バリア

 最近、東京では建築物や公共施設、公共交通機関のバリアフリー化が進んでいます。それは、平成6年に制定された「ハートビル法」で「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」が定められていることと、平成12年に制定された「交通バリアフリー法」で「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律」が定められていることで、段差の解消や視覚障害者誘導用ブロックの設置など、着実に整備が進んできているのです。
バリアフリーという言葉は、もともとは住宅建築用語で、障害のある人が社会生活をしていく上で障壁(バリア)となるものを除去するという意味です。ここでいう、バリアである障壁は何かというと、「バリアフリーにしてあります」ということに代表されるのは、段差がないことをいうことが多いようです。しかし、本来は、そういった物理的な障壁だけでなく、障害者の社会参加を困難にしている社会的、制度的、心理的なすべての障壁の除去という意味なのです。ですから、英語では、設備やシステムが広く障害者や高齢者などに対応可能であることを指して「アクセシビリティ」(accessibility)という用語がよく使われるようです。
また、ユニバーサルデザインという言葉がありますが、これも、障害者や高齢者が使いやすいようなデザインというわけではなく、ユニバーサルですから、他にも、文化、言語の違い、老若男女といった差異、人種、能力の如何を問わず多様な人々が利用しやすいよう都市や生活環境である施設・製品・情報をデザインするということなのです。
ずいぶん前になりますが、北欧を訪れた時の経験です。その時に、あらゆる店舗の階段のところに細いレールのようなものが付いていました。そのころ、まだバリアフリーという概念が浸透していませんでしたので、なぜかと思いましたら、そのレールは乳母車の車輪を通すためにものでした。勿論、車いすも通ることができるのでしょうが、その時にバリアとは、必ずしも障害者のための障壁ではなく、バギーや乳母車を押していることもハンデにしないという考え方を知りました。また、電車に乗ったときに、「犬可」とか「自転車可」という車両を見たときに、犬を連れていることでも、自転車に乗っていることでもそのこと自体をバリアにしないという考え方を知りました。
また、その時に感じたのは、今はどうかわかりませんが、たとえば、「犬可」という車両に乗ったときに、当然、私は犬を連れていませんでしたが、その車両では、犬を連れていない人は乗れないのではなく、犬を連れている人が優先されるということで、通路に寝ている犬をみんな避けて通っていましたし、座席は、犬が乗ってくると譲っていました。段差も、すべてスロープにするのではなく、レールを使って登れますが、そうでない人は階段を使います。
最近、園がバリアフリーといって、すべての場所から段差がなくなり、敷居のようにまたぐ場所がなくなっていますが、一番良く使う子どもたちから、段差を越える力や、敷居をまたいで歩く力を奪ってしまっていて、子どもたちは、地域の中や、自然の中は歩けなくなってしまいそうです。自然の道は、段差だらけです。
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