた」「いいことをたくさん思いついた」です。「気持ち」の尺度を図る質問もそうですが、これは必ずしも子どもに対してだけでなく、私たちも自分を振り返る時にとても参考になります。逆に、これだけの質問で、子どものことがわかるかという疑問もありますが、これらの項目の各国の結果を比較すれば、日本の子どもたちが自分のことをどのように考えているかがわかります。ただ、よく自尊感情については疑問視されることですが、日本人と特有の自分をへりくだってみるとか、卑下するとかいう文化があると言われます。しかし、日本人は、「本当はこう思っているけれど」とか「自分を認めてもらいたい」という本心や欲求があるけれど実際にはそのようにふるまえない、つまり葛藤があります。ですから、そのことによるストレスがたまることになります。
また、このように抑圧されてきた本心は、周囲の人間、特に自分より弱いものに向かうことになると古荘さんはいいます。小児医師として相談を受ける中からの経験で言うと、その弱いものというのは多くは、自分の子どもに向けられることが多いようです。自分の子どもはこのように育ってほしい、こんな思いはして欲しくない、という感情です。少子社会では、それの思いは、親だけでなく、祖父母たちの一方的な期待(子どもたちにとっては要求)を背負うことになるといいます。この過剰な期待が、子どもたちの自尊感情を低める一つの要因にもなっているのではないかといいます。
よく子どもに様々な期待をする親を見て、「そんなにやらせたかったら、自分でやればいいのに」と思ってしまいますが、実は、子どもに対して期待をしているというよりは、親に自尊感情が育っていないということのようです。それは、子どもに対して過度の期待をするだけでなく、相談を受ける中で、「自分はこんなにつらい思いをして子どもを育てているのに、子どもはそれをまったくわからない、馬鹿にされた感じがする」そして、その気持ちを抑えきれずに手を挙げてしまう親が多くなってきたことを感じてきているようです。自尊感情は、自分に対してだけでなく、自分の子どもにも、社会にも、生活にも影響してくるのです。
「日本の子どもの自尊感情~」の本では、自尊感情などQOLについてドイツとオランダとの比較が書かれてあります。特にオランダでは、ブログにも登場したことが何度かありますが、世界一子どもの幸福度が高い国、また、子どもが孤独を感じる国の中で最も低い国として紹介されています。当然、QOL尺度でもかなり高い得点を出しています。この本の中でも、リヒテルズ直子さんの協力のもと行った調査結果が掲載されています。
もちろん総得点は高いのですが、特に情緒的ウェルビーイングが最も高く、オランダの子どもたちは自分自身の現在の生活にかなり高い評価を持っています。また、自尊感情については、日本の子どもの46.1という得点に対して、72.5という得点です。ドイツでさえ、67くらいはあります。
オランダにおいて、自尊感情が高いのは、リヒテルズさんは、教育システムにあるのではないかと言っています。どのような違いがあるのでしょうか。