河井名言

 私のこのブログの第1回目のテーマも河井継之助の言葉から始まっているように、どうも、彼の言葉が私の琴線に触れるようです。それは、司馬遼太郎の「峠」の影響かもしれませんが、長岡の河合継之助博物館に行っても、そんな言葉に出会います。
博物館の中で、彼の自筆で書かれた堂々たる書体の掛け軸が目にとまります。そこに書かれているのは、「一忍可以支百勇一静可以制百動」(一忍以って百勇を支うべく 一静以って百動を制すべし)という言葉です。 この言葉は継之助が普段から自らに言い聞かせていた座右銘です。もともとは、中国の詩人である蘇老の「一忍可以支百憂 一静可以制百動」という格言からの引用とされています。ただ、蘇老は、初めのほうの段で「百憂」と言っているのを、継之助は、「百勇」に変えています。博物館でボランティア説明員から説明を受けたのですが、「この言葉は、リーダーとしてのあるべき姿です」と言われました。そう思うと、私は、「勇」よりも「憂」のほうがいいと思うのですが、たぶん、継之助の時代と、自分の置かれている立場が「勇」に変えさせたのでしょう。
この言葉の解釈を、私なりにするとすれば、「多くの人の憂いを支えるためには、自らは忍を持ってしなければならないし、多くの人を動かそうとすれば、リーダーは信念をしっかり持って揺れ動かず、じっと、みんなを見守っていなければならない」ということでしょうか。
こんな掛け軸もありました。これも継之助が揮毫したもので、「青山是処可埋骨 白髪向人羞折腰」というものです。この意味はよくわかりません。というのは、最初の段のほうは、たぶん「人生いたる所に青山あり」という「人間到処有青山」という言葉に関係があるでしょう。この言葉は、釈月性の詩「將東遊題壁」にあります。「男兒立志出郷關 學若無成不復還 埋骨何期墳墓地 人間到処有青山」というものですが、「男が志を立てて、故郷を出立したからには 学問が、もし成就出来無ければ、二度とは帰ってこない。骨を埋めるのは、どうして故郷の地であることを望もうか。人間には、いたるところに墓所とすべき青山があるのだ。」という意味です。ということから、「人間到る処青山有り」というのは、人間は、どこで死んでも骨を埋めるぐらいの、青々とした山はあるということから、志を天下に求め、どこで死んでもいいつもりで、大いに活躍するということをいいます。このことから、継之助が書いた「此処青山可埋骨、白髪問人羞折腰」というのは、「どこかしこにも骨を埋めるような青山はある。白髪にして、人に問うのは、腰を折るのはじである」という意味でしょうか。
このほかにも、「民は国の本(もと) 吏は民の雇(やとい)」という「民が国の本であり、役人は民の雇いである」という言葉も記されています。「天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁もこけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、豺狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ。」「人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾が群がるように前後左右に取り囲んでくる。大は天下のことから、小は嫁姑のことに至るまですべて矛盾に満ちている。この矛盾に、即決対処できる人間になるのが、俺の学問の道だ。」「不遇を憤るような、その程度の未熟さでは、とうてい人物とはいえぬ。」などなどあります。
心に響く言葉は、今の自分に当てはまる言葉ですね。

河井名言” への4件のコメント

  1. 今の自分は「一忍以って百勇を支うべく 一静以って百動を制すべし」が特に心に響きます。忍をもつこと、信念を持ち揺れ動かないこと、周りのみんなを信じることが、今一番しなければいけないことだと気づかせてもらいました。自分にしか分からない表現ですが、「熱い思いを持ち、それを表現するときにはちょうどいい温度に調節する」こともできるようにならなければと思っています。

  2. 「峠」を読んだのは、もう30年以上前の学生時代。司馬遼太郎の歴史物が好きで乱読したなかの一書。徳川の世が終わることを見通していながら、小藩の長岡藩を率いて、勝ち目の少ない戦争を率いた反骨の人物と言う印象しかなかったのですが、彼の言葉には、今の時代にも通用する真理が溢れていますね。「一忍以って百勇を支うべく…」とは指導者のあり方。こんなリーダーがいれば、日本の国も変わるのに…。「民は国の本、吏は民の雇い」とは、民主主義の基本原理であり、公僕としての役人のあり方を指し示しています。「大は天下のことから、小は嫁姑のことに至る矛盾に即決対処できる人間になるのが学問の道」-知識の集積が学問ではなく、日々の生活を幸せに送るための人間学であることを彼は見抜いていたのでしょう。「嫁姑」の問題か…。私の学問の道、まだまだ遠し(笑)。

  3. 河井継之助の言葉が藤森先生の琴線触れるとは、そんなに感銘できる名言なのですね。ブログには他にも河井継之助の言葉が書かれていますが、正直に言いますと、どの言葉も私にとっては難しい内容です。だからと言って一つも分からないわけではありません。「リーダーとしてのあるべき姿」の言葉はとても素晴らしい言葉だと思いました。藤森先生が言われる通り、心に響く言葉というのは今現在の、自分の心の中に素直に入ってくる言葉なのかもしれません。

  4. 時代の要請、とでも申しましょうか、「継之助の時代と、自分の置かれている立場が「勇」に変えさせたのでしょう」とはわかるような気がします。殊に時代の流れが速いとその時その時の決断に「勇気」が要ります。その際「忍」の一字はその支えになるのでしょう。太平洋戦争終戦の詔勅に「耐がたきを耐え、忍びがたきを忍び」とあります。言語を超越する境地こそが物事の決断の時に必要で、その決断を支えるのが「勇」でしょう。「一静可以制百動」は仏教の経典「結摩経」の「結摩の一黙万雷の如し」という句を思い起こします。これは悟りの境地を表します。「一静」という情態が「百動」というさまざまな動作を制するのですからこれまた「悟り」でしょう。

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