幼少体験

 今日は、子どもの日ですが、いつの時代でも子育ては難しいものです。それは、子育て中には、結果が見えないからです。こうすれば、こうなるということもありませんし、また、人生にいつにおいてが結果なのかもわかりません。また、どうなることが幸せなのかもわかりませんので、親は子どもをその時としてできるだけ良いことをしようと考えますが、それは必ずしも子ども自身が望むものかどうかはわかりません。
 しかし、子どもを将来のために教育します。「何の為に勉強するの?」という問いに対して、いつの時代も明確に答えられる大人はいないと言われてきました。しかし、結果的には、教育は子どもに影響しますし、将来の人格形成におおきく作用することは確かです。
 上杉謙信は、幼名を長尾虎千代といいましたが、7歳から14歳までの7年間を、新潟上越市にある春日山城下の林泉寺に預けられ、7代目名僧・天室光育に出会い、厳しく「仏の教え」、「神の道」を教わります。
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 それは、こんな背景がありました。謙信の父である長尾為景は内乱に悩まされていました。長尾為景の勢力は、春日山城のある上越周辺、栖吉城・栃尾城などの虎御前実家の周辺、三条城の中越などでしたが、反長尾為景勢力は、上田坂戸城(南魚沼市)城主・長尾房長、政景を中心とした上田衆でした。この上田衆を率いていた政景が、のちの謙信の養子となり跡を継ぐことになる景勝の父親です。その長尾為景は隠居し、嫡男である晴景に家督を譲ります。しかし、その数年後、病没した為に、7歳になった晴景の弟の長尾虎千代(長尾景虎、後の上杉謙信)は、林泉寺に預けられることになるのです。
幼い頃は利かん気で腕白、弓矢、刀であそぶのが何よりも好きだったと資料に書いてありました。また、よく城の模型を作り城攻めをして遊んでいたといわれていました。しかし、寺僧に武芸は禁物でしたがが、天室光育和尚は見て見ぬふりをして、大胆にもそれを黙って見守っていたといわれています。次第に、その悪童ぶりは影を潜め、神童ぶりを表します。その後、上杉謙信は「毘沙門天」に心を惹かれるようになっていくのです。このころの教えに影響を受けたのか、もともとそのような気質を持っていたのかはわかりませんが、謙信は、武士と言う人間に生まれたからには、そのような意気込みがなければ武士道を全うできないと考えていました。そして、こんなことを言っていますが、この考え方も、幼いころ受けた林泉寺の住職天室光育の教えが大きいかもしれません。
「武士の子は、14、5歳の頃までは、わがままであっても勇気を育て、臆する気持ちを持たせぬようにせよ。勇気ある父を持つ子は臆する心を持たぬ。父は常々、この道を説き諭すことが大事である。少年時代の教育が一番大事である」
今は、武士の世ではありませんが、子どものころのわんぱくやいたずらや、何かに熱中することは、将来のために様々な経験をしていることには変わりがありません。その子どもとしての生きる力を、次第に人に貢献する力、「義」に変えていくことは今にも参考になることです。
その後、大人になってからも、謙信は、今度は8代目 益翁宗謙大和尚より、厳しくも慈愛に満ちた禅の奥義を学びます。そして、益翁宗謙大の謙の一字をもらって、「謙信」と名乗ることになるのです。

幼少体験” への4件のコメント

  1. ロック歌手の忌野清志郎さんが亡くなりました。ショックですね。彼が音楽の道に入るきっかけを作ったのは、高校時代の恩師の小林先生で「ぼくの好きな先生」のモデルと言われています。職員室より、美術室でキャンパスに向かうことの多かった小林先生は、体制に媚びないパフォーマンスを繰り返した清志郎さんの原点だったと言われています。それにしても、最近、「恩師」とか「教え子」とか言う言葉があまり聞かれなくなりました。上杉謙信の師・天室住職ほどではなくても、少々型破りなところがあったとしても、教え子を信じて優しく見守ってくれる先生が、少なくなったように思いますね。幼少期に「ぼくの好きな先生」に出会えた子どもは幸せになれますね。

  2. 上杉謙信は天室光育和尚によって確実に将来に向けて教育を受けていたんですね。本人の資質もあると思いますが、その教育が謙信には向いていたんでしょう。一斉に同じように寺僧としての教育をしていたら、上杉謙信という人が今の時代にも伝えられることはなかったかもしれません。子どもの今はもちろん大切ですが、先を見据えて子どもの今に接することの大切さを強く感じます。『その子どもとしての生きる力を、次第に人に貢献する力、「義」に変えていくこと』ということをどう実践するかが、私たちの一番の課題だと思います。

  3.  勉強やスポーツは全て結果がついてくるので、見通しもつきますし、結果も予想できます。しかし、子育てというのはブログにも書かれていますが、本当に難しいですね。結果もありませんし、予測もできません。その為、親はどうにか立派に育って欲しいと願って子どもに塾に行かせたり、ピアノや習字、スポーツなどをさせると思います。私自身、小学校の頃にいくつか習い事をさせられましたが、今となっては習っておいて良かったと私の場合は思います。しかし、そうとは思わない子どももいるかも分かりません。しかも、その時に色々と学んだことが将来の人格形成に作用するとなると、考える必要があると思いました。幼少時代の経験というのは私が思っている以上に、人生の中でとても重要な時代というのが分かりました

  4. かつて武士や貴族の子どもたちは物心つくかつかないか、そういう時期から『論語』や「四書五経」と呼ばれる漢籍典籍その他を学んでいたそうです。寺に預けられれば当然仏教の経典を習います。今の時代はいいですね。親にある程度の収入があれば学習塾やそろばん塾、書道塾などいろいろさまざまな学びを得られます。かつてはほんの一部の階層の子弟にのみ開かれていた分野が今では多くの人たちの経験するところとなりました。但し、残念なことは、習う子どもたち自身が「何の為に勉強するの?」という問いを得てもその答えを見出せずに大人になってしまう、ということです。「習い事」でノウハウは身につきます。しかし、「考え方」の領域にまでは達しません。よって全体が何だか薄っぺらな雰囲気で満ちています。

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