2009年05月04日 [旅先にて]
長岡
江戸時代の教育を担っていたものに寺子屋がありますが、これは、主に庶民のためのものであったのに対して、長崎の大村でも訪れた藩校は、諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校です。また、寺小屋への入学はかなり自主的でしたが、藩校へは藩士の子弟はほぼ強制的に入学させられていたようです。このような藩校は、徳川の世になり、平和になったために各地に設立されていきました。日本初の藩校は、1669年(寛文9年)に岡山藩主池田光政が設立した岡山学校が最初です。しかし、そのころはまだ珍しく、全行的に広がったのは、1700年半ばですが、それは、多くの藩が藩政改革のための有能な人材を育成しなければならなくなったからです。藩を立て直そうとするためには、まずは「教育」なのです。そして、そのためにまずは、各地では優秀な学者の招聘も盛んに行われたのです。そして、思惑通り、この藩校で育っていった人材が地方文化の振興を図り、各地域から時代をリードする政治家や学者の輩出していったのです。
地域の風土に根ざした個性的な教育で数多くの人材が輩出された藩校教育を見直すことをねらいとして、毎年、藩校のあった地域で「藩校サミット」が行われています。毎回、藩校を設けた大名家の末裔と全国の教育関係者が集うそうです。先月末の「産経新聞」に、この藩校サミットのことが掲載されていました。「江戸時代に300諸侯と称された大名家の1割に相当する殿様の末裔、約30人が集う第8回全国藩校サミットin長岡が6月20日、新潟県長岡市で開かれる。実行委員会によると、これだけ多くの殿様の末裔が参加するのは初めてという。」この記事にあるように、今年の第8回は、新潟県長岡で開かれます。
この長岡は、NHK大河ドラマで、ちょうど今放送されている時代に、直江家を相続した兼続が、新たな城「与板城」を築城しました。また与板の村も整備させ、鍛冶産業にも力を注いで大いに発展させました。
そんな長岡でのサミットですが、ここには、「藩校教育と米百俵の精神」といわれているものがあります。それは、城下町であったこの地は、武士の世から続いた義の精神と教育によって、多様な文化や産業、経済を営んできました。それらの精神は、長岡藩の藩校「崇徳館」で力強く育まれました。そんなことをテーマに、今準備に大変のようです。地元紙には、こんな取り組みが紹介されていました。「同市の小中学生が論語の素読を披露しようと練習に励んでいる。全国の藩校で重要な教材だった論語。同サミット実行委は昨年11月、長岡藩の「祟徳館」で素読を学んだのとほぼ同じ7歳から14歳の子どもを集め「論語素読の会」を結成した。実行委は「かつて外国人が驚くほどの勤勉さを誇った日本人を形作った論語は、学ぶところが多い」と音読の意義を語る。」
この長岡の「崇徳館」からは、河井継之助、小林虎三郎、三島億二郎など、現在の長岡を語るうえで欠かせない人物が教育を受けています。一時、ブログに何度も登場し、私が熱中した司馬遼太郎の「峠」の主人公である河井継之助の居宅跡と博物館があります。
それにしても、彼の生涯を知るにつけ、歴史は「あの時こうだったら」という積み重ねであるという実感を持ちます。また、この崇徳館は、その後、「米百俵」の故事で有名な「国漢学校」へと引き継がれ、多くの人物を輩出しています。教育の力を感じます。

投稿者 fujimori : 2009年05月04日 22:17
コメント
藩を立て直そうとするためにはまずは「教育」、国を立て直すのもまずは「教育」です。ほとんどの人がそう感じていると思っているのですが、そのための舵取りは簡単なことではないのでしょうか。わが国はなかなか方向が定まらないですね。今は判断ではなく、未来に向けて決断が必要なときだと思います。リーダーの役割の大きさを強く感じます。
投稿者 あいやま : 2009年05月05日 12:38
司馬遼太郎は、「峠」のあとがきにこう書いています。『江戸時代も降るに従って日本人は少しずつ変わっていく。武士階級は読書階級になり、形而上的思考が発達し、ついには幕末になると、形而上的昂奮が伴わないと動かなくなる、彼らには戦国人のような私的な野望というものが、全くと言っていいほど少ない。』藩校による儒教教育が、日本人を人間の芸術品と呼べるほどの完成された武士像を作り上げたんですね。吉田松陰しかり、西郷隆盛しかり、高杉晋作しかり…。河井継之介も、長岡藩でなく、彼らのように薩摩や長州に生まれていたら、維新の功労者として名を残したかもしれません。よしんば、北越戦争で最後に降伏しておれば、藩も保たれ、彼も高名を上げられたかもしれないのに、それをしなかった。今の日本人はどうして彼のような高潔な武士道を忘れてしまったのでしょうか。
投稿者 yamaya49 : 2009年05月05日 18:45
藩を立て直すために、子ども達を藩校に入れて優秀な人材をたくさん輩出しているのは、やはり藩校の指導方法が良かったのですね。どの時代も多くの優秀な人物を輩出するのは、個人の差もあるかもしれませんが、やはり寺子屋や藩校のような教育があったからこそだと思います。せっかく藩校サミットというものが開かれるのだから、色々と話し合って、今の時代に反映できるようになれば、いいと思いました。
投稿者 Sasuke : 2009年05月06日 23:58
いろいろなサミットがあるのですねぇ、「藩校サミット」について初めて知りました。しかも今回が8回目ということは前回までに7回のサミットが開催されていることになります。これまで一体どのようなサミットが行われてきたのでしょうか。この「藩校サミット」では現今の教育界事情はどのように総括されているのでしょうか。あるいは「殿様の末裔」の参加ということですから非常にセレモニアルあるいはエンターテイメント色の濃いものでしょうか。いずれにせよ、今度開かれる長岡サミットに注目したいと思います。今回は無理でしょうが、次回以降のサミットには我らが藤森先生を是非講師として招聘してもらいたいものです。フィールドを持つ先生の話しは「藩校」精神を現在に復活させる糸口になるに違いありません。
投稿者 toshi0410 : 2009年05月07日 23:35