西洋文化

 大分にザビエルがもたらした文化の中で、いくつか子どもに関することがあります。昨日のブログで紹介した日本での「西洋外科手術発祥」である病院を開院したアルメイダは、そのほかにも素晴らしい事業を残しています。それは、遊歩公園の途中にある「育児院と牛乳の記念碑」に書かれてあります。その記念碑の横には、こんな趣旨の説明が書かれてありました。
「日本最初の洋式病院を建てたポルトガルの青年医師アルメイダが、ここ府内(大分市)に来た当時の日本は戦乱が続き、国民の中には貧窮の余り嬰児を殺す風習があった。これを知ったアルメイダは自費で育児院を建て、これらの嬰児を収容し乳母と牝牛を置いて牛乳で育てた。これは、近世における福祉事業の先駆である」
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 ルイス・デ・アルメイダは、当時の日本で貧しさゆえに広く行われていた赤子殺しや間引きの現実にショックを受けます。そこで、まず、豊後府内で一軒の家を入手します。そして、乳母を雇い、牛を飼い、牛乳で赤ん坊を育てようとしたと伝えられています。ですから、そこにある碑には、「牛乳の記念碑」とも書かれてあるのですが、「牛乳の碑」は、静岡県の下田にもあります。江戸末期、アメリカ領事のハリスが、日本で「牛乳を飲みたい!」と言ったところ、それまで日本では牛の乳を飲むなどという「奇習」は無かったので断ったら、どうしてもというので、奉行所は止む無く和牛の乳を搾って提供したという記録が残っているそうです。もし、そうであれば、大分での乳児院で牛乳を飲ませたほうが随分と古いことになるのでしょう。その後、アルメイダは、天草の河内浦で没しますが、商人から無償奉仕の医師へと転身し、病人と乳児に尽くした波乱の生涯で、天草にも碑があるそうです。今でも、大分市医師会の事業の1つとして昭和44年4月1日に大分市内に「アルメイダ病院」という名の病院が建てられています。
 また、こんな碑もあります。「西洋音楽発祥の地像」というものです。ザビエルがキリスト教の布教をしたとなると、当然賛美歌は歌うはずです。それが、西洋音楽に初めて触れることになったということは容易に想像できます。しかも、聖歌隊も結成されたようです。その碑には、こんな説明が書かれてあります。「1557年(弘治3年)の聖週間には二つの聖歌隊ができ、オルガンの伴奏で賛美歌が合唱されたと当時の文献は報じている。また、外人神父からビオラを学んだ少年達は1562年(永禄5年)7月、領主大友宗麟の前でこれを演奏し大いに賞賛を博した」そうです。この碑の横にある像は、子どもたちが一生懸命に大きな口をあけて、牧師が弾くビオラに合わせて歌を歌っている姿で、とてもほほえましいものです。
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 音楽だけでなく、当然教会に関係する西洋の演劇や美術も伝えられたでしょう。そんなことで「西洋劇発祥記念碑」が建てられています。碑によると、クリスマスに、府内のキリスト教会では信者の手によって、「アダムの堕落と贖罪の希望」「ソロモンの裁判を願った二人の婦人」等々の西洋劇が演じられたのが日本における洋劇の最初だそうです。以来、府内教会ではクリスマスや復活祭に、聖書に基づく数々の宗教劇が演じられるならわしになったということです。
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 このような生活に密着した西洋の文化が広まっていったきっかけを作ったザビエルは日本人を、「今まで出会った異教徒の中でもっとも優れた国民」であると賞し。特に名誉心、貧困を恥としないことをほめています。
 江戸時代までに日本を訪れた外国人の日本への評価は、かなり高いものがありますね。

西洋文化” への4件のコメント

  1. 歴史というものは、こうして辿っていくといろんなことが分かるんですね。学校で習う歴史はほんの一部だということもよく分かります。そこで興味を持ったことを将来膨らましていけばいいと考えると、勉強は苦しんで詰め込むものではないですね。
    今日は他の文化から大切なことを教わりました。違った文化と触れ合うことのおもしろさをかなり味わうことができました。文化の交流は、やはりいいものですね。

  2. ザビエルは、1549年インドのゴアにいる彼の上司に鹿児島から次のような書簡を送っています。『私(ザビエル)には、日本人より不信者国民はいないと思われる。日本人は、総じて良い資質を持ち、悪意がなく、交わってすこぶる感じがよい。彼らの名誉心は特別強烈で、彼らにとっては名誉がすべてである。』ー初めて見る異国人に戸惑いながらも、精一杯友好的に接しようとした当時の日本人の姿が思い浮かびます。江戸時代の人々が持っていた恥を嫌い名誉を大切にする心、現代の日本人は忘れてないでしょうか。『日本人はたいてい貧乏である。しかし、武士であれ平民であれ、貧乏を恥辱と思っているものはひとりもいない。武士がいかに貧乏であろうと、その貧乏な武士が、富裕な平民から富豪と同じように尊敬されている』ー「士農工商」の身分制度の世の中だから、今以上に格差社会だったはずなのに、決して貧乏を恥辱と思わなかった所はすごいですね。この時代の子どもたちについて、幕末に来日したデンマーク人のエドワルト・スエンソンがこのように書き残しています。『どの子もみんな健康そのもの。生命力、生きる喜びに輝いており、魅せられるほど愛らしく、仔犬と同様、日本人の成長をこの段階で止められないのが惜しまれる』ー最大のほめ言葉でつづられていますが、彼がもし今の日本の子どもたちを見たらなんというでしょう。

  3.  西洋文化というのは私が想像していた以上に高度な文化だったのですね。当時の西洋文化と聞くともちろんキリスト教と、あとは綺麗な食器を連想します。それが実際には外科手術を行い、西洋医学を伝来したり、今回のブログでは日本で育児院を設立するなど、日本にとても貢献しています。そしてブログに、ザビエルは日本人を「もっとも優れた国民」と言って、とても賞賛していますが、素直に何でも取り入れようとする姿を見て、そう思ったのでしょうか。

  4. 「ルイス・アルメイダ」に関しては日本キリスト教史をしっかりと学ばなければその存在すら想起されることはないでしょう。斯く言う私も本ブログで初めて知り及びました。当時カトリックの宣教師団の中にはアルメイダのような医師もいたのですね。16世紀の「南蛮」との交流については「キリスト教」「鉄砲」等々がクローズアップされますが実は医学、社会福祉、教育等々現代社会に繋がる文化が伝承されていたことがわかります。ヨーロッパのクラッシック音楽をこよなく愛す私としては「西洋音楽発祥の地像」はことさら興味を惹かれる地です。一度訪ねたいですね。感慨ひとしおの感を禁じ得ません。「賛美歌」を始めて聴いた日本人たちはどんなふうに思ったのでしょう。聴きなれた旋律と異なる調べを耳にした時おそらく体内奥深くで呼応するDNA記憶の波に戦慄すら覚えたかもしれません。

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