音楽教育

 幼稚園や保育園や学校での教育を考える時に、どうしてそれが必要なのだろうかと考えることがあります。その目的が「生きる力」の習得であるとするならば、いわゆる基礎学力と言われる「国語」「算数」「社会」「理科」「英語」などはまあまあわかるのですが、「音楽」や「図工」は、どうでしょうか。たとえば、図工では物を作ったり、創造したりするときに必要であると言われれば、まあ、そういうことが必要な職業もあるだろうと思いますが、音楽はどうでしょうか。昨日のブログではありませんが、教会で賛美歌を歌うというような具体的な目的ならわかるのですが、日本ではどうでしょうか。日常的に歌うことはあったのでしょうか。明治維新以降の教育の目的は、かなり時代を反映します。時代がどんな人材を必要とするかということに関係するからです。
 戦後の教育改革で、2つの試案がアメリカのコース・オブ・スタディの考え方をモデルに作成されました。1947年の「試案」の中で、音楽編は「芸術としての音楽」観を示しました。そこで、音楽教育の6つの目標が示されています。「音楽美の理解・感得を行ない、これによって高い美的情操と豊かな人間性を養う」「音楽に関する知識および技術を習得させる」「音楽における想像力を養う(旋律や曲を作ること)」「音楽における表現力を養う(歌うことと楽器を弾くこと)」「楽譜を読む力および書く力を養う」「音楽における鑑賞力を養う」というものです。この考え方は、音楽を音の運動としてとらえ、その特性を技術として認識し、さらに音楽美として教育内容に位置づけたことは、戦前の「軍国教育の手段としての音楽教育」と明らかに異なる方向を示しました。そして、4つの学習領域として、歌唱、器楽、鑑賞、創作それぞれに「指導目標」「児童生徒の生理的心理的発達段階、教材選択の基準」などが記述されました。
 それが、1951年の「試案」となると変わってきます。このころは、朝鮮戦争が勃発します。そこで、アメリカの意向で道徳教育の必要性が提唱され、音楽教育の目標も強く影響を受けます。前回の「音楽美の理解感得」は消え「円満な人格」「好ましい社会人」などの文言に変わります。ある意味では、すべての子どもにとって、日常に意味あるものとして位置付けられてきます。それを受けて、戦後という連合軍の占領下での教育ということから離れて、最初の「学習指導要領」が1958年に告示化され、そこで教育課程の国家基準を示し、法的拘束力をもつものとなります。その内容は、鑑賞、歌唱、器楽、創作の4領域に分けられ、歌唱と鑑賞に共通教材が設定されます。
それが、1968年の改訂では、新たに「音楽的感覚の発達を図るとともに、聴取、読譜、記譜の能力を育て、楽譜についての理解を深める」という目的で「基礎」が加えられます。しかし、1978年の改訂では、「基礎」の重要性を意識しすぎて統合的な指導を離れたとの反省から、基礎的・基本的内容の精選を行い、従来の5領域を「表現」と「鑑賞」の2つに整理し、「音楽を愛好する心情の育成」をいっそう重視します。そして、1989年の改訂では、基本方針として、「心豊かな人間の育成」「基礎・基本の重視と個性教育の推進」「自己教育力の育成」「文化と伝統の尊重と国際理解の推進」と定められ、具体的には即興表現などの創造的な自己表現活動等と、国際理解の観点から日本を含めた世界の多様な音楽に親しむことが重視されました。1999年の改訂では、「音楽を愛好する心情」と「音楽に対する感性」「音楽活動の基礎的な能力を培い,豊かな情操を養う」となります。「心情」という言葉は、保育所保育指針の中にも表れている言葉です。この目標は、今回の改定でも引き継がれています。

音楽教育” への3件のコメント

  1. 家内と結婚する前、2回目のデートでクラシックのコンサートに誘ったことがあります。小雪のちらつく肌寒い2月の夜。まだ初々しかったぼくたちは、クラシックの妙なる調べを聴きながら、ロマンチックな時間を過ごそうと張り切っていたのですが、家内はクラシック音痴であくびを我慢するのが大変だったようです(笑)。でも、あれから、朝な夕なに、クラシックを聞かせた「音楽教育」のおかげで、今は「これを聴くと、アルファー波がでんねん」とモーツァルトを聴きながら家事をテキパキこなしているようです。音楽は、「生きる力」と言うよりも、「明日への活力」を生んでくれる我が家には無くてはならないアイテムになっています。

  2. こんな風に難しい言葉が並ぶと音楽自体を難しく感じてしまいますが、ずいぶん大切な目的が音楽にはあったということを知りました。何度も読まなければきちんと理解することはできそうにありませんが、読めば読むほど難しく感じられてきます。頭の中で音楽教育のことを考える日がしばらく続きそうです。

  3. 「音楽」に「教育」が付加すると今回のブログで紹介されたようなことになりますね。音楽の先生たちは大変です。「世界の多様な音楽に親しむこと」はとても素晴らしいことでそのことを一生懸命考えると楽しくなりますが「国際理解の観点から」となるとその楽しみが何だか半減四分の一減します。「教育」となるとこうして1人ひとりの興味関心が棚上げされ「国際理解」とか「文化と伝統の尊重」ということになってしまいます。高校生の時に合唱団に所属していました。その時指導者の先生に教わり今でも忘れられないのが「音楽」の定義です。すなわち「音楽とは、音に願い(楽い)を託すこと」と教わりました。当時吹奏楽部にも所属しその練習のハードさから「音楽」ならず「音苦」と音楽を揶揄しておりましたが「音にねがいをたくす」ことが「音楽」と知り私の中の「音楽観」が全く異なり今に至っています。「音楽教育」は「音に願いを託しながら自己実現を図る訓練」であると思っています。

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