河井

今年6月に新潟県長岡で行われる「第8回全国藩校サミットin長岡」の中で、基調講話を行うのですが、その講師は、「河井継之助記念館館長」である稲川明雄氏で、「長岡藩学の系譜と米百俵教育の理念」というテーマで話をするようです。稲川さんは、最近、現代書館からシリーズ藩物語として「長岡藩―雪の重み、戊辰の戦い、それらをも糧に、新発想で立ち向かう長岡人の源流を読む。」という書籍を発行しています。その紹介文には、「世界を均一の思考で統一させよういう、グローバリズムという名の妖怪の徘徊する現代。否、日本にはかつて各地にそれぞれの文化を持った「藩」というほぼ独立した「国」があった。その藩風・匂いを思い出して、我々の足元を確認して世界を語ろうというシリーズ」と書かれてあります。
このテーマは、まさに今求められていることです。私が、寺子屋について考え、また、男脳と女脳の違い、それは、人それぞれにはそれぞれの役目があり、それらの人がそれぞれの役目を果たすことで、人間の遺伝子を残していくという課題です。それは、個を殺して集団に合わせるという考え方から、よい個を作ることでよい集団が生まれ、よい集団はよい個を作るという考え方です。それぞれの藩が自立し、それぞれの藩がそれぞれの文化を持つことで、それぞれの役目を果たすことができ、それが国を良くするという考え方です。
こんな考え方で行動した河井継之助が残した言葉が、長岡で訪れた「河井継之助博物館」に所蔵されていました。ボランティアの解説を聞きながら、「あれっ?」と思った言葉がありました。それは、「出処進退」という言葉です。この言葉は、「政治家の出処進退は政治情勢を見て、本人自らが決めるものだ。」という例が示すように「今の役職・地位にとどまるか、それをやめて退くか、という身の処し方」をいいます。
この言葉を河井は、「出るとき進むときは人の助けが要るが、おるとき退くときは己の力のみである。自ら決せよ」といっています。この部分を、司馬遼太郎の「峠」では、「「人というものが世にあるうち、もっとも大切なのは出処進退という4つでございます。そのうち進むと出ずるは人の助けを要さねばならないが、おると退くは、人の力をからずともよく、自分で出きるもの。拙者が今大役を断ったのは退いて野におる、ということで自ら決すべきことでござる。天地に恥ずるところなし。」
 何かの役をやる時、また、何かを推し進めようとするときは、人からの推しや助けが必要ですが、退くときは、自分で決めるべきであるということです。最近の政治家などを見ると、出るときは自分から出ますが、退く時には人から言われてのことが多いようで、河井の考え方とまったく逆である気がします。今、多くで使われている「とどまるか、辞めるかを自分で決める」のではなく、「とどまるのは周りが決め、辞めるのは自分で決めるべき」ということになるのでしょう。
 一昨日のNHK大河ドラマではありませんが、退くのはとても勇気と決断がいります。そして、人は退くときには悪く言います。また、人の間違いを非難するのに比べて、それを認めるのには勇気がいります。ですから、人を非難するとき、人を退かせる時には、その人への配慮を忘れないようにしたいものです。

河井” への4件のコメント

  1. 歴史学的考察で恐縮ですが、幕末から明治にかけての維新によって、日本は封建的な幕藩体制から近代的な中央集権国家に生まれ変わります。この革命的な事業を成し遂げた立役者は、藩校教育を受けた志士と呼ばれる若者たち。彼らに共通するのは、私心が少なく、恥に命を捨てる覚悟ができていたこと。だから出処進退も潔い人物が多かったようです。陸軍大将の栄位を捨て、征韓論で野に下った西郷隆盛はその典型です。今に至って、道州制だの、地方分権だのと言われるようになりましたが、自らの出処進退を自ら決められないような政治家に、維新の大業を果たした先達と同じことができるのか、正直疑問に感じています。

  2. 河井さんの言われる出処進退の考え方を今まで知りませんでした。あらためて考えてみると、「出るときは自分の力で出る」という謙虚とは正反対の気持ちで、「退くときは自分以外の何かに理由を求める」勇気のない心で臨んでいたことに気づきました。周りの人の支えや助けがあって今の自分があること、退くときはきちんと自分で決断すること。まずは自分自身のあり方を見直し、そして他人に対しての自分のあり方を見直してみます。「出処進退」いい言葉を教えてもらいました。

  3.  確かに、何かの役をする時、何かを推し進めようとする時は自分一人ではなかなか難しいですが、まわりの手助けがあった場合は上手くいくと思います。逆に独断でやろうとしては、返って上手くいかない可能性が大きいと思います。やはり「よい個を作ることでよい集団が生まれ、よい集団はよい個を作る」という藤森先生の言葉と一緒かどうか分かりませんが、よい個が集まり、その結果よい集団が集まり、その集団が一つのことに目標を掲げる事で大切なんですね。

  4. 「出るとき進むとき」は「人の助け」が確かにあり、意気揚々、勇躍寛喜の気持ちで一杯になり、至福の中で夢心地にさえなります。常々「出るとき進むとき」ばかりならいいのですが、なかなかそう上手くはいきませんね。若輩ながらこれまで何度か「降りる」「退く」という経験をしました。「自ら決すべきことでござる」とはまさにその通りです。決断と、そして何よりも「勇気」が必要です。小心ものですから「降りる」「退く」行為に付きまとう悲壮感や寂寥感、あるいは苦悩懊悩はあまり味わいたくない、と思っています。できれば「事を全うして」その後に「降りる」「退く」ということになれば、と思います。とはいうものの私自身の「出処進退」は然程大したことではありません。「生死」を賭した「出処進退」を迫られる時代や立場にあったた人の気持ちはいかばかりか。想像を絶します。

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