助長

 学校教育法の22条に幼稚園の目的が書かれてあります。
「幼稚園は、義務教育およびその後の教育の基礎を培うものとして、幼児を保育し、幼児の健やかな成長のために適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする。」
この文章の中には、いくつかのキーワードがあります。まず、幼児教育において「教育の基礎」とは、何なのでしょうか。どこかの区で計画されているような足し算などの計算をさせることや、文字を書かせることなのでしょうか。それは、「その後の教育」であり、そのための基礎ではないと思うのですが。
 また、「幼児を保育し」ということもよく考えないといけないことでしょう。日本では、「保育」「教育」という言葉の共通認識がないために、非常に議論がしにくいところがあります。その次にとても大事な「環境」とは何かという点です。この環境はもちろん自然環境だけではないことはわかるのですが、子どもにとって必要な環境とは何か、成長のためにどんな環境を用意すればよいかということになると難しくなります。しかも、「適切な環境」ではなく、「適当な環境」です。
 以上の事柄は、保育の中でよく論じられるところですが、「助長する」ということに関してはあまり論じることはありません。しかし、儒教では「助長」ということはひとつのテーマです。
 孟子の弟子、公孫丑が、孟子が養っているという「浩然の気」というものについて尋ねたところ、孟子が、「浩然の気とは、日常から義を踏み行い、それが集まることによって自然の中から生じてくるものであり、気を養うために義を踏み行うなどという無理をしてもいけないものだ。」ということの例えとして、次の話をしました。
「宋人有閔其苗之不長而〓之者、芒芒然歸、謂其人曰、今日病矣、豫助苗長矣、其子趨而往視之、苗則〓矣、天下之不助苗長者寡矣、以爲無益而舎之者、不耘苗者也、助之長者〓苗者也、非徒無益、而又害之、」(昔、宋に畑の苗がなかなか成長しないので悩んでいた男がいた。そこで男は苗を一本ずつ引っこ抜いて伸してやった。作業を終えてヘトヘトに疲れ切って家に帰って来て、家族に向かって言った。「今日は疲れてしまったよ。苗が伸びるのを助長してやったんでね。」驚いた彼の息子が急いで畑に行ってみると、苗はすっかり枯れていた。天下には、苗を助長しようとするものが少なくない。また、はじめから気を養うことは無益だとして捨ておき、ただ意志や理性だけを重視する者もいるが、これは苗を植えながら草取りをしないで放っておくもので、苗は十分生長できない。また「気」だけが大事としてこれを助長する者は、苗を助けて伸すのと同じなのだ。少しも益がないばかりか、その物を根本から害ってしまうものだ。」
「助長」すると言うことは、その字のごとく、「助けて生長させる」という意味ですが、急いで大きくしようとし、無理に力を掛けてしまうと、反って害するという戒めの言葉でもあります。特に、幼児教育においては戒めなければならない言葉です。