ザビエル

 私は、最近地方に講演に行くことが多いのですが、その目的以外に何か地方にもたらしているかということを思うことがあります。現代は、テレビやネットなどで情報が世界中に瞬時に伝わりますので、人がその地を訪れて情報や文化を伝えるということは少ないでしょう。しかし、講演などをよく頼まれるというのは、やはり人が人にじかに会って、生の声で伝える効果があるのでしょう。とは言っても、講演内容以外ではなかなか伝えるものが少なく、それよりも地方から学ぶことがたくさんあり、とてもありがたく思います。
 情報がなかなか伝わらなかった昔は、いろいろな方法で情報や文化が伝わっていました。大きな役割をもっていたのは、やはり商人でしょう。産物や商品のやり取りと同時に文化も交流していたでしょう。また、ブログでも取り上げた参勤交代も大きな役割をしていたようです。
 では、世界との文化交流はどうしていたでしょう。それは、やはり商人が大きな役割をはたしていました。また、冒険家も、たまたま漂着した船からも文化が伝わりました。鉄砲伝来などはそうでした。それと同時期にキリスト教が日本に伝わりますが、布教活動によっても、その宗教を広めるだけでなく、さまざまな文化を伝えることになりました。
 その中で、大きな足跡を残した人に「フランシスコ・ザビエル」がいます。彼は、マラッカで日本人ヤジローと出会い,日本に行くことを決意します。仏教にしても、宗教の力はすごいですね。どんなこんながあろうとも、信念を貫こうとする人が多く、そのおかげで、いろいろな文化が生まれています。
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ザビエルというと、歴史で習った「以後よく見かけるクリスチャン」と覚えた1549年に鹿児島に到着し,布教活動を許されたのが「日本へのキリスト教伝来」です。この後,平戸・博多を経て京都まで行き、天皇や将軍に会おうとしますが、会見は許されず、やむなく山口を経由して大分に入ります。このルートには、様々なザビエルの足跡が残されています。今回、大分を訪れた際、いただいた「ザビエル」というお菓子の名前からも、大分にも来たことを知ることができます。
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ザビエルの大分滞在は短期間だったようですが,これをきっかけに,この地には宣教師がしばしば訪れることになり,キリスト教伝導活動の拠点のひとつとなっただけでなく、さまざまなものがもたらされ、日本発祥の地となったものがたくさん残されています。大分市には府内城跡から南の方に、長く伸びた遊歩公園があり、ここには発祥の地を記念した多数の記念像や記念碑があります。
リスボンで生まれたルイス・デ・アルメイダは,貿易商として巨大な財産を築きました。しかし、航海中にフランシスコ・ザビエルの弟子である修道士のグループと出会い、一緒に日本に上陸した彼は民衆の困窮を目撃し,彼等を救済するためにイエズス会士となります。たまたま外科医師の免許を持っていたアルメイダは、ザビエルが大分に滞在していた6年後の1557年、私財を投じて大分に病院を設立します。病院は,一般疾病患者のためのものとハンセン病患者のためのものを別個に建てて治療にあたり、内科はもとより、日本最初の洋式外科手術が盛んに行われました。この病院には、外来のほか入院の設備もあって、開院5年後には入院患者が百人を超えていたようです。また、病院に来ることのできない患者のためには、巡回診療も行われていたそうです。この病院に日本最初の医学校が併設され、若き日本人学生が西洋医学を学びました。この公園には、まさにアルメイダが、日本人助手とともに外科手術をはじめようとしている像が建っています。
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ザビエル” への4件のコメント

  1. 先週日曜日の「がっちりマンデー」と言う情報番組で銘菓「ざびえる」が取り上げられていました。このお菓子が誕生したのは昭和37年。当時の製造元の「長久堂」が、西洋の香りと日本のお菓子の技術を融合させて作りました。ところが、平成12年、「長久堂」が自己破産。ざびえるが姿を消してから根強いファンから復活を望む声が起こり、長久堂の元従業員が私財を投じて、平成15年に銘菓「ざびえる」を復活させたそうです。私はまだ食べたことがないのですが、バターミルク味のビスケット生地と、上質の白餡が融合してえも言われない味だそうです。このざびえるには、「金のざびえる」と「銀のざびえる」があって、金には餡にラム酒につけたレーズンが練り込んであり、、銀にはプレーンな白餡が入っているとか。書いているだけでよだれが出てきそうです(笑)。

  2. ネットの普及によって情報のやり取りは随分進んだと思いますが、私なんかはそれに慣れすぎて実際にその地で感じたりすることがおろそかになってきていると感じます。人が実際に行き交うことで感じたり伝わったりすることを、ネットではできない生のやり取りを、大切にしなければいけないと思っています。

  3.  私もyamaya49さんと同じテレビで、お菓子の「ざびえる」を見ました。一度は無くなったお菓子が、元社員の熱意によって復活したほどのお菓子を一度は味わってみたいですが、信頼できる百貨店にしか卸してないそうです。そう簡単には食べる事はできませね。一方、宣教師の方の「ザビエル」は社会の教科書で写真を見ますが、日本にキリスト教を布教しにきた位しか知りません。ブログを読んでザビエルの活動を詳しく知りましたが、それよりも西洋医学を伝えにきたアルメイダという人物が、当時の日本で外科手術を行っていたのには驚きました。ブログを読んでいて、新しい物、良い物を積極的に世界に広めようとする当時のヨーロッパに比べて頑なに断る日本が、なんだか小さく見えてしまいました。私がそう思うのも、今の時代にもその名残が少し残っているからかもしれません。

  4. 私が卒業した大学の歴史を紐解くと、なんと今回のブログテーマ「ザビエル」まで遡ります。まぁ、幸か不幸か4年間お世話になった学校であり、また高校時代から行って勉強してみたいと思っていた大学ですから、浅からぬ縁(えにし)を感じます。フランシスコ・ザビエル神父様は「日本人の資質を高く評価し、日本の首都に大学をという希望をローマへ書き送」ったそうです。そしてこの故事が明治大正期に結実しザビエル神父の念願が成就し大学となったという次第です。日本史におけるフランシスコ・ザビエル神父の業績は中学の歴史においてもその名前を試験の答案に記述しなければならないほど重要ですが、キリスト教史の上でも看過できぬ存在であることがキリスト教を若干勉強してわかりました。プロテスタントという波動に対するカトリック教会の防波堤的存在でした。

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